紫式部すまいを語る 王朝文学の建築散歩

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平安時代は温暖化していたらしい。

家の作りやうは、夏をむねとすべし、

鎌倉末期にまとめられたとされる徒然草にはこう述べられている。
さらに

冬はいかなるところにも住まる、暑き比(ころ)わろき住居(すまい)は、堪へ難きことなり(徒然草第五十五段)

現代の日本に住む私たちも、冬は着込みさえすれば何とか凌げるが、高温多湿の夏は逃げ場がないと感じる。
幸いなことに人工的な空調設備を利用して、せめて熱中症にだけはならないで済んでいる。

一昔前までは、「家は夏向き」というのが常識だったような気がする。
家の設計は一年かけて行うのがいい、といわれるのは、夏冬どちらの季節にも住みやすい家をつくるためである。

平安時代の貴族の住居、寝殿造りではどうだったのだろう。
縁に座って、庭のたたずまいに四季の移ろいを感じる。
月影を愛でながら、笛を吹いたり、室内にいる女房達と雑談を交わしたり、…と。
寝殿造りの住宅はひとつも現存していないので、私たちが平安時代の空間をイメージする時、助けになるのが源氏物語絵巻などであるが、絵画的デフォルメがほどこされている上、二次元の世界に限定される。
そこで、現存する建物で参考になるのが、平等院鳳凰堂、厳島神社などであるという。
なるほど、厳島神社の渡り廊下など風が吹きわたり、建物という人工と自然が融合している。
平安貴族の美意識は、いつも自然とともにあっただろう。

建物は軸組み構造で、筋違(すじかい)なども鎌倉時代以降のものらしい。
開口部が広く、屏風、几帳、御簾などで仕切っているのは、源氏物語の叙述からも絵巻からもわかる。
いかにもセキュリティにあまい構造からして、ラブ・アフェアがいともやすやすと行われるわけだ。
たとえ女房の手引きがなかったとしても…

また飛騨の工(たくみ)という優れた工人集団がいたにもかかわらず、耐震性に配慮したあとがあまりみえないのは何故だろう。
地震国日本で、京都には火災も頻繁に起きている。
天災に対しては、日本人は諦念の方がはるかに大きかったのかもしれない。
災禍を防御する構えよりも、自然と共存する喜びを重視したのだろうか。
スクラップ&ビルドは、ある意味で日本の風土の宿命だった。

現在京都には、平安京の遺構と呼べるようなものは、ほとんどない。
東寺、神泉苑くらいだろうか…
せめて王朝文学によって、空間と美意識、身体技法を含めた平安の文化へと遡上してみたいものだ。


※ 紫式部すまいを語る  西和夫 著  TOTO出版(’89.11)

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