おしゃれ泥棒 モードとラブコメディのアイコン オードリー・ヘプバーン

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先週の金曜日のレイトショーでは、「おしゃれ泥棒」が上映された。
開演は19時と遅いため、観客は二人という贅沢さ。
それも最後まで観ていたのは私だけだった。
老人ホームでの上映会は、やはり昼の時間帯にすべきかもしれない。

「おしゃれ泥棒」といえば1966年に公開されている懐かしい映画。
ヒロインのオードリー・ヘプバーンは私にとってはほぼ同時代の女優さんだけれど、若いスタッフの中にも熱烈なファンがいることを知って、彼女の魅力の普遍性を感じた。
オードリーほど時代を越えて魅惑する何かを持っている女優を他に思いつかないほどだ。

ヘプバーンの映画はすべて彼女のためにつくられた映画といえるだろう。
ジバンシィの服と、今回の作品でも強調されるのはその大きな瞳である。
(対して、ピーター・オトゥールの緑青色の瞳が対比される)
彼女の眼には多額の保険がかけられていたとか。

ラブコメディも、現実離れしたおとぎ話になってしまうのは、オードリーのノーブルで清潔なキャラクターのせいだ。
監督はウィリアム・ワイラーで、脚本は完璧、手堅い作品であることは今さら言うに及ばない。

「服に守られている」と語っていたオードリーの言葉がリフレインする。
グラマラスな女優が席巻していた当時、バレリーナ志望だったやせっぽちのオードリーだからこそ、服の堅固さと優しさへの信頼がうかがえる。
なるほどと頷かせるジバンシィのやはり完璧な服。
中身が大事といいながら、やはり人は服によってつくられるところが大きい。

銀幕に映し出される、決してあり得ない夢…
夢を見ることができるという点だけでも、人間というものに期待していいのかもしれない…




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金曜日に届いた花


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秋色アジサイ、ひまわり、グリーンのバラ、ハイブリッドスターチス、カーネーション、木苺の葉


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モルセラ、ハイブリッドスターチス、百合

古典は言葉のタイムカプセル 竹取物語を読む

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「竹取物語」を読む。
子供の読み物としてリライトされ、引用され続けてきて、知らない人はいないと思われる「ふるものがたり」
さやさやと葉擦れをさせて、一陣の風にしなやかに揺らぐ竹林の一隅、竹の一節に小さな姫が眠っている。
その竹は、発光して、辺りをぼんやりと明るく照らしている。

私の読んだ竹取物語は、角川ソフィア文庫で、近世に刊行された流布本に訳注と現代語訳を付したものである。
「竹取物語」は、公的文書で使われていた漢字漢文を、当時の口語である日本語の表記―仮名和文につくりかえる試みのうちで、最も成功した作品だという。
紫式部は源氏物語の中で、物語の祖としての「竹取物語」を高く評価している。
宇治十帖は「竹取物語」の翻案だといわれる。
ちなみに正編の方は言わずと知れた「伊勢物語」が下敷きになっている。

物語は複数のモチーフで構成されており、そのそれぞれが独立した物語となるほど深い意味を秘めている。
たとえば、「小さ子説話」「致富長者譚」「求婚説話」「難題譚」「相聞説話」「羽衣説話」「貴種流離譚」「地名起源説話」…

本書は解説も充実しており、竹取物語がどのように受容され、成立したかについて推測させるだけの材料を提供してくれる。
特に、使われている助動詞が、話が進むにつれ変化することを指摘して、伝承を生々しく現前させる物語の手法に瞠目させられる。
万葉集で使われる、直接体験の「き」ではなく、伝承をあらわす「けり」を使っていること。
それから「なむ」という語り手の言葉があらわれる。
続いて「けり」にかわって「たり」「ぬ」が出てくるようになる。
これは現在時をあらわす助動詞であり、こうしてみると独立した作者像を想像せずにはいられない。

異界とこの世を媒介するかぐや姫の創造によって、俗なる世界が照射され、風刺される。
ダイニングのテラスから、筍がみるみる成長して、やがて葉をつけ、一本の竹になるのを眺めてきた。
昔人の想像力のたくましさと切なさに胸打たれる。
タイムカプセルの中から現れたのは、かぐや姫というより、言葉そのもの、言霊だったのではなかったか…



※ 竹取物語  室伏信助 訳注  角川ソフィア文庫(平成13.3)

紫式部すまいを語る 王朝文学の建築散歩

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平安時代は温暖化していたらしい。

家の作りやうは、夏をむねとすべし、

鎌倉末期にまとめられたとされる徒然草にはこう述べられている。
さらに

冬はいかなるところにも住まる、暑き比(ころ)わろき住居(すまい)は、堪へ難きことなり(徒然草第五十五段)

現代の日本に住む私たちも、冬は着込みさえすれば何とか凌げるが、高温多湿の夏は逃げ場がないと感じる。
幸いなことに人工的な空調設備を利用して、せめて熱中症にだけはならないで済んでいる。

一昔前までは、「家は夏向き」というのが常識だったような気がする。
家の設計は一年かけて行うのがいい、といわれるのは、夏冬どちらの季節にも住みやすい家をつくるためである。

平安時代の貴族の住居、寝殿造りではどうだったのだろう。
縁に座って、庭のたたずまいに四季の移ろいを感じる。
月影を愛でながら、笛を吹いたり、室内にいる女房達と雑談を交わしたり、…と。
寝殿造りの住宅はひとつも現存していないので、私たちが平安時代の空間をイメージする時、助けになるのが源氏物語絵巻などであるが、絵画的デフォルメがほどこされている上、二次元の世界に限定される。
そこで、現存する建物で参考になるのが、平等院鳳凰堂、厳島神社などであるという。
なるほど、厳島神社の渡り廊下など風が吹きわたり、建物という人工と自然が融合している。
平安貴族の美意識は、いつも自然とともにあっただろう。

建物は軸組み構造で、筋違(すじかい)なども鎌倉時代以降のものらしい。
開口部が広く、屏風、几帳、御簾などで仕切っているのは、源氏物語の叙述からも絵巻からもわかる。
いかにもセキュリティにあまい構造からして、ラブ・アフェアがいともやすやすと行われるわけだ。
たとえ女房の手引きがなかったとしても…

また飛騨の工(たくみ)という優れた工人集団がいたにもかかわらず、耐震性に配慮したあとがあまりみえないのは何故だろう。
地震国日本で、京都には火災も頻繁に起きている。
天災に対しては、日本人は諦念の方がはるかに大きかったのかもしれない。
災禍を防御する構えよりも、自然と共存する喜びを重視したのだろうか。
スクラップ&ビルドは、ある意味で日本の風土の宿命だった。

現在京都には、平安京の遺構と呼べるようなものは、ほとんどない。
東寺、神泉苑くらいだろうか…
せめて王朝文学によって、空間と美意識、身体技法を含めた平安の文化へと遡上してみたいものだ。


※ 紫式部すまいを語る  西和夫 著  TOTO出版(’89.11)

紫式部の暗号

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源氏物語を気象という切り口で読み解く、興味深い書物。
帯のキャッチコピーに、紫式部は平安の気象予報士だった、とある。
気象予報士の著者は、物語の文学的かつ抒情的な記述のなかに、気象科学的な裏付けを探り、さらに味わい深い読み方を教えてくれる。

当然のことながら、平安時代の人々、それも稀有な観察力と構成力、心理描写に優れたストーリーテラーが、気象情報を物語の効果的な演出のために利用しないわけがない。
それは物語にとって、あまりにも重要な要素である。
古代より日本人は、自然現象に人間の営為を投影してきた。
紫式部のような天才でなくても、今日の我々よりはるかに鋭敏に、また思い入れも深く、気象に接してきたはずである。

私たちはデジタル化された指数に頼り過ぎて、観察を言葉にする技術をその分、後退させてしまったように思える。
そこで源氏物語を深く読むことで、その感性を少しでも回復させられないか…

本書は、文学作品を科学的解説によって納得して終わり、なのではない。
自然を脅威と感じ、自然に慰撫され、美意識を洗練させ、人工や人事に反映させた、失われた感性の復権!

人類の歴史、ひいては地球の歴史、宇宙の歴史からすれば、平安時代というごくごく短い期間に生きた、砂粒のように小さな人間が、生かされる条件とどのように付き合って、どのような一生を送ったか…
ささやかで、同時に限りなく豊かな生がそこにあろう。
光源氏の栄華も、姫君や市井に生きる庶民の生活も、圧倒的な自然条件によって拘束されているのだ。
同時に恩恵に浴している、と言ってもよい。

暁、曙、明け方などの語の、微妙な違いを感知する能力も余裕も現代の私たちは失っているように思う。
有名な古今和歌集の歌に

秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

がある。
まだ真夏といってもよい暑さのさなか、立秋の気配を吹く風によってふと知らされるというものだ。
都会のコンクリートジャングルでも、千年以上の時を経てなお、同じように「秋立つ」日を感じることができるのも、先行する文学からの贈与あればこそだ。




※ 紫式部の暗号  石井和子 著  三五館(’16.11)

花が届く

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毎週金曜日にダンディライオンという花屋さんから、素晴らしい花のアレンジが届けられる。
アレンジのセンスには、さすがプロと唸らせる斬新さがある。
またそれ以上に、今まで見たこともないような珍しい花材が魅惑的だ。

ロビー中央に飾られた今回の投げ入れ
フォーカルフラワーは、薄紫の「大輪」のアジサイだ。
正確には大輪と呼ぶのは間違いだろう。
よく知られているように、アジサイの花に見える部分は装飾花で、実は「ガク」である。

花弁に見えるその縁がカールしているので、とても華麗だ。
ユリはカサブランカではなくシベリアという品種だそうだ。
シベリアは一見カサブランカに似ているが、花が真っすぐ上向きに咲くので、アレンジしやすいという。
アンティークトルコギキョウとユリとアジサイ…
小さな白薔薇が陰に隠れている。

アジサイが好きだった画家というと、鏑木清方を思い出す。
明治期の風俗を、江戸を引き継ぐ粋と洒脱、さっぱりした筆致で描いて、懐かしい。
鏑木清方のアジサイは、ごくしぜんなホンアジサイやガクアジサイ、ヤマアジサイの類だろう。
今日の華麗な西洋紫陽花を鏑木清方が見たら、どう感じるだろうか…
と、ふと思った。
表層が華やかさを増すにつれ、失われる世界が確実にある。
それを切ながるのは、すでに老害というべきだろうか。
洗練と華やかさは別次元のものだ。

政治の世界に蔓延るアナクロニズム、保身、守旧という老害にうんざりさせられる昨今
なぜか過去の美意識が繊細ではるかに大人びてみえる。
騒々しい自己主張より、謙虚と内省的な勁さに気付くべきだと思う今日この頃である。
自戒をこめて。

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紫陽花舎随筆(あぢさゐのやずゐひつ)については
こちらのページに書いています
https://freeport.at.webry.info/201001/article_5.html



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白いトルコキキョウとルリダマアザミが深紅の薔薇を引き立てている


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薔薇とユウギリソウ

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6月18日の上映会 「海賊とよばれた男」
原作は百田尚樹による同名の小説。出光興産の創業者出光佐三の生涯を描く。
こういうのを”事業欲”というのだろう…

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エレベーターホールのアレンジはホームのスタッフによる


光源氏が愛した王朝ブランド品

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本書は、平安時代の「ブランド品」から源氏物語を解読する趣向。
当時の王朝人の美意識があぶり出されることになり、現代のブランド志向と比較してみると、なかなか面白い。

そもそもブランドという言葉は、資本主義社会、大衆社会におけるマーケティング用語なので、王朝人が愛した贅沢な舶来の希少品と全くのイコールではない。
しかし、タイトルにブランドの言葉を入れることによって、所有者の権威と美意識の洗練を誇る、という意味で、現代に共通する、ものに対する欲望を照射している。

本書に取り上げられる「ブランド品」は、毛皮、陶磁器、ガラス器、香水、紙、布(衣装)、調度品(インテリア)、ペットに及ぶ。
そのすべてが太宰府を経由して唐及び渤海国よりもたらされた舶載品である。
時の権力者や富裕層でなければ、決して手に入れることのできない品々だった。

源氏物語の中でまず注目されるのは、末摘花がまとっていた黒貂(ふるき)の皮衣である。
その前に、醜貌の姫君のエピソードが、なぜ源氏物語に挿入されているのか…
考えられるのは、先立つ古物語に醜女を妻とした男の出世譚があるという説だ。
紫式部の筆は、光源氏がのちに到達する並びない地位を暗示するために、用意周到な伏線を張ったのかもしれない。

零落した姫君である末摘花が羽織っていたのは、渤海国使がもたらした毛皮の最高級品、ロシアン・セーブルだった。
渤海国から最後の使者が来てから、すでに7、80年が経っている。
黒貂の皮衣は時代遅れの、古ぼけた、異様ともいえる代物に成り下がっていたのだ。
かつてのステイタスを語るだけに、末摘花の現在の窮状には目に余るものがある。
末摘花については、さらに舶載品の秘色(ひそく)青磁にも言及され、女房達のお下がりの貧しい食事が最高級品である越州窯青磁に盛られている様が述べられている。
父宮存命中の華麗な品も今で古ぼけて見えるばかりか「あはれげ」でさえある。

貴族社会では美が何よりも最高度の価値を持っているようだ。
美しさを競い、それに勝利することが、地位の証として機能する。
ブランドを鼻であしらう冷淡さも、ブランド志向を揶揄しながら、裏を返せばそのオーラを否定しきれない弱さをはらむのではないだろうか。
権力を補完するモノの価値は、人々が認める限り減じることはない。

ちなみに吉田兼好は、贅沢品としての唐物に冷ややかな視線を向けていた。
だからこそ、「徒然草」はある種の人々には全く面白くない読み物なのだった。



※ 光源氏が愛した王朝ブランド品  川添房江 著  角川学芸出版(’08.3)

大学病院で眼底の精密検査を受ける

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眼底の白斑は、血管が詰まっているせいかもしれない…
S坂に開業する眼科の先生は、造影剤を入れて調べてみる必要がある、という。
「なるべく早く」と促されると、病院嫌いの私でも、さすがに近日中に検査しなくてはという気になった。

そもそも眼科に通うようになったきっかけは、飛蚊症とかすみ目なのだが、目だけは看過できなかったので紹介状を持参して、あちこちの病院に受診している。
近くの開業医から、順天堂大学病院、杏林大学病院アイセンターでも検査を受けた。
結局原因を特定できず、従って治療法もないままに、今に至るまで経過観察を続けている。
せいぜいドライアイの目薬を点すくらいである。
幸いなことに、老眼鏡を使うこともなく、本を読んでいる。
ただ薄暗くなると、古い文庫本の小さな字は読みづらい。

駅で3つ先のT病院宛の紹介状を書いてもらった。
瞳孔を広げ、造影剤のフルオレサイトを点滴しながら、眼底を撮影。
事前に薬剤の副作用について説明があり、同意書にサインする。
ごくまれにアナフィラキシーショックが起こることがあるが、その時は全職員あげて対応すると告げられ、却って不安になる。
体重を考慮し、腎臓への負担を軽くする意味で、薬剤の量を調節してもらう。
ほとんど副作用の自覚もなく検査終了。
解像度の高い眼底写真を見ながら医師の説明を聞く。
出血痕はぽつぽつと認められるものの、広範囲に出血して黒い影になっている部分はないので、一安心する。
よって今回も継続的な経過観察以外の処方はなし。
レーザー治療やステロイド注射の必要はない。
診断結果はかかりつけの眼科宛に送付するとのこと。

加齢現象というのは馬鹿にできないもので、人間の体というものが日々メンテナンスを必要とする「こわれもの」であることを痛感させられる。
不調のパーツは労わりつつ、最後の日まで有難く大切に使いたい、と思うのだった。


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金曜日には新しい花が届く。
色鮮やかなランとアジサイのアレンジ

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小さな胡蝶蘭の鉢植え。
花弁はほのかに緑色を帯びている。

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玄関前のアプローチにはアナベラの楚々とした姿が。


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6月12日の昼食 棒棒鶏 茄子の味噌炒め ぜんまいのナムルT

源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり

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平安時代は資料が豊富に遺されているわりに研究の進んでいない分野だという(保立道久著「平安王朝」)
その理由は、この時代が6世紀から奈良時代までの古代史研究と、鎌倉時代につながる院政時代の言及にとどまる中世史研究のはざまに位置しているからだといわれる。

折口信夫は、源氏物語の時代における宮廷の力が一般に思われほど大きくなかったと指摘している。
源氏物語の時代は形式的にせよ天皇親政であった延喜の御代を理想として描いたといわれる。
作者の紫式部は一条天皇の后、道長の娘彰子の後宮に仕えることによって、その人間模様と政治をつぶさに観察した。
延喜以上に同時代が物語に反映されないわけがない。
すべてを見通していたかのような紫式部が、何を書き、またあえて書かなかったことは何か…

本書は歴史的事実と物語の関係を解き明かし、源氏物語がよりリアルに今日の読者の前に立ち上がってくるのを助けてくれる。
それにしても人の情というものが、貴賤や時代を問わず、変わらぬ激しさと反応を示すものだということを痛感する。

当時の社会制度のもとでは、女たちは今よりはるかに変転極まりない運命にもてあそばれた。
栄華と洗練を極めた定子の後宮でさえ、後ろ盾となる父や男兄弟が失墜すると、夫一条天皇の寵愛だけではとても持ちこたえられなくなる。
幸運を引き寄せる、あの明るく才気にあふれた定子は、3人の子を産み、25歳という若さで没する。
一方、道長の娘彰子は、定子に比べれば教養や華やかさにおいて見劣りするようだが、道長の絶大なる権力を背景に、大器晩成というか政治的にも発言権を持ち、87歳という長命を保った。

男たちの権力闘争のはざまで、女たちはどのように処世したのだろう。
彰子に仕えた紫式部しかり、定子に仕えた清少納言しかり。
後世に残る文学をものしながら、彼女たちの晩年は定かではない。
物語の登場人物がたどることになる生涯は、今日生きる私たちにも、その生き方の深淵に触れることで強烈な示唆を与えている。

古典が確かに今に生きていることを感じる瞬間がある。
紫式部の娘・大弐三位こと賢子の視点を導入することで、物語はさらに奥行きを増した。


※ 源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり  山本淳子 著
                          朝日新聞社(’07.4)

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紫式部の娘 賢子  田中阿里子 著  徳間文庫(’92.5)

エノラ・ゲイを見た人

夕方から降り始めた雨が、猛然と屋内に吹き込むようになった。
稲光が断続的に瞬き、深夜近くには地震もあった。
考え事をしているうちに眠れなくなり、いつしか時計は一時を回っている。

昨夜は、入居者のお仲間とおしゃべりするうちに長談義となった。
その話が頭を離れず、思いを巡らすうちにすっかり目が冴えてしまったのだ。
入居して一年半以上経つ人、入居一年余という私よりまだ日の浅い人。
それぞれホームの運営に関して多少とも不満を感じているようだ。
(それについては後日記すことになろう)


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カサブランカ開く                 ’20.6.7

寝不足のまま、朝会に出席する。
いつものように今日という日に過去、どのような出来事があったか、担当のスタッフによるリサーチ結果が報告される。
続いてラジオ体操、歌の斉唱があり、お茶の接待でお開きとなる。

最近は、ご夫妻で入所されているY氏が加わるようになった。
先の大戦では特攻隊員だったというY氏の話を伺った。
その日歌った「長崎の鐘」から、話はしぜんと、広島の原爆投下に及ぶ。
気楽な茶話会で伺うには、あまりに酷烈な体験ではある。
聞き間違いは後日訂正することにして、貴重な体験談をとりあえず記しておこう。

当時、呉軍港にいたY氏。
技術のあるY氏は、高射砲陣地で操作法の指導をしていたという。
Y氏が特攻で死なずに済んだのも、その技術が必要とされたからだと以前伺った。

上空を見上げるY氏の目に、B29の機影が写った。
原爆投下に先立つ、偵察機だった。
Y氏はさらに、リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイが広島上空へと飛び去っていくのを目撃している。
間もなく、低空のあり得ない位置に太陽かと見紛う光が見え、やがてきのこ雲が立ち上った。
もちろんそれが原子爆弾であるとは当時だれ一人として知る由もない。
威力のある新型爆弾との認識があるだけだった。

その後、Y氏一行は広島へ救助に向かう。
現在、原爆ドームのある爆心地である。
焼けただれた人々は一様に水を求めた。
持参した缶詰の中身を出して、川の水を汲んで飲ませると、被災者はたちまちこと切れてしまう。
酸鼻な風景を淡々と話すY氏に、驚くことはない。
熱田空襲を体験した母も同じように冷静に当時をふり返る。

黒い雨を浴びて真っ黒になった同僚を見て笑いあう余裕がある。
しかし、Y氏の右耳は爆風に引きちぎられ、今もどこから声が聞こえてくるか分からない、という。

十代で戦争を体験した人もすでに90歳を越える。
風化を憂うる声が年々強くなるが
老人ホームというところはその貴重な体験談を語り聞き伝える場になるのだ。

ちなみにY氏は包丁を研ぐのがお上手だ。
生きて虜囚の辱めを受けず…
17歳の特攻隊員は毎夜、ナイフを研ぐのに余念がなかったという。

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毎週金曜日に、ダンディライオンから花のアレンジ3種が届けられる。
花材の珍しさとアレンジのセンスに、思わずため息が漏れてしまう。

遺伝子工学などのバイオテクノロジーの成果だろう。
カーネーションやバラにも、今まで目にしたことのないような色や形が見られるようになった。
人工の自然と呼ぶべきか…

珍しいということが、人の視線にとっていかに魅力的か、芸能を観察すればよくわかることだ。
新奇性はいつの時代にも、忌避感情にも似た、ある種の不安を呼び起こす一方で、どうしようもなく魅惑する。
そのアンビバレンスがまた人の審美眼を揺さぶるのだ。

ダイニングからロビーへと風の吹き抜ける初夏の一日。
夜中に目覚め、中天に輝く、ほぼ満月に近いストロベリームーンを観た。
この季節には珍しいことだ。



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アルケミラモリス、ドラセナ、ヒペリカム(オトギリソウあるいはビョウヤナギ)

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カーネーション、スターチス、ハイブリッドスターチス、スモークツリー


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カサブランカ、スモークツリー、ハイブリッドスターチス、ドラセナ


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6月6日の満月 ストロベリームーン