愛する源氏物語

02767285_1.png



源氏物語の世界に参入しようとして、違和感や抵抗を覚える人は少なくないだろう。
まず、光源氏という男性が、女性に対してなぜかくも強引、傲慢にふるまうことができるのか。
現代に生きる読者にはなかなかすっきりと理解できないところだ。
時に、自ら女を自由にできる存在であることを明言しながら、迫ってゆく。
何という慢心、自惚れだろうか。

しかし、こう考える我々はまた今日の倫理と約束事の世界に生き、その道徳観によって知らず知らずのうちに光源氏を裁いているに違いない。
源氏物語を一方的に近代文学的視点から読むことができない理由である。
そんな時、折口信夫の卓見は、物語の風通しを良くしてくれる。
人間の深層心理と古代の風俗を蘇らせることによって、源氏物語に神秘な陰影を与えもする。

神がいて為政者がおり、巫女が託宣を述べる世界…
この場合、ほとんど神イコール天皇である。
ならば天皇は万能であるはずだ。
(光源氏はついに、准太上天皇の待遇を得ることになる)
光源氏は女たちに守られながら、政を司る。
そこには確かに古代世界の残影があり、日没前の残照が、華やかにこの世の頂点を照らしている。
紫の上は巫女であり、彼女の死を境に、源氏は急速に失墜するだろう。
紫の上は、美しく利口な、すべてに完璧な優等生だったばかりではないのだ。

折口信夫によれば、私たちが考えるほど昔の宮廷は政治的に大きな力を持っていたわけではないが、信仰上の中心となっていたため、藤原氏はじめ実権を握っていた豪族たちに引き寄せられた。
また、光源氏の一生には深刻な失敗がいくつかあったが、それらを反省し、神に近づく努力を忘れなかった(「反省の文学源氏物語」)
源氏のいろごのみを、宮廷に伝わる特殊な威力と解し、「大貴人にのみ許される自由な生得の力」とする。
以上は、今日の我々にはなかなか理解し難い点であるが、深く源氏を読むためには中世人の心へ分け入ってゆく必要があるということだ。

本書は、源氏物語の中で詠まれた和歌795首から、物語の進行に添って選んだものを、感想を交えながら現代語訳したものだ。
因みに、冒頭で俵万智は、与謝野晶子も窪田空穂も谷崎潤一郎も和歌の現代語訳を避けたことを述べ、瀬戸内寂聴、丸谷才一、橋本治が、地の文に溶け込ませようと工夫を凝らした方法に言及している。
さて、結果は如何…
物語中の和歌から、登場人物の性格や心理、その場の状況を分析してみせてくれるが、和歌そのものに関しては、文語の優美と力強さは、決して口語訳では表現し得ないことを思い知らされる。
若い読者を源氏物語に近づけよう、という努力は敬意に値するけれど…




※ 愛する源氏物語  俵万智 著  文春文庫(’07.4)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント