萩 夏みかんの実る城下町

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新山口駅で降り、新幹線口から外に出ると、「北門屋敷」と表示した紙を掲げた男性が待っていた。
萩の宿へ直行する送迎バスだった。
瀬戸内海沿岸から日本海に面した萩へと中国山地を縦貫する。
地図を見ると、旧道「萩往還」にほぼ沿っているようだ。
萩往還は維新の志士たちが駆け抜けた道として宣伝されているが、そのはるか前から交易のために人々が往来した古道であろう。
江戸時代、毛利氏によって参勤交代に利用する御成道として整備された。

萩まで約1時間20分。
バスは先に同系列の宿「雁嶋別荘」に寄った。
萩は、中国山地を源流とする阿武川が松本川と橋本川に分かれて日本海に注ぐ、その三角州の上に形成された城下町である。
関ケ原の合戦に敗れた毛利輝元は、萩に入封し指月城(萩城)を築く。
藩庁が山口に移されるまでの約260年、長州藩36万石の城下町として栄えた。

雁嶋別荘は、松本川の右岸から正面に指月山を望む河口の船溜まりに接していた。
一瞬タイムスリップしたかのような錯覚に陥る。
一時代前の懐かしい風景だった。
萩八景の一つ「鶴江の渡し」に近い風光明媚な土地である。

私たちの宿は堀内という、萩城外堀の内側、三の丸跡にあった。
かつて藩の役所や重臣の邸宅の並んでいたところで、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
指月城にも近く、宿を起点に歩く旅には格好の宿に思われた。
維新胎動の地といわれる萩は、実は近代に取り残されたかのように今でも江戸時代の古地図がそのまま町歩きに利用できる土地である。
宿に着いたのが夕方だったので、温泉に入って、アナゴのしゃぶしゃぶが一寸珍しい夕食を頂いて、その日は暮れた。

翌朝、宿の車で「花燃ゆ 大河ドラマ館」まで送ってもらい、萩市内定期観光バスに乗る。
2時間45分かけて、城下町散策を含め、萩反射炉と松陰神社、松陰生誕地と墓所を巡った。
大河ドラマの影響もあり、萩という町は吉田松陰にはじまり、吉田松陰におわるのであった。

ところで、歴代総理大臣62人のうち山口県出身者が何人いるかご存じだろうか。
答えは8人。東京5人、群馬と岩手が4人と続く。
薩長閥の一方、鹿児島県は3人である。
山口県がダントツなのだが、そのうち萩市出身者が3名いる。
山県有朋、桂太郎、田中義一である。
「山口県人は政治談議が好きなのでしょうね」
と、タクシーの運転手さんに水を向けてみると
「そんなこともないですよ」と、拍子抜けする。
いずれにせよ、吉田松陰による教育と強力なアジテートによって、維新の志士が育っていったのだ。
安政の大獄にからみ、29歳で刑死しているのだから、松陰の短い生涯は最期まで青春の真っただ中にあったに違いない。
松陰の立志、学問に対する情熱は、松下村塾の門下生たちに次々に感染したものだろうか…

吉田松陰の、以後の歴史に与えた功罪という点でひとつ興味深い数字がある。
昭和11年から19年にかけて、90冊もの吉田松陰伝が出版されているという。
革命家、テロリストならば、松陰は国家にとって危険極まりない人物である。
それが戦中になると忠君愛国の象徴として、修身の教科書にまで取り上げられるようになった。
知識欲の旺盛な青年は、驚くほど日本各地を旅し、膨大な書物を読み続けた。
松陰の旅日記などはよく売れたそうだ。
ここでひとつ松陰をイデオロギーの軛から解き放ち、旅人としての人物像に焦点を当ててみてはどうだろうか…


※ 冒頭の写真は「北門屋敷」の客室より、堀内の家並み

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以上、北門屋敷にて


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明倫館跡地に建つ萩市立明倫小学校
小学校の体育館が「花燃ゆ 大河ドラマ館」になっている


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久坂玄瑞進撃像 中央公園の一角に平成27年1月に建立された。
吉田松陰は、高杉晋作の識見と久坂玄瑞の才をもってすれば成らぬものはない、と言ったそうである。
萩市中央公園には他に、山県有朋の騎馬像あり。

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城下町を歩く
萩城外堀の外側に広がるエリア。
豪商「菊屋」を中心にして中下級武士の家が並んでいた。
高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅など。
黒板塀と白壁が続く。
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菊屋家住宅
代々萩藩御用達の品物を扱っていた。
現存する最古の町家のひとつで、国指定重要文化財。
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菊屋家住宅


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夏みかんは、明治維新後、困窮する士族救済のために植えられたもの。
明治末には夏みかん栽培は萩の一大産業になったそうである。

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外堀


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萩反射炉
反射炉の操業に成功していた佐賀藩に学び、試作的に築造されたものと推定されている。
反射炉とは、鉄製大砲を鋳造するための溶鉱炉で、現存するのは韮山(静岡県)と萩の2か所だけである。


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鳥居に掲げられた額の文字は、岸信介


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松下村塾の講義室


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吉田松陰幽囚の旧宅
下田密航事件の罪で萩の野山獄に投獄された後、生家の杉家で2年近くの謹慎生活を送った。

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松下村塾
松陰は叔父の玉木文之進からこの私塾を引き継いだ。

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「明治維新胎動之地」 佐藤栄作の揮毫 以上、松陰神社にて


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吉田松陰誕生地よりの眺め
眼下に萩城下町を望む。
松陰の生まれた旧松本村は現在の萩市椿東(ちんとう)にあたる。
下級武士の住まいや農地があった。
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吉田松陰誕生地
護国山の麓、団子岩と呼ばれていた。
松陰が生まれた時の杉家の間取りが復元されている。
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萩博物館にて                               ’15.11.5



                                  
                                           つづく

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