夢殿にて

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一体、誰がいつ
この八角円堂を「夢殿」と名づけたのだろうか。
(一説に、聖徳太子が瞑想にふけった建物の名であったという)
現実が、骨肉相食む、凄惨な権力闘争の巷であったからこそ、「夢」の一字に託す希求の大きかったことを思う。
聖徳太子の時代に限らず、世が乱れる度に、平和という夢が人々の心に強く刻まれる。

夢殿を中心に構成される東院は、聖徳太子の斑鳩宮があったところだ。
日本書紀には、山背大兄王が蘇我入鹿の襲撃を逃れ山に入った後、再び斑鳩宮に戻り、自決したことが記されている。
その時、斑鳩宮は焼亡したとみられる。
東院伽藍の修理の際に、焼土の下から掘立柱の遺構が見つかっている。
百年近くの歳月が流れ、夢殿に救世観音とともにその乾漆像が安置されている行信僧都が、聖徳太子の冥福を祈るために「上宮王院」を建立した。
夢殿に祀られている救世観音はフェノロサによって開扉されるまで秘仏とされ、白布に包まれていたことはよく知られている。
現在も特別公開の日を除いて厨子の扉はかたく閉じられたままだ。
救世観音は聖徳太子の等身大の像ともいわれ、聖徳太子その人の実在性とともに、謎を投げかけている。

夢殿の周囲をめぐる廻廊が、絵殿・舎利殿に接続していて、いつもは閉じている通路を観光客が盛んに出入りしていた。
通路は伝法堂へと続いており、今日は特別に拝観できるようになっていた。
薄暗い中にずらりと仏像が並んでいる。
乾漆の阿弥陀三尊の三組はすべて奈良時代のものである。
法隆寺の底力というか、火災にも遭わず、今に天平の息吹を伝える仏像群に溜息がもれた。

最後にもう一度、夢殿の屋根の頂きを、礼堂の縁から眺めた。
五月上旬並みという、汗ばむほどの一日であったが、美しい露盤と宝珠の背景は一点の曇りもない青空というわけにはいかなかった。

悪夢を善夢にかえるという
ファンタスティックな夢違観音は、太子一代の事績を描き祀る絵殿の本尊だったそうだ。




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夢殿の模型 法隆寺iセンターにて


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東大門


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四脚門


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夢殿


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礼堂の縁より夢殿を眺める


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左絵伝、右舎利殿 真ん中の通路の奥に伝法堂


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東大門から続く築地塀                        ’10.2.25




                                        つづく

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この記事へのコメント

2010年03月01日 07:47
空さま
いい旅をしていますね。 法隆寺には小学校の修学旅行後に行ってないので再び訪ねてみたいです。夢殿に祀られている救世観音をフェノロサが裸にしたのは恐れ多いことでしたが排仏毀損釈の時代だからこそ出来たのではないでしょうか。 
2010年03月01日 14:22
こんにちは!
夢殿の存在を初めて知ったのは、確か何円札か忘れたけど、お札の裏に描かれていたんじゃないかな?
そして、初めて見た時(高校の修学旅行でした)に思ったより小さい建物だったことが印象に残っています。
でも「これが夢殿か~!」となかなか立ち去りがたかったのも事実で、級友に「おいてくぞ~!」と促されたものです。
空さんの写真には夢殿全景が写っていますが、その時全景を収めようとしたんですが、収まりきらなかった記憶があるんですが、なんでだったのかな?
>秘仏    信仰の対象だからと普段は公開していない仏像が多いんですが、ヨーロッパではほとんどそんな目にあったことってありませんね。教会の内部でも三脚、フラッシュさへ無ければ撮影OKも多いし、日本人って隠したがり?
2010年03月01日 21:27
白象さん、ありがとうございます。
確かに、仏教の排斥という風潮あったればこその英断だったのでしょう。
太子信仰という民間信仰及び迷信が、寺を存続させる原動力だったかな、とも思います。
2010年03月01日 21:39
midyさん、ありがとうございます。
夢殿がおさまりきれなかったのは、廻廊と夢殿の距離がないからでしょう。
もう少し夢殿の周囲にスペースがあった方が伽藍配置としてはバランスがとれますよね。
少なくとも京都の東本願寺では内部の撮影OKでした。
金持ちは鷹揚なものと感心しました(^_^;)
アッシジの聖フランチェスコ大聖堂では、ボランティアが写真撮影には目を光らせていました。未だに聖フランチェスコの人気が高いことを思い知らされたものです。
2010年03月03日 14:00
今日は。
何時訪ねても重みを感じる風景です。
夢殿の相輪の形に特徴があり、他の法輪と違っていて、
とても興味を示したものでした。
光芒・・・独特ですね。
随分以前になりますが、一度だけ特別公開の日救世観音を拝顔したことがあります。
暗かったのでお顔がはっきり拝顔できなかったことのみが残っています。
2010年03月03日 21:20
やろいさん、ありがとうございます。
土地っ子のやろいさんには、お恥ずかしいようなレポートです。
あしからず。
救世観音、写真集などで接しているせいか、拝見した気になっていますが。
凄く生々しい印象のある仏像だそうですね。
omachi
2019年10月11日 21:50
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。

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