けものみち

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すでに読んだかもしれない「けものみち」
1965年に映画化され、テレビドラマになること3度。
小倉の松本清張記念館では、成沢民子役が米倉涼子という最新作(2006)のポスターが目立った。

私が観ているのは、1982年NHKの「松本清張シリーズ・けものみち」だ。
鬼頭洪太役の西村晃があまりにリアルだったので、頭の中で小説の鬼頭は完全に西村晃になってしまった。
けれど小説の方を先に読んでいたら、脳軟化症で女色に耽る鬼頭を、西村晃のキャラクターに重ねることはできなかったと思う。
一説に鬼頭のモデルは児玉誉士夫ともいわれる。
満州において軍と結びついて築いた資産が、戦後政財界を操るフィクサーとしての暗躍につながったという。

因みに、この時の民子役は名取裕子、民子を「けものみち」へと誘う男・小滝に山崎努。
本書に既読感があったのはテレビドラマの印象が強かったせいかもしれないし、あまりにも有名な小説だからかもしれない。

「けものみち」とは、法と道徳を守る社会の背後に張り巡らされ、犯罪すら闇に葬られる裏街道のことだ。
裏社会にはちょうど表のネガとなるような組織・人脈が存在している。
社会派としては、売れっ子人気作家の面目躍如といったところだ。
エンターテインメントのサスペンスとしては、民子のイメージが途中で変化したように思えたことと、大団円で次々と登場人物が殺害されてゆく結末に性急さと違和感を覚えて気になった。
松本清張には、夥しい資料からはじめて明らかにされる真実を、小説に盛り込み切れない、といったもどかしさがあったのだろう。

いずれにしても正規のルート、正当な手続きから外れた、裏口が、社会のそこここに存在する。
どの程度を許容範囲とするかは、時代によって違ってくるだろう。
暴く人がいて、小市民はようやくその裏道に気づかされる。
また裏社会が全く存在しない、清廉、清潔な表社会というものも想像できない。
清濁の両面があってはじめて人間の面白さがあるのかもしれない。
それが社会派サスペンスのスリルへと続いている。


※ けものみち(上)(下)  松本清張 著  新潮文庫(’05.12) 

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