これで古典がよくわかる 

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著者の橋本治は、昨年亡くなったばかりだ。
作家として72歳という年齢からもまだ早かったし、ショックというよりとても残念だったことを思い出す。

私にとっては、「桃尻語訳 枕草子」が画期的な著作となった。
以来、古典が身近に感じられるようになり、古典のハードルを低くした功績は見逃せない。
古典がマンガで描かれるようになったのも、著者の仕事があって以降のことだったのではないだろうか。
古典と言えば、岩波の古典文学大系か、新潮日本古典集成を、脚注をたよりに苦労しながら、細々と読み解いていくものという思い込みが強かったようだ。
結局、よく分からないままに、途中で匙を投げてしまう。
立派な蔵書は本棚のお飾りとなった。

作品と読者の間を隔てているスクリーンは、時の経過による書き言葉とその表記法の変容による。
一方橋本治には、人間はいつの時代も変わらない、という基本的スタンスがあって、古典だからといって有難がり過ぎず、何よりも教養主義に陥っていないのがいい。
千年の昔が今、目の前にあるかのように、いとも易々と現代に呼び戻す。
目から鱗が落ちて、一気に霧が晴れると、それまで難解なだけだった作品世界が急に身近なものとして、同時に人生の深淵をかいま見させる豊穣さを供えて、迫ってくるのだ。
登場人物の喜怒哀楽、美しいものへの共感、微細な感情のひだまでも…
まるで隣りの人のそれであるかのように。

「これで古典がよくわかる」は、受験生にも、生きているうちに源氏物語を読んでおきたい、という人にも役に立つ。
自家薬籠中のものとした知識から得た結論を、分かりやすい言葉で、シンプルに表現する。
今まで、どんな権威も今一つ納得させてくれなかった、作品の不透明さ。
それが何なのか、著者自身の思考の過程が、気取りのない直球でくるので、ボールはすとんとグローブにおさまる。

平家物語や徒然草などは、原文のままさほど苦労せずに読むことができるのに、何故、源氏物語はそうならないのか。
日本語がまだ文字を持たなかった時代に生まれた文芸を、漢字を借用することによって、何とか表記したのが万葉集だ。
漢籍を読むのに、書き下し文にする工夫。そこでカタカナが生まれ、ひらがなはもっぱら宮中に仕える女房達が使った。
折口信夫は確か、カタカナは寺から生まれ、ひらがなは女房文学から生まれた、と述べていたようだ。

源氏物語はよく主語が省かれているので分かりにくい、と言われるが、仲間うちで話す日本語をそのまま仮名で表記したからだと考えられる。
それだけ実は、日本語を身近に感じさせる文学ともいえる。
そのあたりのことを、実に平易な解説によって腑に落としてくれるところが、橋下治の真骨頂なのだ。


※ これで古典がよくわかる  橋下治 著  ちくま文庫(’01.12)

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