戦争は女の顔をしていない

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旧ソヴィエトが第二次世界大戦で対独戦をたたかった当時の、動員された女性たちの聞き書き集。
その数は百万人を越えるという。
多くは10代の少女たちで、祖国を守れ!というスターリンの檄を素直に受け入れ、愛国心に燃えて、前線で戦うことを自ら志願した女性たちだった。

著者が取材を開始したのは1978年。出版するに当たっては大きな困難が伴い、完成後2年間は出版できなかったという。
戦争について書かれた書物は夥しいが、戦争の世紀である20cという遠くない現代史を語る女たちの生の声は、生々しい。
反戦を理屈や理念で説くよりも、従軍女性が見た過酷な戦場と女性特有の心身にあらわれた反応こそ、今を生きる私たちに、平和を維持する決意を新たにさせるものだろう。
終戦後、彼女たちが経験した無理解と、治癒の過程とその不可能性。

日常の裂け目に戦争がみえる。
総力戦をたたかう戦時おいて、平和な日常では決して見えなかった現実が姿をあらわす。
生きて帰れても、もう二度と人間にはもどれないだろう、という非人間的な風景…

時に戦場で、死を身近に感じるがゆえの、朝の大地の美しさ。
(絶滅収容所での体験のなかに、「詩」が生まれる)
最後まで人間でいるために、決して発動させてはならない、戦争という魔物。
それは、何も解決しないどころか、無数の計量できない悲劇を産み落とす。
戦争は抽象で、軍隊は永遠にお飾りであるべきだ。

本書を読み終えた後、戦記物やイデオロギーなどの大きな物語より、ひとりひとりの小さな物語こそかけがえの無い人間的な物語であることを確信する。
この本には、戦場における、驚くべき具体的な事象と感情の極北が示されている。



※ 戦争は女の顔をしていない
         スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 著
         岩波書店(’16.2)

終戦記念日をひかえて 読書日記

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参院選の結果、過半数に達した与党勢力も改憲に必要な議席数2/3を獲得できなかった。
これから野党が切り崩されないことを願うが、正直なところひとまずほっとした。

米中の貿易摩擦、北朝鮮問題、日韓の対立、資源や領土問題、…etc.
過去の世界大戦の勃発を顧みると、戦争になってもおかしくない状況が頻発している。
戦争をはじめる人間はいつも戦争を知らない世代である、という言葉がある。
戦争が不用意な一発の銃声によってはじまり、泥沼化してゆく現実を体験している政治家なら、彼がタカ派であろうと慎重にふるまうはずだ。
戦争体験者がいなくなり、現代史が風化してゆくのをあらゆる手立てを駆使して、阻止しなければならない。

今、80代から90代で元気な高齢者なら、強烈な戦争体験を経ているはずだし、中にはトラウマに悩まされている人もいるかもしれない。
先日、接骨院のリハビリで93歳の女性に隣り合わせた。
山梨の農家に生まれ、米やサツマイモと交換するために着物を持参する人たちのことをよく覚えていた。
農家とはいえ、米を供出させられ、自分たちはふすまの団子を食べていた、という。
母が同年代であることを告げると
「お母さんにはやさしくしてあげてね」という言葉に、体験者ならではの説得力があった。

実際、終戦間近に名古屋の軍需工場で栄養士をしていた母は、空襲と地震(戦争中の事なので秘匿された)を経験している。
故郷の祖母(私には曾祖母)は名古屋に空襲があると聞くたびに、仏壇の前で手を合わせていたという。
帰郷後、祖母に言われたのは
「おまえは、これから好きなように生きていけばよい」の一言だったそうだ。
それほど過酷な体験だったことは、私もよく話を聞かされるので、多少とも追体験できそうな気がするのだが、あくまで想像に過ぎない。
一方、亡父は母にほとんど戦争のことを話さなかったという。
墓場まで持ち込まれた無数の真実がある。

「原節子の真実」を読んだ。
同じ著者による、銀座の伝説的バーのマダムを描いた「おそめ」を読んだことがあった。
「永遠の処女」と呼ばれたスーパースターの評伝も、戦争あるいは男社会、という切り口で読むと意義深い。
戦意高揚に駆り出された映画人に、総力戦をたたかう時代にあって、どうような選択が可能だっただろか。
あなたたちには分からない。あの時代を…
という母の言葉がいつも厚い障壁となって、私の歴史理解を妨げる。

遅まきながら松本清張の「日本の黒い霧」を読む。
敗戦後GHQ支配下で様々な怪事件が連続して起きている。
松本史観は、GHQ内部の勢力争いにリンクさせて、それらの事件を読み解こうとしている。
膨大な資料を収集し、一般に陰謀史観と呼ばれる深読みを批判する向きもないではない。
「革命を売る男・伊藤律」では、実際、伊藤律が中国より帰還して、作家の錯誤が指摘されることになった。
事実は多面体をなし、観察者は複眼思考を必要とする。
一方、将棋の盤面を複雑に考えすぎてしまうのも、素人がおちいりやすい陥穽だろう。
今を生きる我々には、今の現状が理解できないということがある。

戦争が何も解決しないことは歴史が示す通りだ。
(第二次世界大戦の勝者は、アメリカだけだった)


※ 原節子の真実  石井妙子 著  新潮文庫(’19.1)



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戦争は女の顔をしていない  
  スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 著  
  岩波現代文庫(’16.2)
ソ連では第二次世界大戦で、看護婦や軍医だけでなく敵を殺す兵員として、100万人以上の女性が従軍したという。パルチザン部隊や非合法の抵抗運動に参加した女性たちもいた。
彼女たちの聞き書き集。
「もっと早く、戦後すぐの頃に訊ねて回って書き取るべきだったの」
生存者がいるうちに本書が書かれたことに感謝したい。

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日本の黒い霧(上)(下)  松本清張 著  文春文庫(’04.12)


ベランダの掃除

週末に実家へ帰るという生活が続いている。
30年暮らした土地との地縁は切れず、会合に顔を出すついでに、持ち物の整理を兼ねて数日滞在することになる。
ホームでの生活に慣れるに従い、長年暮らした家よりまだ3か月に満たないホームの方が居心地よくなってゆく。

渡る世間に鬼はない、の諺通り、新たな知り合いができ、日に日に生活しやすくなってゆくのは確かだ。
しかし、それも少しでも余裕のある年代だから言えることかもしれない。
70代、80代になれば、住み慣れた土地、勝手知ったる我が家に最後まで住み続けることが、かけがえの無い安心の条件になるだろう。
いろいろな意味で私にとって、今度の移転はちょうどよい潮時だったのだとつくづく思う。

昨日はスタッフのひとりに、ベランダの掃除とガラス拭きをお願いした。
どちらも介護保険ではしてもらえない仕事である。
住宅型老人ホームのよいところは、プライバシーが守られ、自宅のように自由に生活できるところだ。
その分サービスは限られてくるので、何か手伝ってもらいたいのであれば介護保険制度を利用することになる。
このホームでは、15分以内の手助けであれば、ナースコールでスタッフを呼び出すことができる。
(昨今は人手不足のためコールに対応しきれない施設もあると聞く。人材の不足を派遣で補うと、今度は仕事が無責任になりがちとか)
浴室やトイレには緊急時のブザーが設置されている。
事務所との交信はナースコールを通じて行う。
常勤の看護師がいるので、病院のこと、体調の管理などについて相談にのってもらえる。
ただ「住宅型」ということで、どこまで介入してよいものか、当の看護師も迷うことがあるという。

今朝、今夜は天ぷらなので、揚げたてが食べられるように6時まで(ダイニングに)来てくださいね、と言われた。
きめ細やかな気遣いは、まだ入居者の人数が少ないからだろうか。
仕事とはいえ、アット・ホームな雰囲気と微妙な距離感は、このホームの基本的な姿勢として今後も維持されることを願っている。



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7月24日の夕食 盛りだくさんの天ぷら(鱧、ズッキーニ、カボチャ、マイタケ、なす、人参) 冷やし茶碗蒸し ひじきの煮物
淡泊な鱧は、夏の味覚として京料理には欠かせないものだけれど、関東であまり食べられないものだ。

福祉ネイル

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お化粧をすることによって脳が活性化する。
ひいては認知症の予防につながる…
男性では、髪を染めることによって、見た目ばかりか実際に若返る。
そんな話を聞いた覚えはある。

同じような効果が、爪を彩ることで得られるというのだ。
プールに通っていた時、赤のペディキュアをすると楽しいわよ。
と、言う人がいた。
水底の青い色に映えて確かにきれいだろう。

お化粧した自分の顔は見えないけれど、爪なら頻繁に視界に入る。
パールの入ったベージュ、ゴールドの煌めきをふくんだオレンジ、…etc.
色と光がちらりとでも目を射れば、何となくハッピーになる。
自己満足の最たるものだ。

ホームで行われたネイルの体験講習に参加してみた。
最初は見学、取材だけ、と思っていたのだけれど、並んだマニキュアの瓶の、ニュアンスに富んだ色のグラデーションを見ているうちに、爪に塗ったらどんな感じかしら…
と、ふと体験してみたくなった。
施術者?は福祉ネイリストの真島佳世子さん。
一般社団法人で日本保健福祉ネイリスト協会というのがあることを知った。
マニキュアをするだけで、認知症の問題行動が改善したという研究報告もあるそうだ。
熟練したネイリストがマニキュアをていねいに施してくれる。
そのこと自体がささやかなコミュニケーション。
ふだんはないがしろにされがちな爪がまるで、パールを帯びて輝く宝石のようだ。

心が満たされれば当然、問題行動は減るだろう。
ネイルという手軽な手法がそれに少しでも役立てば、是非試してみよう。




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                                   ’19.7.16


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7月17日の昼食 ぶっけけ冷や汁うどん、ゴーヤの卵炒め、おにぎり、大根の梅じゃこ和え







読書日記

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祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
・・・・・・
あまりにも有名な、平家物語は、冒頭の一節。

目覚ましを鳴らすまいとして起きる時、物語の導入部の言葉がふっと脳裏を過る。
朝6時前。
間もなく丘の下から遠く、寺の鐘の音がかすかに聞こえてくる。
ベランダの閉じられた窓ガラスを通して、ひそかな波動が鼓膜に伝わる。
割れ鐘のような音だ、と思いながらも、その音が耳朶に届くと、反射的に無常観が忍び寄ってくる。

街の景色が違って見えてくる。
すでに生活の喧騒が立ち上ってくるこの台地に、生と死、盛んになりゆくものと衰亡がせめぎあっていることに気づくだろう。

視力が解析するのは、見えるものだけ。
ところが詩の言葉に触れた刹那、見えないもの、隠れたものがたちまち顕現する。
そのマジックを知る者は、言葉の世界を手探りしてやまない。

言葉はどうして生まれたのだろうか…

必ずその根源へと遡行する。
未開の処女地、謎に満ちた世界…

その醍醐味をしばらく忘れていたようである。
谷川俊太郎編「茨木のり子詩集」を読んだ。
詩は倦んだ日常への抵抗である。
そのことを主婦である人の詩が雄弁に語りかけてくる。

茨木のり子がくも膜下出血で死んだのは、西東京市東伏見の自宅だった。
今もピロティ形式の住宅が残されているという。
茨木のり子ゆかりの地として、西東京市を「詩の町」としてクローズアップしてゆこう、という活動が、有志によって行われている。

詩人は、ちょうど私の母の年代にあたる。
青春を戦争によって踏みにじられたものの、反戦の意志、「腐った言葉」に対する強烈な嫌悪、自己の確立への願望、…etc.
すべて、紋切型の言説への反旗である。

もう詩を書く年でもない、と諦めないこと。


※ 茨木のり子詩集 谷川俊太郎・選 岩波文庫(’14.3)

ホーム見学の方と、フレンチの昼食をいただきました

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家庭で日に三度の食事を、イーチミール・パーフェクトでつくるのは無理だろう。
それが、ホームでは上げ膳据え膳。
専門家が栄養のバランスを考えた上で、カロリーと塩分を計算して、メニューをつくる。

料理長ご自慢のフレンチと和食を、それぞれ土曜日と日曜日に見学者を迎えた席でご相伴した。
ふだんのホームの食事は、管理栄養士のつくるメニューに従って調理される。
二日間の会食は、その決まりから自由になって、料理長が腕を揮う、格好の機会だそうだ。

土曜日のフレンチは、ワインがないのが不思議なほど、本格的なフランス料理。
日曜日の今日は和食で、六角形の二つの箱に詰められた、焼き物、揚げ物、煮物、鰻の蒲焼ご飯、…etc.
お正月がきたかのような、晴れがましいお膳だった。

調理は義務的仕事でもあるが、一方楽しみでもある。
料理に力を入れているホームなので、毎食自分の手を煩わせることなく美味しい食事が頂ける。
それでも、飽きることもあり、或いは家庭の味を懐かしむせいか、自分で調理する方もいる。
住宅型ホームなのでそこは自由だ。

私はせっかくの食事サービス、徹底して利用させてもらおうと思って、このホームに越して来た。
そして2カ月以上が経つけれど、調理にまつわる仕事から解放されてみると、人はほんとにわずかのものだけで生活できることを実感する。
私の部屋には電子レンジもオーブントースターもない。
IHもまだ未使用のまま。
新たに購入した白物家電は、冷蔵庫とドラム式洗濯機だけだ。

いまや単身者世帯が三分の一、小家族の家庭では本格的な調理はできないのではないかとも思う。

奥様が入院されて家事一切をこなしているという見学者の話を伺った。
ご夫妻で施設への入居を検討されるのももっともだと思う。
家事と介護、高齢になってすべてを担うのは、想像以上に困難なことだから。


※ 冒頭の写真は、毎朝ラジオ体操の後の用意されるようになった、デトックス・ウォーターです。
  この日は、ライムとレモンの入った冷水と、マテ茶がサービスされました。


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毎朝ラジオ体操の行われるロビーより


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前菜 自家製パテ・ド・カンパーニュ、トマトとモッツァレラのカプレーゼ、かつおのカルパッチョ、サーモンのマリネ


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パンプキンスープ


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鰆のポワレ


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牛ステーキ 料理長から肉の部位について「いちぼ」だという説明を受けた

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ケーキとフルーツの盛り合わせ                           ’19.7.13

ボサノバ コンサート

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ホームに帰り着くなり
「これからボサノバのコンサートがあるんですよ」
という、ホーム長の笑顔に出会った。

久しく聴いていないなあ…
何とラッキーなこと!
間がいいことに、予定より少し早目に帰ってきたのだ。

デッキからの眺めを背景に、ギターの演奏と肩の凝らないボーカルが、昼下がりのダイニングを流れてゆく。
ボサノバはこんなアット・ホームなコンサートにぴったりだ。
曲目は以下の通り。

イパネマの娘
「黒いオルフェ」より カーニバルの夜
ギフト

コーヒールンバ
黄昏のビギン
愛の讃歌

「いそしぎ」より The Shadow of Your Smile
「ティファニーで朝食を」より ムーン・リバー

スマイル アゲイン

アンコールに応え
どうぞそのまま(丸山圭子)

いい曲ばかりだ。
歌は田坂香良子 ギターは木村純
このデュオの9年前の映像と音がYou Tubeにありました。

生演奏は、その波動が心身に直に働きかける。
身体はすっぽりと音楽に包まれる。
今日では音源はどこでも自由に手に入るが、生は貴重だ。
アコースティックギターのやわらかな弦の震え、ハスキーな歌声に、存分にα波が発生した。
演奏者によれば、この場所はかなり音響がよいようだ。

このミニコンサートは、ホームの見学者のために企画されたとか。
ちょうど間に合って一緒に楽しませて頂いた。
再演をお願いしたい。





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7月5日の昼食 蒸し鶏香味ソース 卵豆腐の海老あんかけ きのこの当座煮


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紫陽花とピンクのカサブランカ、ギボウシを添えた素敵なアレンジメント
廊下の一角に置いて、しばし楽しませてもらいました。

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7月10日の昼食 オムライス ゴーヤサラダ コンソメスープ
オムライスは調理長自慢の定番メニュー

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7月10日の夕食 赤魚の揚げ煮 れんこんのカレー炒め ほうれん草のお浸し

この町の住人になれるだろうか

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実家のある町の選挙管理委員会より参議院議員選挙の知らせが届いている。
新住所への転入が4月3日以降の選挙人は、前の住所地で投票することができるという。
投票の仕方に二通りあり、ひとつは期日前投票である。
他は、不在者投票で、転出した自治体へ、現住所地に投票用紙等の送付を請求して、現住所地で投票する方法だそうだ。
たまたま他の用事もあるので、期日前投票を前住所地で行うことにした。

ベランダから西日に照らされた町を眺めながら、しみじみ思う。
この町の新しい住人として、しっかりと足を地につけて生きてゆくことができるのだろうか、と。
住み慣れた土地で最後まで生活することが幸せのように言われているけれど、本当だろうか、…と少々懐疑的だった私も、この頃になってようやく「住み慣れた土地」の持つ意味が分かり始めたようだ。
長年の習慣と交流が継続できる町…
ホームの所在地が未知に等しい土地だったので、期待の方が上回っていた私は、まだまだ老成していないのだと思う。

「よく決心なさいましたね」
と言われて、ことの重大さを改めて認識する私がいる。

この町の風景に馴染んだ私とは、一体どんな私なのだろうか。
一所不住を理想と考え、それを人間の宿命のように感じていた私だったけれど…

ホームの入居者は近くに家のあった人が多い。
都市型、住宅型の場合、私のような例は少数派だろう。

※ ホームの生活でありがたいのは、一に食事の提供、二に共同浴場




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7月3日 お昼の献立
豚丼、胡瓜とわかめの酢の物、温泉卵

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7月3日 夕食の献立
茄子のミートグラタン、ズッキーニのソテー、とうもろこしの冷製スープ

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7月4日 夕食の献立
鮭の幽庵焼き、がんもの煮物、青梗菜

ミニクラス会

突然、電話からA氏の声。
大学で同じクラスだった、同期の仲間の集いがこうして始まった。
よくぞ電話をしてくれました。
お酒も入って、すっかり肩の力も抜けていたのでしょう。

しばしば互いに連絡を取り合っていたメンバーはいても、意識的に定期的に集まるようになったのは、ここ最近のことだ。
たまたまネットで検索してヒットした店もよかった。
鮮魚と日本酒が最高に美味しい、神楽坂の店。
そろそろ節酒を心がける年代になっても、気の置けない仲間となら、しぜんお酒がすすむ。

今回集まったのは8名。
卒業して、半世紀近くが経とうとしていた。
すぐに分かる顔もある一方、にわかには思い出せない顔もある。
それでも話すうちに追々面影が蘇ってくるのは、若かったせいだ。
未熟だけれど、記憶力だけはよかったのだ。
アウトプットは覚束なくても、インプットは鮮明だ。

大学時代の思い出話を交わすうち、今さらながらに知るような事実もあり
ああ、そうだったのか、と遅ればせに気づいて、忸怩たる苦い思いも…
とはいえ、歳月はすべてを時効にしてしまうだろう。
三つ子の魂百まで、と言うけれど
「変わらないね」と、肩を叩きたくなるような懐かしさもこみ上げる。

魚検定2級所持者と営業職で鍛えた弁舌の持ち主の接待がすっかり気に入って
(魚の鮮度がよく、日本酒の品ぞろえに感動したのはもちろんのこと)
神楽坂のその店がミニクラスの定番会場になった。

仲間にS氏の訃報を知らされた。
永遠の別れの便りを風に聞く年代へと差しかかった。
「今のうちに会っておこう。この会をもっと広げていこう」
と、仲間のひとりが言った。
3.11以来、私たち共通の思いだろう。
約束ばかりで、再会叶わず、結局それで最後となってしまう別れがいかに多いことか。
悔悟がその後の人生に、悲しい後味を残してしまう。

2次会へと男性陣は去って行った。
引き留めてくれなかったことがちょっぴり不満だったけれど
ひとり地下鉄への階段を下りた。


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7月1日 夕食の献立は、鶏肉の治部煮、キャベツの梅じゃこ和え、さつま揚げのピリ辛炒め
すでに日暮れが早くなっているのを感じます