エノラ・ゲイを見た人

夕方から降り始めた雨が、猛然と屋内に吹き込むようになった。
稲光が断続的に瞬き、深夜近くには地震もあった。
考え事をしているうちに眠れなくなり、いつしか時計は一時を回っている。

昨夜は、入居者のお仲間とおしゃべりするうちに長談義となった。
その話が頭を離れず、思いを巡らすうちにすっかり目が冴えてしまったのだ。
入居して一年半以上経つ人、入居一年余という私よりまだ日の浅い人。
それぞれホームの運営に関して多少とも不満を感じているようだ。
(それについては後日記すことになろう)


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カサブランカ開く                 ’20.6.7

寝不足のまま、朝会に出席する。
いつものように今日という日に過去、どのような出来事があったか、担当のスタッフによるリサーチ結果が報告される。
続いてラジオ体操、歌の斉唱があり、お茶の接待でお開きとなる。

最近は、ご夫妻で入所されているY氏が加わるようになった。
先の大戦では特攻隊員だったというY氏の話を伺った。
その日歌った「長崎の鐘」から、話はしぜんと、広島の原爆投下に及ぶ。
気楽な茶話会で伺うには、あまりに酷烈な体験ではある。
聞き間違いは後日訂正することにして、貴重な体験談をとりあえず記しておこう。

当時、呉軍港にいたY氏。
技術のあるY氏は、高射砲陣地で操作法の指導をしていたという。
Y氏が特攻で死なずに済んだのも、その技術が必要とされたからだと以前伺った。

上空を見上げるY氏の目に、B29の機影が写った。
原爆投下に先立つ、偵察機だった。
Y氏はさらに、リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイが広島上空へと飛び去っていくのを目撃している。
間もなく、低空のあり得ない位置に太陽かと見紛う光が見え、やがてきのこ雲が立ち上った。
もちろんそれが原子爆弾であるとは当時だれ一人として知る由もない。
威力のある新型爆弾との認識があるだけだった。

その後、Y氏一行は広島へ救助に向かう。
現在、原爆ドームのある爆心地である。
焼けただれた人々は一様に水を求めた。
持参した缶詰の中身を出して、川の水を汲んで飲ませると、被災者はたちまちこと切れてしまう。
酸鼻な風景を淡々と話すY氏に、驚くことはない。
熱田空襲を体験した母も同じように冷静に当時をふり返る。

黒い雨を浴びて真っ黒になった同僚を見て笑いあう余裕がある。
しかし、Y氏の右耳は爆風に引きちぎられ、今もどこから声が聞こえてくるか分からない、という。

十代で戦争を体験した人もすでに90歳を越える。
風化を憂うる声が年々強くなるが
老人ホームというところはその貴重な体験談を語り聞き伝える場になるのだ。

ちなみにY氏は包丁を研ぐのがお上手だ。
生きて虜囚の辱めを受けず…
17歳の特攻隊員は毎夜、ナイフを研ぐのに余念がなかったという。

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