読書日記

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祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
・・・・・・
あまりにも有名な、平家物語は、冒頭の一節。

目覚ましを鳴らすまいとして起きる時、物語の導入部の言葉がふっと脳裏を過る。
朝6時前。
間もなく丘の下から遠く、寺の鐘の音がかすかに聞こえてくる。
ベランダの閉じられた窓ガラスを通して、ひそかな波動が鼓膜に伝わる。
割れ鐘のような音だ、と思いながらも、その音が耳朶に届くと、反射的に無常観が忍び寄ってくる。

街の景色が違って見えてくる。
すでに生活の喧騒が立ち上ってくるこの台地に、生と死、盛んになりゆくものと衰亡がせめぎあっていることに気づくだろう。

視力が解析するのは、見えるものだけ。
ところが詩の言葉に触れた刹那、見えないもの、隠れたものがたちまち顕現する。
そのマジックを知る者は、言葉の世界を手探りしてやまない。

言葉はどうして生まれたのだろうか…

必ずその根源へと遡行する。
未開の処女地、謎に満ちた世界…

その醍醐味をしばらく忘れていたようである。
谷川俊太郎編「茨木のり子詩集」を読んだ。
詩は倦んだ日常への抵抗である。
そのことを主婦である人の詩が雄弁に語りかけてくる。

茨木のり子がくも膜下出血で死んだのは、西東京市東伏見の自宅だった。
今もピロティ形式の住宅が残されているという。
茨木のり子ゆかりの地として、西東京市を「詩の町」としてクローズアップしてゆこう、という活動が、有志によって行われている。

詩人は、ちょうど私の母の年代にあたる。
青春を戦争によって踏みにじられたものの、反戦の意志、「腐った言葉」に対する強烈な嫌悪、自己の確立への願望、…etc.
すべて、紋切型の言説への反旗である。

もう詩を書く年でもない、と諦めないこと。


※ 茨木のり子詩集 谷川俊太郎・選 岩波文庫(’14.3)

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