光源氏が愛した王朝ブランド品

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本書は、平安時代の「ブランド品」から源氏物語を解読する趣向。
当時の王朝人の美意識があぶり出されることになり、現代のブランド志向と比較してみると、なかなか面白い。

そもそもブランドという言葉は、資本主義社会、大衆社会におけるマーケティング用語なので、王朝人が愛した贅沢な舶来の希少品と全くのイコールではない。
しかし、タイトルにブランドの言葉を入れることによって、所有者の権威と美意識の洗練を誇る、という意味で、現代に共通する、ものに対する欲望を照射している。

本書に取り上げられる「ブランド品」は、毛皮、陶磁器、ガラス器、香水、紙、布(衣装)、調度品(インテリア)、ペットに及ぶ。
そのすべてが太宰府を経由して唐及び渤海国よりもたらされた舶載品である。
時の権力者や富裕層でなければ、決して手に入れることのできない品々だった。

源氏物語の中でまず注目されるのは、末摘花がまとっていた黒貂(ふるき)の皮衣である。
その前に、醜貌の姫君のエピソードが、なぜ源氏物語に挿入されているのか…
考えられるのは、先立つ古物語に醜女を妻とした男の出世譚があるという説だ。
紫式部の筆は、光源氏がのちに到達する並びない地位を暗示するために、用意周到な伏線を張ったのかもしれない。

零落した姫君である末摘花が羽織っていたのは、渤海国使がもたらした毛皮の最高級品、ロシアン・セーブルだった。
渤海国から最後の使者が来てから、すでに7、80年が経っている。
黒貂の皮衣は時代遅れの、古ぼけた、異様ともいえる代物に成り下がっていたのだ。
かつてのステイタスを語るだけに、末摘花の現在の窮状には目に余るものがある。
末摘花については、さらに舶載品の秘色(ひそく)青磁にも言及され、女房達のお下がりの貧しい食事が最高級品である越州窯青磁に盛られている様が述べられている。
父宮存命中の華麗な品も今で古ぼけて見えるばかりか「あはれげ」でさえある。

貴族社会では美が何よりも最高度の価値を持っているようだ。
美しさを競い、それに勝利することが、地位の証として機能する。
ブランドを鼻であしらう冷淡さも、ブランド志向を揶揄しながら、裏を返せばそのオーラを否定しきれない弱さをはらむのではないだろうか。
権力を補完するモノの価値は、人々が認める限り減じることはない。

ちなみに吉田兼好は、贅沢品としての唐物に冷ややかな視線を向けていた。
だからこそ、「徒然草」はある種の人々には全く面白くない読み物なのだった。



※ 光源氏が愛した王朝ブランド品  川添房江 著  角川学芸出版(’08.3)

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この記事へのコメント

ワトソン
2020年06月21日 21:55
1000年ころ、ユーラシア大陸東の辺境の離島国日本には、大陸の品々はたいへんな価値があったでしょう。磁器について知ることを述べます。青磁は後漢(AD25~)でできたようです。ツルツルの滑らかな肌は当時としては玉以外にはなかったと思います。その後中国、朝鮮に広まりますが、ずっと後、秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた陶工が、有田で磁器になる土を見つけます。1600年頃でしょう。中国 朝鮮以外で初です。明VS清の争いで景徳鎮が生産できなくなり、有田焼が脚光を浴びヨーロッパに運ばれます。積出港にすぎない伊万里がブランドとなります。
2020年06月23日 19:57
ワトソンさん、ありがとうございます。
玉の、ある意味フェイクだった陶磁器の清潔な美しさは、それまで木地の食器を使っていた日本人にとって、たいへんな技術革新だったと思います。
衣の方では草木布が木綿になったくらいの。
唐津、有田、伊万里と、窯元を訪ねて友人と歩きまわったことがありました。
ワトソン
2020年08月04日 21:30
リコメントをずいぶん遅れて読みました。
799年に三河にインド?から綿花が伝わったようですが、木綿が普及するのは、ずっと後の戦国時代からです。戦国時代は農業生産(それによる人口増加)や鉄砲製作などが急成長します。戦時特需といっても良いでしょう。
紫式部は木綿を知っていたでしょうか?
羊毛、絹、綿花から糸を作るのはそれほど難しくないと思います。しかし、それを経糸、緯糸として布を作るのは大変な発明だと思います。ですが、それが歴史上に残っていないのです。三河に綿花が伝わったときには、すでに麻の布、絹の布があったでしょう。