「私にとっての介護 生きることの一部として」

30038671_1.png


内田樹の最新の著作を検索していた時に見つけたのが本書である。
介護の問題にかかわる専門家、当事者の意見、感想を集めたもので、それぞれ短文なので深く掘り下げられたものではないが、各人各様の言葉で語られた介護は驚くほど多様である。多くの人が介護から逃れることのできない現実を改めて思い知らされた。

内田樹は武道家の見地から、介護される側の心得を伝授してくれた。
合気道の修練は、介護され上手に通じるという。
意地、こだわり、自分らしさを捨てることで自由度がアップする。
常に与えられた状況への「最適化」が図られ、その柔軟な姿勢が「お世話され上手」につながるのだ。

ついこの間まで、介護は見えないシャドーワークだった。
高齢化社会の到来と女性の社会進出によって社会問題化し、20年前ついに介護保険という公的な制度が発足した。

お爺さんを木に登らせて、木を揺すって落ちて来たら、ただちにその首を切り落とすという、確かアメリカインディアンの古いお話があった。
残酷な童話だろうか…
もう一つ紹介する。
アラスカのインディアンの話で、年とったお婆さんを囲み、一族で御馳走をした翌朝、お婆さんはひとり雪原の彼方へと去ってゆくというものだ。
終末期にさしかかった高齢者をどのように遇し、世話してゆくかは、人類の始まりから共同体にとって大きな課題だったと思う。
いかに介護するかは、愛情の問題というより、思想が問われる。
現場はきれいごとばかりではない。
美談にはおさまらない愛憎とエゴのぶつかり合いが出現する。
その時、先達の言葉が支えとなるかもしれない。

体力のある健康な介護者ばかりではない。
老々介護、認々介護…
在宅死を扱ったドキュメンタリー映画「人生をしまう時間(とき)」では、目の見えない娘さんが父親の最期を看取るケースもあった。
これなど障老介護と呼ぶべきか。

こちらの住宅型ホームでも、親を、夫を、妻を見送って、入所された方がほとんどだ。
これからは私のために時間を使うわよ、とばかり元気な女性もいれば、すっかり意気消沈して無気力状態から脱出できない男性もいる。
家族のいる気配だけで、家庭は心穏やかに過ごせる場所だ。
このホームが大きな疑似家庭となるためには、絶えざる意識的な努力が必要とされるはずだ。



※ 私にとっての介護―生きることの一部として 
              岩波書店編集部(編) 岩波書店(’20.1)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント