櫻井よしこ著「何があっても大丈夫」

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櫻井よしこ氏は、右派、右翼、right wing に位置づけられるジャーナリスト、言論人だ。
韓国の従軍慰安婦や徴用工問題では気を吐いた。
詳細な調査を踏まえた上で、左派の主張に切り込む姿勢は、なかなか魅力的に映る。
論戦における冷静さ、話術の巧みさ…に間然とするところがない。

人物に興味をもち、回想記「何があっても大丈夫」を読んだ。
表題は、著者の母親の口癖である。
どんな困難に遭遇しても前向きに対処してきた人の、楽天性と自信をあらわす言葉だ。
一読して、逆境に陥っても決して他人のせいにすることなく、自力で前に進む母親に励まされて、今日の櫻井よしこがあることを知った。

ヴェトナムで生まれ、ハワイ大学で学位をとる。
華やかな国際性を印象づけられるが、物心ついた頃にはすでに実父は去り、女手ひとつで育てられる。
当然、経済的自立も早く、複雑な家庭環境の中で、葛藤を抱えながらも岐路に立つたびに臨機応変に対応してゆく姿勢が清々しい。
ウェットな精神風土の日本人としては、それこそ国際的と評される資質ではないだろうか、と思う。

一方、櫻井よしこ氏に共感しながらも、私が思うのは、「真実を伝える」というジャーナリズムの難しさである。
言論のあり方として、対立軸を鮮明にする手法に、疑いを抱くことがしばしばあるからだ。
左派、右派のレッテル張りをすることによって、問題点が分かりやすくなるという効用はあろう。
しかし、人は、ある時は左派で、ある時は右派ということもあり得る。
ぶれているのではなく、柔軟に客観的に考えれば、問題は自ずと多様な見方を強いる。
ディベートが流行るが、まずレッテル張りを止めて、理解し合い、学び合うという基本に立ち返ってみてはどうだろう。
問題によっては、あるいは判断を留保せねばならないこともあるだろう。
歴史を十分に検証するのは、知り得る限りの事実を発掘した上でのことだ。
イデオロギーが先に立つと、得てして水掛け論に陥りがちだ。
人間は複雑な生きもので、人事は錯綜している。
恨みが目を曇らせ、記憶は変質を免れない。

個人的には、従軍慰安婦及び徴用工の問題では韓国を非難したい。
しかし、例えば「南京大虐殺」ひとつをとっても、現場にいなかった者が真実を知るのはとても難しい。
結局は人間という存在についてどこまで深く考えられるか、がジャーナリズムの基本だと思う。
言論そのものではなく、だれが何を言ったかで世論は動く。
危険であるとともに、時間に追われる現代人にとって、ジャーナリストは代弁者として便利なツールでもあるのだ。


※ 何があっても大丈夫  櫻井よしこ 著  新潮文庫(’14.7)