歴史と文学の町 小倉を歩く

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北九州出身やゆかりの作家というとまず、松本清張、火野葦平、俳人の杉田久女、…etc.
森鴎外は軍医として小倉に赴任、約3年を過ごしている。
その時「小倉日記」を残しており、一時行方知れずになっていたその日記を探索する物語「或る『小倉日記』伝」を松本清張が書いている。
小倉に出生届を出している松本清張は特に北九州と縁が深い。
工場群の夜景を見た翌日ということもあって、その才能を生かし切ることのできなかった市井の人々の物語が胸を打つ。

いずれにせよ北九州は文学散歩だろう、と思い、観光案内所で「小倉まちなか文学散歩コース」というパンフレットをもらってきていた。
月曜日なので、残念ながら市立文学館は休館日にあたっていたが、松本清張記念館は開館しているという。

小倉城へタクシーを走らせ、エレベーターで天守に上れるようリニューアルされた小倉城を見学した。
天守閣まであの梯子段のような階段を上らずにすむのは、珍しい。
小倉城天守閣内部が全面改装されてオ-プンしたのはほんの2か月ほど前のことだ。
小倉城の歴史を解説する展示物を観たあと、天守閣の最上階で小倉の町の360度の展望を楽しんだ。

小倉城は、中国地方を領有した毛利氏の築城にはじまり、関ケ原の合戦で功のあった細川忠興が入国してから本格的な築城が行われ城下町が形成された。
細川氏が熊本に転封となった後、細川氏と姻戚関係にある譜代大名の小笠原氏が入国。
小笠原氏は徳川家光より、九州の大名を監視する特命を受けていたという。
小倉は九州各地に通じる街道の起点であった。
城内の下屋敷に池泉回遊式庭園を築いたのはその5代目藩主である。
幕末期には長州を攻める幕府の拠点となって、逆に長州藩軍に攻められ落城する。

その後、松本清張記念館へ。
杉並区高井戸の自宅を移したという、書庫が圧巻である。
何年か前、大阪の司馬遼太郎記念館を訪ねたことがあったが、吹き抜け空間を圧する書棚が作家の仕事を象徴する装置になっていたのを思い出した。
清張記念館は開館21年目にあたる。
司馬遼太郎記念館はその後の開設になるので、やはり清張記念館にインスパイアされたのだろう、と推測する。
文藝春秋創刊1000号記念特集号では、同誌への執筆回数を相撲番付になぞらえて、清張を東横綱、司馬遼太郎を東大関としている。
いずれにせよ今日の作家で記念館まで設立される売れっ子がいるかと考えた時、活字離れが進む時代にあって、すでに文学そのものが古色を帯びた骨とう品のようなものになってしまったような気がしたのだった。

新宿育ちの友人は愛人のもとへ通う松本清張の姿をよく見かけたものだという。




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ステーションホテル小倉
7階ロビー階テラスよりの眺め
八幡製鉄所はじめ洞海湾沿いの工場地帯が遠望される

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旧第十二師団司令部の正門
この本丸跡に建てられた司令部の正門は明治31年当時のもの
明治32年(1899)6月から第十二師団の軍医部長を務めた森鴎外もこの門を通って登庁した。
なお、ここは鉄門(くろがねもん)跡で、武士の登城口だった。
藩主・家老などごく限られたものは槻門(けやきもん)を通った。

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宮本武蔵と佐々木小次郎の碑
宮本武蔵は、小倉藩(細川藩時代)の剣術指南役だった佐々木小次郎と巌流島(舟島)で決闘を行った。
養子の伊織が小笠原藩の家老だったこともあり、武蔵の生涯で最も長い7年間を小倉で過ごした。
「吾家は小笠原家に遺し、吾技は細川家に遺す」と語ったと伝えられる。

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小倉城天守閣
現在の天守閣は1959年に復興されたものである。
細川忠興が築城した当時の天守閣は、最上層の入母屋風破風以外に破風が無い簡素な外観だったという。
「唐造り(南蛮造り)」と称された当時の天守は、当代一流の茶人であり、文化人であった忠興の美意識を反映したものであり、視察が訪れるほどの評判を呼んだ。
この天守は天保8年(1837)の失火により御殿とともに焼失している。
現在の天守は、鉄筋コンクリート構造。
建設資金を提供した地元商工会の要望により、大入母屋破風や千鳥破風、唐破風などが付け加えられた。
よって忠興築城の際の個性的な外観は失われ、いかにもお城らしい天守閣になっている。
残念なことだ。
(このようにして史実は曲げられ、通俗的な見世物になってしまうのだらう)

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大太鼓
藩政時代、小倉城天守閣の最上階に置かれていて、事あるごとに城下の人々に急を告げていたと伝えられる。
ケヤキ作りで牛一頭分の皮が使われている。
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天守閣より南側の眺め
中央、ブルーの屋根は北九州市立文学館と市立図書館
背後の山並みの右手は皿倉山

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天守閣より北側の眺め
カラフルな建物は、リバーウォーク北九州
文化・芸術・情報発信・商業などの大型複合施設
右下の鳥居は八坂神社
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天守閣より西側の眺め
山並みの中央は高塔山 
目を凝らすと、中央の建物の背後に若戸大橋が小さく見える。


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天守閣より東側の眺め
足下に小倉城庭園 背後の山並み、中央右手に小文字山
右手に半分見える建物は北九州市役所庁舎
紫川が南北に流れる。

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北九州市役所庁舎

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小倉城の石垣は、切り石ではなくすべて野面積みと呼ばれるもの
天守閣造営は普請、石垣は作事の分野ということになろう。
普請は身分制社会の権威をあらわす構造物をつくり、作事は技術者集団の手わざのあとを伝える。

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松本清張記念館


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杉並区浜田山にあった自宅を再現している。
応接間はベテランあるいは新人の編集者と対面し、作品がはじめて外部と接する場所であった。

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蔵書は約3万冊


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小倉城庭園
天守閣を借景とする池泉回遊式庭園

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小倉城庭園
結婚式の二人を撮影している。
背後の建物は北九州市役所
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書院より庭園を眺める


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池面が周囲よりかなり低くなっている。
これを「のぞき池」というそうだ。
書院の広縁より庭全体を見渡すことができる。

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小倉城庭園には展示棟があり、常設展示では「礼法」の歴史が紹介されていた。
また少しではあるが杉田久女に関する展示もあり。
企画展示は「猫」がテーマ

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八坂神社の鳥居より


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リバーウォーク北九州                          ’19.6.10




                                         つづく 

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