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zoom RSS テーマ「歴史」のブログ記事

みんなの「歴史」ブログ

タイトル 日 時
寒い夜は、早くベッドに入って本を読もう
寒い夜は、早くベッドに入って本を読もう 小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代                      阿古真理 著  新潮社(’15.5) ...続きを見る

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2017/12/11 17:41
読書あれこれ
読書あれこれ 時発言局!読書の現場から 上野千鶴子 著 WAVE出版’(’17.2) ...続きを見る

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2017/11/27 22:25
伊香保拾遺 石段街とハワイ王国公使別邸
伊香保拾遺 石段街とハワイ王国公使別邸 木枯らし一号の吹いた日、空っ風で有名な上州は伊香保へ。 到着日は竹久夢二伊香保記念館で半日を過ごし、宿の湯で疲れを癒した。 ...続きを見る

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2017/11/23 18:38
父・伊藤律 ある家族の「戦後」
父・伊藤律 ある家族の「戦後」 共産党の元幹部・伊藤律が中国より帰国したのは1980年9月3日のことだった。 私たちの日常の平安は、衝撃的なニュースによって破られた。 1974年に小野田寛郎がフィリピンのルバング島から帰還した時と同じようなショックを覚えたものだ。 戦中戦後の激動の時代から30年近く経ち、生死不明のまま、いつか人の口の端にものぼらなくなる それがまるで浦島太郎のように、どこかに当時の面影を留め、或いは時代錯誤の軍服に身を包んで現れたのだから、戦後の好況にわく私たちに異様な衝撃を与えたのは... ...続きを見る

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2017/10/21 18:30
知ってはいけない 隠された日本支配の構造
知ってはいけない 隠された日本支配の構造 「知ってはいけない」というのは日米間で交わされた「密約」の存在を反語的に表現したタイトルだ。 本書を読むと、戦後日本が独立国たりえたことなど一度もないということを改めて痛感する。 本書は公文書を丹念に読み解いてゆくことで、戦後の日米関係、アメリカの思惑と、日本の政権が米国に従属してきた現代史が手に取るようにわかる仕組みになっている。 ...続きを見る

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2017/10/11 18:15
ポール・ラッシュ記念館
ポール・ラッシュ記念館 都会の暑さに耐えかねて清里を訪れるたびにポール・ラッシュについて話題にしてきたので、当ブログにも何度かポール・ラッシュ記念館の写真を掲載している。 重複はご容赦願って、日本の戦後を再考する意味でも、ポール・ラッシュという当時情報将校だった人物の足跡を検証してみるのは無意味なことではないだろう。 ...続きを見る

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2017/09/27 21:39
明治維新のカギは奄美の砂糖にあり
明治維新のカギは奄美の砂糖にあり 前回の読書会でIさんが紹介してくれた本である。 琉球王朝の流れをひく著者のファミリーヒストリーに触れながら、明治維新の原動力となった薩摩藩の資金源について述べている。 ...続きを見る

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2017/09/04 21:33
光に満ちた世界 波心庭 東福寺光明院にて
光に満ちた世界 波心庭 東福寺光明院にて 本堂(仏殿)と三門の威容を仰ぎ見て、東司を連子の間からのぞいた後、勅使門を潜った。 閑静な住宅地の中を歩いてゆくとほどなく光明院の門が左手に見えてくる。 東福寺境外塔頭のひとつ、ここには重森三玲の初期の代表作「波心庭」があるのだ。 拝観は日没まで。 朝が早いお寺は夕方には早々に閉門してしまう。 光明院をこの日最後の訪問先にしたのは、昼の長い時季は遅くまで開いているからだ。 ...続きを見る

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2017/07/09 21:19
紅葉谷から重森三玲・モダニズムの庭へ
紅葉谷から重森三玲・モダニズムの庭へ 和歌山から特急「くろしお10号」に乗って京都へ向かった日。 Hさんの希望だった金閣寺へ行くのは明日にして、その日の午後は東福寺を拝観することにしました。 ...続きを見る

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2017/07/06 20:58
六波羅蜜寺から六道珍皇寺へ
六波羅蜜寺から六道珍皇寺へ 建仁寺をあとにし、カフェ ヴィオロンでようやく休憩を兼ねたランチをとることができました。 オムライスとレモネードというメニューまでレトロな喫茶店。 こういうカフェは東京ではもう消えてしまったようです。 ちょっとしたタイムスリップを体験したような気になりました。 ...続きを見る

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2017/06/25 21:32
建仁寺方丈にて 高精細デジタル複製の障壁画
建仁寺方丈にて 高精細デジタル複製の障壁画 両足院のハンゲショウの庭で、花のメタモルフォーゼに遭遇して、すでに真夏を思わせる日盛りのこの日、かけがえのない一期一会を実感しました。 その後、Hさんと私は、建仁寺本坊を見学することにしました。 ...続きを見る

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2017/06/22 22:11
甘茶の庭「甘露庭」 霊源院にて
甘茶の庭「甘露庭」 霊源院にて 開門と同時に両足院を拝観した後、肝心の京都五山第三位・建仁寺を、時間をかけて見学しました。 見どころの多いお寺なので、数多の文化財を見終えた頃は、12時をはるかにまわっていましたが、もうひとつ欲張って、特別公開されている建仁寺の塔頭霊源院を訪ねてみようということになりました。 厳冬、そして梅雨時の今などは、最近とみに外国人観光客を集めている京都でも閑散期に当たるからでしょうか 「特別拝観」という手で観光客を呼び込もうという戦略のようです。 ...続きを見る

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2017/06/18 18:24
ハンゲショウの庭 両足院にて
ハンゲショウの庭 両足院にて 数日前に梅雨入りしてからほとんど雨が降りません。 旅行中に傘を一度も開くことがなかったのはラッキーでしたが、この季節雨を慕う植物にとってはあまりうれしいことではないでしょう。 ...続きを見る

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2017/06/16 23:18
京の町歩き 平安京内裏跡を訪ねて
京の町歩き 平安京内裏跡を訪ねて 京都は一木一草、徒やおろそかにできない。 自転車で巡るのでさえ、速すぎる。 歴史の栄光と悲惨、その「痕跡」を探し求めようとすれば必ずや、行きつ戻りつすることになるので、ここはもう歩くしかないのだ。 昔の人は、牛車や輿に乗るやんごとない人種を除けば、通常は歩いていたのだから… 彼らと同様とはいかないまでも、それに近い時間と距離感で歩いてみたい。 ...続きを見る

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2017/05/30 21:43
みどりに包まれる 八瀬大原 瑠璃光院にて
みどりに包まれる 八瀬大原 瑠璃光院にて 叡山鉄道沿線では前から気になっていたお寺だった。 京都駅の観光案内所で「瑠璃光院 春の特別拝観」というリーフレットがまず目に飛び込んできた。 京都はこの季節、至る所で「アオモミジ」を宣伝している。 瑠璃光院は春のアオモミジと秋の紅葉の時季だけ公開されるようだ。 ...続きを見る

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2017/05/19 22:48
上野千鶴子著「<おんな>の思想」を読む
上野千鶴子著「<おんな>の思想」を読む フェミニズムは20世紀をゆるがす 思想と実践だった 21世紀の今日 フェミニズムは賞味期限をすぎただろうか? ...続きを見る

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2017/05/16 16:52
嵯峨野を歩く
嵯峨野を歩く 「松風」の帖で光源氏が造営し、「若菜」では紫の上が源氏四十の賀を祝して薬師仏供養を行った御堂が栖霞観とされ、清凉寺の阿弥陀堂にその名を残している。 源氏物語ゆかりの地、清凉寺をあとにして、西門より愛宕道を西へと歩く。 右手に夕霧太夫遺跡と刻まれた石碑が建っている。 間もなく慈眼堂。 この近くに藤原定家が百人一首を編んだ小倉山荘の候補地のひとつがある。 ゴミ袋が積み上げられているのが興ざめだったが、とりあえず撮影する。 少し先で南へ迂回して、落柿舎の門前を過ぎて再び北へ... ...続きを見る

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2017/04/23 21:25
清凉寺への道 源融の山荘「棲霞観」跡を訪ねて
清凉寺への道 源融の山荘「棲霞観」跡を訪ねて 市街のホテルをチェックアウトして嵯峨野へやって来た。 宿にキャリーを預けた後、迷うことなく清凉寺への道を歩き始める。 清凉寺は光源氏のモデルとされる源融の山荘「棲霞観」のあったところだ。 ...続きを見る

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2017/04/18 23:04
ロマノフ王朝展 東洋文庫にて
ロマノフ王朝展 東洋文庫にて 「ロマノフ王朝時代の日露交流」「トルストイに初めて会った日本人 小西増太郎」というふたつの講演を聴くために東洋文庫を訪れた。 北方4島をめぐる今日の日露の駆け引きに鑑みて、両国の因縁は興味深い。 ...続きを見る

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2017/02/07 23:47
遅い初詣 川越大師 喜多院にて
遅い初詣 川越大師 喜多院にて 日帰りコースをあえて宿泊し、観光するというのもなかなか乙なものだ。 京都でいえば、「枕のしたを水のながるる」という体験があってこそ、旅情も生まれようというもの。 私にとって朝食前の散歩がそれである。 掬水亭から埼玉県と東京都の県境になっている道路を渡ると多摩湖畔に下りることができる。 今回は残念ながらパスしたのだが、早朝の湖畔散歩はさぞ爽快なことだろう。 ...続きを見る

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2017/01/14 22:57
桜紅葉の弘前城
桜紅葉の弘前城 焼山からJRバスに乗り、奥入瀬に別れを告げた。 青森駅から奥羽本線に乗り継いで弘前に着いたのが夕方5時過ぎ。 ただでさえ暮れやすい秋の日が、青森では東京よりはるかに早く暮れてしまう。 駅前には名の知れたビジネスホテルが2軒と我々の泊まることになっているシティホテルが目についた。 ...続きを見る

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2016/11/25 18:23
この道はいつか来た道 東大寺裏参道
この道はいつか来た道 東大寺裏参道 「この道はいつか来た道♪」 ...続きを見る

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2016/10/23 20:52
8世紀の日本 興福寺、若草山、平城宮跡、羅城門跡
8世紀の日本 興福寺、若草山、平城宮跡、羅城門跡 「(日本は)唐っぽい」というのが、少なからぬ訪日中国人がもらす感想らしい。 中国ではすでに失われている唐のレガシーが、シルクロードの終着点であった日本に残っているからだろう。 ...続きを見る

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2016/10/21 23:43
聖林寺から談山神社、そして飛鳥へ
聖林寺から談山神社、そして飛鳥へ 県庁近くに駐車し、水門町を通って戒壇院へ。そして裏参道を歩いて東大寺三月堂拝観。 奈良公園をあとにして、途中昼食をとるなどしながら聖林寺へ。そして談山神社。飛鳥へ抜けて石舞台見学の後、奈良ホテル帰着。 奈良三日目の行程は、以上のような定番コースでしたが、車で行くとこういうことになるのかという盛りだくさんの内容になりました。 ...続きを見る

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2016/10/17 23:21
斑鳩三塔
斑鳩三塔 斑鳩三塔をめぐるのは、今回で3度目になる。 最初の時は、法隆寺を振り出しに、中宮寺、法輪寺、法起寺の順に歩いた。 二度目は、バスを法起寺前で降車してから、逆コースをとっている。 今回は従兄が車で案内してくれるというので、足の弱った母も思い切って出かけることにしたものだ。 過去の旅で道中をともに楽しんだ母の女学校時代の友人はすでにこの世にいない。 ...続きを見る

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2016/10/15 21:05
ホテル日航奈良
ホテル日航奈良 奈良へ行くのもこれが最後だわ 来年90歳を迎える母の言葉に、直前までドタキャンを危ぶみながら、9月28日無事、東京駅9時33分発のひかり号に乗ることができた。 シートは富士山の見える側ではなかったので、車窓の風景は坦々として、海が近いことを感じさせる。 東京ではまだ晴れていた天気も、米原近くなると雨が激しくなった。 冬であれば雪景色になるところだ。 ...続きを見る

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2016/10/08 20:53
奈良ホテル2016
奈良ホテル2016 「奈良ホテル物語」を読むと、奈良ホテルの歴史は、御多分にもれず大衆化の歴史だったといえる。 驚くのは、大正2年から昭和20年までの鉄道員直営時代には 宿泊客は「高等官以上又は資本金○万円以上の重役以上」の原則がかなり厳格に守られたらしく・・・ と書かれていることだ。 たとえ空室がたくさんあったとしても人品骨柄ばかりか階級を問われ、条件を満たさなければ丁重に断られたということである。 ...続きを見る

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2016/10/06 11:23
風が吹き抜ける茶の湯の舞台 慈光院
風が吹き抜ける茶の湯の舞台 慈光院 斑鳩三塔をめぐる前に、慈光院を訪ねることにした。 通常は奈良からJRか路線バスに乗って斑鳩に向かうのだが、バスの車窓から小さな寺門を眺めては恨めしい思いがしたものだ。 奈良といえば多くの人にとって、もっぱら万葉と古代史の世界であり、中世・近世は忘れられがちなのではないだろうか。 少なくとも私にとってはそうであった。 そこで、ひたすら聖徳太子伝説に彩られた法隆寺を目指すことになるのだ。 わずかに松永弾正の多聞城や山の辺の道にある環濠集落や、今井町の自治が、私にとっての中・... ...続きを見る

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2016/10/04 18:44
誰も知らなかったココ・シャネル
誰も知らなかったココ・シャネル ココ・シャネルほど伝記に書かれたファッション・デザイナー、クチュリエはいないだろう。 シャネル自身もまたシャネルブランドも、ほとんど伝説化された存在といえる。 様々なエピソードや彼女自身が語った言葉に彩られたシャネル現象の中でリアルなシャネル像を求めても、読者自身の反映に過ぎない想像上のシャネルが鏡像のように写っているのを遠くから眺めているような感じがするばかりだ。 ...続きを見る

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2016/09/23 22:26
伊藤野枝伝 「村に火をつけ、白痴になれ」
伊藤野枝伝 「村に火をつけ、白痴になれ」 伊藤野枝伝を読んだのははじめてだ。 はじめてにしては破格の伝記だった。 ...続きを見る

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2016/06/28 21:34
「天下布武」の城 岐阜城に上る
「天下布武」の城 岐阜城に上る 宿をチェックアウトし、タクシーで金華山ロープウェーの山麓駅へ向かった。 山頂に建つのは、斎藤家を滅ぼした織田信長が9年余にわたって在城した岐阜城の天守閣である。 ...続きを見る

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2016/06/16 22:58
岐阜駅に着いて・・・
岐阜駅に着いて・・・ 夜はホテルで会食があるので、昼は美濃蕎麦でかるく済まそうと思い、岐阜市内をめぐるループ線「信長号」に乗った。 ...続きを見る

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2016/06/14 18:23
鵜飼船 長良川にて
鵜飼船 長良川にて 夏の短夜。 旅先にあっても、夜が早く明けて、いつまでも暮れないのは同じこと。 岐阜滞在2日目、夕暮れといってもまだ日は高く、まず長良川うかいミュージアムに車を走らせた。 鵜飼がはじまるのは7時半と聞いていたので、それまでに夕食も済ませるつもりだった。 この辺りの食事処は、閉店が早い。 名物の鮎は諦めてミュージアム内のカフェテラスで簡単な食事をとることにした。 ...続きを見る

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2016/06/09 22:15
ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実
ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 オバマ大統領が現職大統領として初めて広島を訪れ、謝罪はなかったが、被爆者を含む戦争犠牲者に対して哀悼の意を表した。 テレビで大統領のスピーチに耳を傾けながら、抽象的で原爆を投下した当事国の大統領としては「他人ごと」過ぎるような気もしたが、核廃絶に向けての大きな第一歩だったことは、アメリカの事情を考えれば間違いないと思う。 広く、戦争一般の犠牲者への想像力を強調するスピーチは格調も高く、心を打つものだった。 ...続きを見る

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2016/05/28 23:25
エルマンノ・オルミ監督が亡父に捧げた最新作「緑はよみがえる」
エルマンノ・オルミ監督が亡父に捧げた最新作「緑はよみがえる」 あとからボディー・ブローのようにじんわりと効いてくる映画「緑はよみがえる」 凡百の反戦映画は、自らの声高の主張とトーンの高さに恥じ入るかもしれない。 ...続きを見る

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2016/05/11 22:08
「日本の反知性主義」を読んで
「日本の反知性主義」を読んで 本書のタイトルはリチャード・ホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」(原著は1963年刊)をふまえており 内田樹が各分野の論客9名に寄稿を依頼し編集したアンソロジーである。 ...続きを見る

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2016/04/27 18:22
ナチスの時代を検証する2冊の本 「ナチスの戦争」と「ヒトラー演説」
ナチスの時代を検証する2冊の本 「ナチスの戦争」と「ヒトラー演説」 一抹の不安を感じるのは、現代でもヒトラーのような独裁者が出現する余地があるかどうかということだ。 議会制民主主義のワイマール共和国で独裁政治を許したのだから、現代でもあり得ないことではないという見方は けれども、少々雑駁過ぎるだろう。 「民主主義者なくして民主政治は存在しない」という言葉がある。 ワイマール共和国の人々は政治的洗練度、いわば民主主義者としての政治的熟練度が低かった、と結論付けることもできるだろう。 ... ...続きを見る

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2016/04/15 18:43
ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か
ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か 「わずか一二年のナチス期」は、そのはじまりの教訓と、その後に尾を引いた問題を考えるまでもなく、現代史の中でも特別に重要な時期であることに異論はないだろう。 本書は、ナチスに抵抗した人々の行動と倫理観について、一般の市民から上級将校、聖職者たちまでのそれを述べたものだ。 今日もまた移民排斥や宗教対立、経済格差が引き起こす不寛容が露わになってきている。 極限状況にあったナチス時代を多角的に検証することは、戦後70年を経た現代に通用する教訓を引き出すことになるだろう。 ...続きを見る

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2016/04/03 21:42
第三帝国の愛人 ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家
第三帝国の愛人 ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家 読書会に参考図書として「ヒトラーランド」と「第三帝国の愛人」を持参した。 前者は約500ページ、後者は約400ページの、内容も量も少々重い本だったせいか、読書会でとりあげるのは難しい、という意見があった。 お財布にもやさしく、あまり時間をかけずに読める新書程度の本が適当ということになった。 書評ではなく、本をネタにして談論風発、そのきっかけになればよいのだから、広く話題を提供してくれる本がよいだろう。 そこでネット書店を検索したところ、「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民... ...続きを見る

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2016/03/28 18:41
ヒトラーランド ナチの台頭を目撃した人々
ヒトラーランド ナチの台頭を目撃した人々 歴史を学ぶことの意味は言うまでもなく今現在の政治的判断の指標となるからだ。 とりわけ第一次世界大戦後の疲弊したドイツに登場したヒトラーとその時代を検証することは、経済格差が広がり民主主義が脅威にさらされる時代にあっては間違いなく大きな教訓をもたらすはずだ。 ...続きを見る

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2016/03/21 21:40
成木村の盛衰 青梅にて
成木村の盛衰 青梅にて 釜の淵公園の一角にある宿に泊まった翌日、同公園内の旧宮崎家住宅と青梅郷土博物館を訪ねた。 日陰に雪が残っているけれど、前日ほどの寒さは感じられない。 冬晴れである。 ...続きを見る

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2016/02/03 19:33
映画「海難1890」を観て
映画「海難1890」を観て 涙があふれてどうしようもなかった、という感想を聞いて ああ、あのエルトゥールル号の事件ね と、答えたものの、美談調が苦手な私は、涙の主が映画通のIさんでなければ、劇場に足を運ぶこともなかっただろう。 ...続きを見る

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2016/01/12 18:54
東大寺
東大寺 大仏の大きさに圧倒されたのは、はじめて東大寺を訪ねた中学校の修学旅行の時だった。 格天井の一つの大きさを教えられて、すっかりスケール感を狂わせてしまった。 ...続きを見る

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2015/12/26 18:04
奈良県庁から東大寺へ
奈良県庁から東大寺へ まず高所に上ってみるべし。 はじめて訪ねた土地で最初にとる行動として、宮本常一が彼の父親から受け継いだ教えである。 私たちも高い位置から、かつての平城京の外京より四囲を見渡してみようということになった。 観光地に来て、県庁の屋上に上ることなどずっと思いもつかなかったのだが、ある時その眺めのよさを発見した。 以来二度目であるが、はじめてのHさんと奈良ホテルより県庁へとタクシーを走らせた。 ...続きを見る

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2015/12/23 00:07
阿修羅のルーツは? 興福寺
阿修羅のルーツは? 興福寺 仏教は本来、無神論のはずなのに、なぜこんなに多くの神々の像が存在しているのだろう。 仏教がユーラシア大陸に広まるについて、土着の神々を仏国土の守護神にするなど、他の先行する信仰と融和をはかった結果だろう。 ...続きを見る

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2015/12/20 18:38
静けさにつつまれて 新薬師寺にて
静けさにつつまれて 新薬師寺にて 奈良4日目、最終日に、新薬師寺を訪ねることにした。 その後、隣りの入江泰吉記念奈良市写真美術館に寄って、京都から新幹線に乗るまでの時間調整をするつもりだった。 ...続きを見る

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2015/12/17 20:40
あをによし奈良の都は・・・ 平城宮跡
あをによし奈良の都は・・・ 平城宮跡 旧大乗院庭園をあとにして、福智院町の交差点でタクシーを拾った。 かつての二条大路を西進すると間もなく平城宮跡の朱雀門だ。 奈良は見どころが多いので、三連泊しながら、斑鳩も飛鳥も吉野もパスして、もっぱら奈良公園周辺を歩くことになった。 ...続きを見る

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2015/12/15 23:25
奈良ホテルにて 2015
奈良ホテルにて 2015 1階の客室に案内される途中、廊下を曲がったとたん正面にエレベーターがあるのを発見して驚いた。 エレベーターがないのが奈良ホテル本館の欠点だったのだが… 早速、2階にまだ空室があるかどうか調べてみます、と言われたけれど、結局、3連泊できる部屋はなかった。 ...続きを見る

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2015/12/12 22:27
広島 平和記念公園
広島 平和記念公園 萩・津和野へ行く前に広島へ寄ろうというのはHさんの発案である。 そこで被爆都市広島で慰霊の祈りを捧げてから、萩へ行くことになった。 広島→萩→津和野という旅行の最終レポートが広島である。 すでに一カ月が経つ。 平和記念公園のイチョウはすっかり散ってしまったことだろう。 自然が移り変わっても、外国人観光客と、小中学生の列は引きも切らないはずだ。 ...続きを見る

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2015/12/04 22:51
雨上がりの紅葉 平林寺にて
雨上がりの紅葉 平林寺にて Sさんの熱意に負けて、雨傘を差しての紅葉狩りを覚悟の上で出かけた。 心の中で、雨の風情も別種の趣があるに違いない、と少し期待したのは私も同じだったのだが… 家族に酔狂な!と言われ、きっと、あなたたち二人だけよ。 ...続きを見る

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2015/12/01 23:53
萩 夏みかんの実る城下町
新山口駅で降り、新幹線口から外に出ると、「北門屋敷」と表示した紙を掲げた男性が待っていた。 萩の宿へ直行する送迎バスだった。 瀬戸内海沿岸から日本海に面した萩へと中国山地を縦貫する。 地図を見ると、旧道「萩往還」にほぼ沿っているようだ。 萩往還は維新の志士たちが駆け抜けた道として宣伝されているが、そのはるか前から交易のために人々が往来した古道であろう。 江戸時代、毛利氏によって参勤交代に利用する御成道として整備された。 ...続きを見る

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2015/11/27 22:59
殿町通り 津和野にて
2連泊すればあちこちまわって十分に観られるかというと、そうでもない。 昔から愛用していたガイドブック「歩く地図」によれば、欲張りプランとして一日のモデルコースにマリア聖堂、乙女峠殉教者の墓、太鼓谷稲荷のほか、津和野城跡まで入っているが、こんなにタイトなスケジュールでは、せっかくの個人旅行も指差し確認の旅に終わってしまうに違いない。 ...続きを見る

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2015/11/21 11:07
紅葉の堀庭園 奥津和野へ
森鴎外記念館をあとにして、近くの停留所より町営バスに乗った。 小さなマイクロバスは、お年寄りがもっぱら病院、買い物、日帰り温泉に行くのに利用しているようだった。 赤字覚悟の町営バスはバス代も高く、通院の帰りは病院側で負担してくれるそうだ。 そんなことを同乗したおばあさんはしきりにHさんに話している。 ...続きを見る

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2015/11/18 22:35
森鴎外旧宅と森鴎外記念館 津和野にて
津和野駅近くの宿を出発して 途中、石州和紙のショーウィンドウに足を止め、源氏巻を味見させてもらったりしながら、森&#40407;外旧宅を目指した。 オレンジ色の石州瓦となまこ壁の建物が目につく。 つやのある赤みを帯びた石州瓦は当地に独特の風情を与えている。 焼成温度が高く「凍て」に強いのだそうだ。 ...続きを見る

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2015/11/16 21:25
津和野を歩く 
終日萩を観光して、間もなく日も暮れようとする頃、バスで津和野に向かった。 バスはやがて山中の細い道を走るようになり、数人の乗客も、一人降り二人降りするうちについに我々二人だけになってしまった、 「いつもは学生が乗るんですがねえ」と運転手さん。 津和野駅で降車するつもりの我々に宿を尋ねると、そのビジネスホテル前まで行ってくれるという。 駅からほどない宿であったが、荷物はあるし、日はとっぷり暮れてしまったし、土地勘はないし、でありがたかった。 日本海に面した萩を出発したバス... ...続きを見る

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2015/11/14 21:57
森鴎外の眠る寺 津和野 永明寺にて
Hさんと私は、広島、萩、津和野とめぐってきた。 ...続きを見る

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2015/11/10 17:51
コーヒーブレイク
国会をデモ隊が取り囲む中、9月19日未明安保関連法案が参議院で可決成立した。 有権者として忸怩たる思いが否めないのは、さてそれでは自民党に大量票を投じたのは誰か、と問わざるを得ないからだ。 ...続きを見る

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2015/09/20 10:18
「日本のいちばん長い日」を観て
終戦記念日間近。 テレビでも連日戦争特集が組まれている。 戦後70年にして新たに発掘される事実や映像があり、それらに接する度に、今まで抱いていた歴史観に微妙な変更を加えることにもなるのだ。 実際に体験した人から聴く話は、記憶が時の流れの中で変質することを免れないにせよ、あまりにも生々しい。 ...続きを見る

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2015/08/12 19:28
清里の父ポール・ラッシュの戦後 
NHKスペシャル「密室の戦争」を観た。 映像の中にポール・ラッシュらしき人物を発見し、彼が戦後GHQの民間諜報局に配属されていたことを思い出した。 番組は、戦中捕虜となった日本兵がアメリカ兵から尋問される様子を、録音テープの肉声によって生々しく伝えるものだった。 ...続きを見る

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2015/08/06 18:14
ポール・ラッシュ記念館 清泉寮にて
寒いわよ、と脅かされて持参した木綿のカーディガン。 結局一度も手を通すことなく過ごした。 標高1400mの高原、夏の短い清里でも、晴れさえすれば強烈な夏の日差しが肌を直撃する。 ...続きを見る

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2015/07/17 00:33
聖アンデレ教会を目指し 農場の道を行く
特急あずさに乗るまで2時間ほどあったので、清里聖アンデレ教会を訪ねてみようと思った。 ピクニックバスを清里駅のひとつ手前の停留所、キープ農場前で下車。 清里駅から北西方向に清泉寮までポール・ラッシュ通りがまっすぐに延びている。 その道を清里駅方向に少し進んで右に折れるとキープ協会の本部事務所とキープ自然学校がある。 ...続きを見る

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2015/07/15 00:00
雨の日、清泉寮にて
清泉寮には雨もまた似合う。 まだ本降りではなかったけれど、しとしと、或はぽつりぽつりと梅雨の雨… 森に入ると折り重なった葉が分厚い天蓋となって、ほとんど濡れない程度の雨だった。 ...続きを見る

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2015/07/11 20:51
金沢 水と緑の街
金沢は水の街である。 駅前からエスカレーターで地下に下りるとまず 水の恵みを象徴するかのように、人工の滝が壁面をつたって流れ落ちている。 駅前のホテルに入れば、ロビーの大きな水盤に水が溢れている。 ...続きを見る

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2015/06/02 23:27
人類が永遠に続くのではないとしたら
いかにも正論という意見、解決不可能と思われるほどの深刻な話を、日常的な場ではもうだれも口にしない。 特に3.11以後は。 一刻一刻をそれなりに楽しく過ごし、日々が無事に過ぎゆけばそれでよい、と思っている。 どこか刹那的な気分に覆い尽くされているように感じるのは諦観からだろうか。 ...続きを見る

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2015/05/24 23:45
川奈ホテルにて
川奈ホテルが当初、ゴルフ場のクラブハウスとして発足したことについては経緯があった。 大倉財閥の創始者である大倉喜八郎の長男、喜七郎が伊豆の川奈に広大な土地を取得したのは、牧場経営が目的だったという。 英国留学の影響で、イギリスの牧場に憧れ、牧場経営に乗りだす決心をし、計画まで立てていたのだ。 ところが川奈の土地は牧場には適さず、昭和3年(1928)にゴルフ場として出発することになった。 現在の大島コースである。 昭和11年に客室57室で開業したのが、クラブハウスを前身と... ...続きを見る

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2015/05/22 23:51
映画看板の街 青梅
「梅70」は都内最長の路線バスである。 走行距離30q余、所要時間2時間弱、総停留所数93 青梅街道を西武柳沢駅前より一路、青梅へとひた走る。 ...続きを見る

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2015/04/22 15:29
「保守も知らない靖国神社」を読んでみました
タイトルからは、靖国神社の表層的なイメージを脱して「靖国神社」の成り立ちからその存在意義に迫るものであることを想像させる。 帯のコピーは少々挑発的な、誤解を招きそうな文言になっているので、靖国問題についての著者の考えを知るためには、最後まできちんと読むべきだろう。 そうしてはじめて本書を批判するなり、賛同するなりすればよいのである。 ...続きを見る

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2015/04/13 22:52
映画「ハンナ・アーレント」を観て
公開当時、岩波ホール前に行列ができたという映画「ハンナ・アーレント」 ハンナ・アーレントは、代表的著作に「全体主義の起源」(1951年)があるユダヤ人の政治哲学者である。 彼女は戦後、亡命先のアメリカでニューヨーカー誌にアイヒマン裁判の傍聴記録を掲載し、その結果、世間から猛烈なバッシングを浴びることになる。 映画は、アイヒマン裁判を追い、アーレントが思索の結果どのような結論に達したか、そしてレポートの公表によって避けがたい対立が生まれ友人すら失った経緯について描いている。 ... ...続きを見る

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2015/03/01 13:01
中正紀念堂 台北にて
龍山寺門前でタクシーを拾い、中正紀念堂へ向かう。 何度も言うようだが、タクシーが多い上に安いため、足がわりとして 便利に使うことができてありがたい。 ...続きを見る

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2015/02/19 17:06
東京駅100年の記憶
松本竣介の東京駅裏風景「駅の裏」が展示されているというので、その一枚の油彩画ために東京ステーションギャラリーに出かけた。 昨年が東京駅開業100周年にあたり、記念のSuica販売の際のJRの不手際がニュースになったばかりだ。 「東京駅100年の記憶」を写真、設計図、文学作品、絵画などの資料を通して振り返る趣向の展示だった。 ...続きを見る

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2015/02/13 23:55
國立台湾博物館
総統府正面に突き当たる両側10車線という広い通り、凱達格蘭大道を二二八和平公園に向かった。 総統府とは通りを挟んで向かい側に「白色恐怖政治受難者紀念碑」と大書された白壁が目につく。 戦後、本省人の抗議デモに対して憲兵隊の発砲に端を発する、国民党政府による本省人の大弾圧を記念する碑だった。 これが二・二八事件で、この時発令された戒厳令は40年後の1987年まで継続することになる。 日本の敗戦後、蒋介石が入った総統府前に、事件の犠牲者を追悼する記念碑が対置されることで、本省人... ...続きを見る

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2015/01/23 22:09
北門と台湾総統府庁舎(旧台湾総督府)
台湾4日目の午後1時、台南より台湾新幹線(高鉄)で台北駅に帰着。 駅正面のホテル、シーザーパーク台北より北門まで歩く。 約500mほど西進。 ...続きを見る

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2015/01/20 20:27
バービーと私
バービー人形は1959年3月ニューヨークのトイフェアでデビューしたそうだ。 子どもだった私のもとへバービー人形がやってきたのは、それから間もない頃だったことを、本書によって知った。 成熟したおとなの体形をしたバービー人形に当初はめんくらったと思う。 高くバストが張り出した人形を見て 「子供の教育にどうなんでしょうか…」などと疑問を呈する母の友人がいたのもを記憶している。 今では笑い話である。 ...続きを見る

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2014/11/12 22:28
太古からの霊地 下鴨神社
京都では遅くまで紅葉が楽しめるという「糺の森」 下鴨茶寮をあとにして、京都最後の時間を下鴨神社で過ごしたのはもう一カ月以上前のことになってしまった。 写真の鬱蒼とした森も日毎に秋が深まり、今頃は紅葉が鮮やかさを増していることだろう。 ...続きを見る

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2014/11/09 21:51
近代化遺産の光と影 富岡製糸場
「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された富岡製糸場を訪ねた。 一時は入場券売場に列をなしてようやくチケットを買う有様だったと聞く。 週日のその日は、見学に影響するほどのことはなかったものの、たいそうな人出に驚いた。 ...続きを見る

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2014/11/06 21:08
京都府庁舎旧館
京都府庁舎を訪ねた。 宿から散歩がてら歩いて10分ほど。 烏丸通を聖アグネス教会のある交差点で西に折れて府庁舎の正門までおよそ300m、京都御苑から至近の距離にある。 ここの枝垂桜が名物で、花見の名所にもなっているそうだ。 花盛りの頃には、神社仏閣を背景にした桜とはまた違った趣があることだろう。 ...続きを見る

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2014/10/25 18:28
十五年後の高山寺
常照皇寺を訪ねた後、美山まで足を延ばすこともできたのだが、復路、高山寺に立ち寄ることを考えると時間的に少々きついようだった。 中天にあった日は早くも傾きはじめ、山里の日暮れは予想以上に早いと思われた。 ...続きを見る

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2014/10/22 23:14
パワースポットのある植物園 京都府立植物園にて
植物園内のカフェでホットケーキとコーヒーの簡単な朝食をとった。 目の前は広い芝生地になっていて、気持ちが良い。 旅先の京都で植物園を訪れるなんて、何となく贅沢な気分だ。 歴史遺産とはちょっと距離をおいて、日常の京都に接する気安さ。 ウィークデーの朝から植物園を訪れる人は少ないが、早起きのお年寄りが散歩をしたり、植物観察のグループがボランティアの説明に耳を傾けたりしている。 ...続きを見る

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2014/10/16 17:52
下鴨茶寮にて
京都府立植物園を歩いた後、下鴨神社・糺の森近くにある下鴨茶寮に寄った。 京都は美味しいもののないところだ、と昔、地付きの京都人は言ったものだ。 海から遠い内陸に、鯖は一塩して日本海側から鯖街道を通って運ばれた。 古くからの料亭は主要な街道筋の茶店から発達したものも多い。 流通の発達した今日では、付加価値をつけるのが上手な京都の伝統は鬼に金棒だ。 ...続きを見る

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2014/10/11 17:35
北山杉の里
蛤御門前のホテルを発って小一時間。 今出川通を西進、嵐電の北野白梅町駅前を通り、仁和寺の門前を過ぎて、国道162号線に入る。 目的地は北山杉の里だ。 さらに高山寺の参道下を通ってトンネルを2つ潜ると間もなく「京都北山杉の里総合センター」に着く。 倉庫の壁面に「京都北山丸太生産協同組合」とあった。 ...続きを見る

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2014/10/07 16:12
「村が消えた」 六ヶ所村弥栄地区の戦中戦後
読売新聞の辣腕記者で後にフリージャーナリストとして活躍した本田靖春の「村が消えた」(‘80)を読んだ。 今ではタイトルの意味を限界集落、過疎の村と読み違えそうであるが、表題の「村が消えた」は、従来の共助によって生きる村が、国策に翻弄された挙句、有機的な村の機能を失う以前に、文字通り農村そのものが消滅してしまったことを意味している。 (狭義には、関東軍の武力を背景に中国東北部に誕生した「弥栄(いやさか)村」、満蒙引き上げ後に国有地に入植した開拓部落「上弥栄村」を指していよう) ... ...続きを見る

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2014/10/04 20:01
北朝天皇の終の棲家 常照皇寺
交通の便が悪いこともあって、なかなか訪ねることができないでいた常照皇寺。 有名な九重桜が咲く頃に、と狙いを絞るとなおさら行けない。 今回の京都行きで、いとこが計画をたててくれた北山杉見学のついでに立ち寄ってみようということになった。 桜の時季ではないが、北朝の光厳天皇が隠棲した最期の地として、歴史的な感興もあるだろう。 ...続きを見る

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2014/10/03 01:24
ヒガンバナの里 高麗郷散歩
西武線高麗駅より巾着田まで歩いて15分ほど。 改札を出てすぐのガードレールを潜ると、上掲の無人直売場が目を引いた。 隣のテント張りの出店には、飾りかぼちゃ、艶やかなハナナス、唐辛子、栗や小さなトウモロコシなどが、いかにも実りの秋といった風情で、様々な籠に様々なアレンジで盛られて並んでいた。 あまりの可愛らしさに思わず手が出てしまう。 これから歩こうというのに、売れないうちにと考え、お気に入りのひとつをゲット。 帰りに立ち寄ることにして料金だけ払っておく。 ...続きを見る

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2014/09/18 23:23
みんな誰かの末裔 「ご先祖様はどちら様」
父方母方双方の祖父母の名前、或は祖母の旧姓を正確に言える人はどれくらいいるのだろうか。 やんごとなき家柄か系図を偽装していない限り、庶民の先祖は3親等以上も離れれば、もう霧の中である。 ...続きを見る

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2014/08/27 23:46
聞き書き集「女の絆と底力」
公民館主催の女性の生き方講座で、参加者が互いに聞き書きをして小冊子にまとめることになった。 講座のタイトルは「『私』のものがたりを紡ぎましょう」。 ...続きを見る

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2014/08/05 19:00
盛岡散歩 奥州街道沿いに
街を吹き渡る風が清々しい。 鮭が遡上する中津川沿いは特に気持ちが良い。 中津川は、盛岡城跡公園の南西で雫石川とともに北上川に合流し、やがて宮城県に入り、石巻湾と追波湾で太平洋に注いでいる。 町中を鮭がのぼってくるなんて、東京の人間には考えられないことだ。 道を尋ねた散歩中の母娘さん、あれこれ思案しながら県庁へ行く道筋を教えてくれた。 夕食の準備の前に、川沿いの散歩を日課にされているのだろうか… 地方都市に住むゆとりと優雅さを垣間見て、つかの間うらやましい気分がしたもの... ...続きを見る

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2014/07/29 19:27
中尊寺 奥州藤原氏の栄華のあとを訪ねて
(源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏三代の栄華のあと、ということで鎌倉日記に続けて平泉は中尊寺の写真をアップしておきましょう) ...続きを見る

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2014/07/22 22:56
七里ヶ浜から長谷まで歩く
江ノ電を七里ガ浜駅で降り、行合川を渡る。 川は七里ガ浜の海に注ぎ、潮の香は橋の上にも満ちていて、たちまちに海浜特有の停滞的な時間の中へと投げ込まれてしまう。 ...続きを見る

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2014/07/17 19:38
円覚寺 鎌倉五山第二位
建長寺総門前でタクシーをつかまえて、鎌倉街道を北西方向へ、円覚寺に向かう。 途中JR横須賀線の踏切を渡るが、平日であるにもかかわらず、車の進行はのろい。 繁忙期の混雑からすればこれでも「ガラガラだ」と運転手。 ...続きを見る

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2014/07/15 17:36
建長寺 鎌倉五山第一位
鶴岡八幡宮から巨福呂(こぶくろ)坂の切通しを抜けて建長寺に向かった。 この道は建長寺、明月院などの門前を通り円覚寺へと続く。 休日は車も人も多くなることだろう。 建長寺門前の鉢の木へ寄って早めの昼食をとることにした。 店名の由来は北条時頼の廻国伝説によるもの。 ...続きを見る

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2014/07/12 10:44
七夕の鶴岡八幡宮
天候がくずれる前にと考え、鶴岡八幡宮から建長寺、そして円覚寺まで歩くことにした。 歩くといっても山と海に囲まれた鎌倉は、切通の道に車も人も殺到するので、由緒ある古道であってものんびり歩いてなどいられない。 車道のわきの細い歩道を、排気ガスを気にしながら通行するようなことにもなりかねない。 ...続きを見る

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2014/07/09 22:23
「日本におけるトルコ研究と東洋文庫」
表題の講演を聴くために東洋文庫に出かけた。 鈴木董先生によるオスマン帝国の歴史講義を同文庫で聴いて以来すっかり感化されてしまったようだ。 先生の著書「オスマン帝国の解体」を読み始めたところだ。 いわゆる「西洋の衝撃」がイスラム世界にどのような変容をせまったか。 学術的な述作ながら門外漢にも分かりやすく書かれていた。 ...続きを見る

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2014/06/14 23:06
東洋文庫の世界
『トルコ』展、記念講演会の第二回目を聴講するために東洋文庫ミュージアムへ。 講師は前回と同じ東大名誉教授の鈴木董先生。 今回のテーマは「オスマン文化の形成と変容」 内容は多岐にわたり、鈴木董先生がオスマントルコの政治史、民族史ばかりでなく、文化史それも各論に至るまで造詣が深いのに驚かされた。 前回と同様、高速講義であった。 陶器や絨毯の文様を日常的にどこかで目にし、音楽を耳にしながら、オスマントルコについて学ぶ機会は多くはない。 ...続きを見る

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2014/06/01 22:50
実朝幻想 箱根にて
雨に濡れたせいだろうか、鳥居の朱が殊更目に染みる。 箱根神社といえば二所詣で。 源頼朝が石橋山の合戦に敗れて敗走する際、別当に助けられて以後、鎌倉幕府の尊崇厚く、絶大な庇護を受けたという。 ...続きを見る

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2014/05/30 23:08
トルコ展記念講演会 『オスマン帝国という国家』 日本・トルコ国交樹立90周年
東洋文庫ミュージアムで「トルコ展」が8月10日まで開かれている。 その記念講演「オスマン帝国という国家」を聴講した。 講師は東京大学名誉教授の鈴木董先生。 イスタンブール大学に3年間留学をされていて、あのヘンテコ?で優美なアラビア文字がお上手だという。 B4に手書きされたレジュメが2枚。 約650年というオスマン帝国の興亡史を1時間半で突っ走った。 その情熱にすっかり巻き込まれてしまった。 過去の無文字時代の記録は乏しく、まだまだ研究課題が山積しているようだ。 そ... ...続きを見る

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2014/05/26 20:03
自治の町今井町
旅の初日から雨だった。 京都へ向かう新幹線の中で今井町を訪ねてみようと思った。 旅人にとって奈良はもっぱら古代史と万葉の世界である。 中世から近世がすっぽり抜け落ちて、突然現代につながっているのだ。 雨の障りがあまりない観光先をと思案しながら、その膨大な歴史の空白を埋めるべく今井町訪問を思い立った。 ...続きを見る

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2014/05/09 18:52
小雨降る古京飛鳥 石舞台古墳にて 
石上神宮を訪れた日の午後、そぼ降る雨を厭う母を宿に残し、橿原神宮前駅より明日香周遊バスに乗った。 地図を持参するのを忘れたので、飛鳥地方の詳細地図をまず手に入れたいと思った。 発車時間までバスの運転手と話しているとすぐ後ろのシートより 「下見ですか」 聞けば彼女たちは、7月のグループ旅行のための実地踏査だという。 生憎の雨の月曜日。 屋根のある場所に避難したいところだけれど飛鳥資料館も奈良県立万葉文化館も犬養万葉記念館も定休日である。 バスの乗客も少なかった。 石... ...続きを見る

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2014/05/05 12:20
鬱蒼とした森の中の霊場 石上神宮
日本書紀は武烈天皇の条に、天皇が皇太子だった時、物部麁鹿火(あらかび)の娘影媛を娶ろうとして平群鮪(へぐりのしび)と争う話がある。 影媛はすでに鮪と通じていて、歌垣の場でそれを知った皇太子は鮪を奈良山で殺してしまう。 影媛は夫が殺害される一部始終を見、半狂乱になって葬列の後を追って行く。 ...続きを見る

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2014/05/03 20:09
比叡山の桜 延暦寺東塔にて
雨天で吉野の花見を翌日に順延したため、橿原から比叡山までは従兄の車で移動することになった。 比叡山内のホテルに着いて 「どちらから」と聞かれ 「吉野から」と答えると、ちょっと驚かれた。 奈良県橿原を出発して大阪府を経由、琵琶湖畔の大津から比叡山ドライブウェイを走って比叡山中腹、標高600mにあるホテルまで2時間余。 ドライブウェイの途中で琵琶湖を遠望した。 比叡山頂付近は吉野奥千本とほぼ同じ標高だが、桜の開花は少し遅いようだ。 ...続きを見る

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2014/04/29 19:17
金峯山寺(蔵王堂)
観桜期には吉野山周辺は交通規制が敷かれるので要注意だ。 下千本から勝手神社までは歩行者天国が実施されるので、マイカーでの観光は避けた方がよさそうだ。 私たちが出かけたのは4月22日。 すでに桜の最盛期を過ぎていたので、マイカー規制は外されていたが、近鉄吉野線で出かけた。 吉野駅でまず柿の葉寿司を調達(駅前の笹岡食堂の自家製と明記されているのを購入。これがさっぱりしていて美味しかった)の後、タクシーで観光車道を奥千本方面に向かう。 ...続きを見る

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2014/04/27 16:25
西行庵へ 吉野奥千本
花見の季節、日のよっては3万人が吉野山に入山するそうだ。 人出を恐れて、今に至るまで「別格」の桜を観ることなく過ごしてきた。 ナラタケモドキ菌の被害がいわれるようになって、いよいよ吉野の桜も見納めかと悲観していたところ、従兄の誘いで決心した。 奥千本が穴場だと聞いていたこともあって、時季をずらして出かけることになった。 週間天気予報は生憎の雨マーク。 直前に雨マークが消え、雨後の山道を西行庵に向かった。 ...続きを見る

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2014/04/24 22:26
叔父の葬儀に参列して
10年以上臥せっていた叔父が亡くなった。 4月10日の朝だった。 母親の死から一年も経たないうちに、いとこたちは父親の葬儀を営むことになった。 ...続きを見る

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2014/04/14 17:02
即清寺へ
関東地方を寒波が襲った日、物好きにも!梅郷の寺を訪ねながら歩いてみようということになった。 釜の渕公園を抜け、大柳のバス停から都バスに乗った。 がら空きのバスは吉野街道を西進する。 その名もゆかしい「よしの」街道 停留所は「即清寺」で降車し横道に折れると、「草思堂通り」とあった。 右へ行けば翌日訪ねることになる吉川英治記念文学館だ。 左へ折れると左手に墓地、右手に寺の塀が続いている。 ...続きを見る

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2014/03/24 16:02
旧宮崎家住宅 青梅市釜の淵公園にて
青梅駅から多摩川に向かい橋を渡ると15分ほどで青梅市釜の淵公園に着く。 多摩川がU字状に蛇行する、その河岸段丘上に整備された公園である。 公園内の一角に旧宮崎家住宅が多摩川を見下ろすように東面して建っている。 山ふたつほど越した北小曾木(きたおそき)村夕倉(現・青梅市成木八丁目)から移築復元されたものだ。 19世紀初頭に建てられたと推定される平均的な農家である。 ...続きを見る

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2014/03/21 18:57
金剛寺の梅
「お帰りは門からお出でなさいまし」 と丁寧に見送っていただいて、旧稲葉家住宅をあとにした。 ...続きを見る

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2014/03/19 18:42
旧稲葉家住宅 青梅宿にて
都バスの最長路線をご存じだろうか? 梅70系統である。 西武柳沢駅を発車すると約30km、ひたすら青梅街道を西進する。 終点は青梅車庫。 10年ほど前、日もとっぷり暮れてから、青梅駅で友人たちと別れた後 復路の終点・西武柳沢駅まで乗り通したことがあった。 柳沢についた時、暗夜、乗客一人だけになっていた心細さをふと思い出す。 ...続きを見る

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2014/03/17 19:27
歴博フォーラム「初春の馬」
国立歴史民俗博物館(歴博)が主催する歴博フォーラム 「初春の馬」と題した講演会をヤクルトホールに聴きに行きました。 千葉県佐倉にある歴博は、なかなか興味深い展示や講演会が催されるのですが、いかんせん気軽に出かけられる距離ではありません。 そこで時おり、都心の会場でこのような講演会が行われるのでしょう。 隣席の方に「はじめてですか」 と、話しかけられましたが、ようやく今回初聴講することができました。 ...続きを見る

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2014/01/19 17:33
東伏見稲荷神社より富士見池へ
そのつもりはなかったのに、歩いているうちに長めの散歩コースをとることになりました。 次第に北風が強くなり、指先がかじかんできます。 この寒さなら、予報では再び降り出すという雨も雪になりそうです。 ...続きを見る

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2014/01/09 22:43
初詣 東伏見稲荷神社
あけましておめでとうございます。 拙ブログを閲覧してくださった方々、Web上とはいえ袖振り合うも他生の縁。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 ...続きを見る

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2014/01/02 13:54
武蔵野の紅葉 野火止用水と平林寺
武蔵野のイメージといえばまず国木田独歩の「武蔵野」の影響が大きいだろう。 独歩に落葉樹の美を教えたのは、二葉亭四迷が訳したツルゲーネフの著作「あいびき」の叙景文だった。 ロシアの樺の林を武蔵野の楢の林に置き換えているのである。 ...続きを見る

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2013/11/29 22:44
シンポジウム「幻の民族学博物館」に参加して
過去にも関連のテーマで当ブログに何度か拙文を載せたことがあるが その後、「アチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)」の民俗資料を受け継ぐ大阪吹田の国立民族学博物館(民博)を訪ねることもできた。 万博の跡地に建つ「民博」は建物、コレクションともに大規模なものである。 社会見学の小学生の団体以外は、マニアックな?独行の見学者をちらりほらりと見かける程度の静か過ぎる平日の博物館だったけれど。 今回のシンポジウムのパネリスト、民博館長・須藤健一氏は、閑古鳥の鳴いている各地の博物館の... ...続きを見る

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2013/11/11 23:24
日光拾遺
ホテルのメインダイニングから真赤に紅葉したドウダンツツジが見える。 庭を横切って道路を渡れば中禅寺湖だ。 湖畔の道は立木観音堂の参道になり、さらに南へ行くとイタリア大使館別荘記念公園である。 そして半月山(1753m)に至る中禅寺湖スカイラインに続いている。 ...続きを見る

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2013/11/07 19:02
華厳滝と東照宮
日光山内は、日光東照宮、二荒山神社、日光山輪王寺の二社一寺が隣接しているが、これは明治4年の神仏分離令によって分立した形式で、今でも日光の魅力は神仏混習時代の名残を色濃く留めていることだろう。 ...続きを見る

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2013/11/03 20:30
イタリア大使館別荘記念公園 中禅寺湖畔にて
10月21日 天気予報を気にしながら、東北自動車道を北上。 従兄の運転する車で、総勢7人紅葉の日光を目指した。 いろは坂より中禅寺湖畔に上り、立木観音堂向い歌ヶ浜の駐車場で降車。 以前より気になっていたイタリア大使館別荘を訪ねた。 自動車道路と並行する湖畔の遊歩道を約15分。 カエデなどの落葉樹の紅葉が美しい。 雨上がりの苔の鮮やかな緑色、ヤマブドウの葉の深紅が目に沁みる。 急速に秋が深まってゆくようだ。 大気には香ばしいカツラの匂いが混じっている… ...続きを見る

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2013/10/26 17:25
武田信玄と信虎 甲州拾遺
英雄豪傑の話は誰でも好きなものだろう。 幸田露伴の描く武田信玄や今川義元など、歴史的客観性を具えているにしても、記述する段になれば、「虚談」の痛快さ、面白さの誘惑を知り尽くしていて、筆が饒舌極まりなくなってくるのは、万人が抱く願望の結果であるといえる。 武家政権をはじめた源頼朝にしろ、室町幕府をおこした足利尊氏も、徳川の治世となって安定するまで日本各地に群雄割拠した戦国大名たちも、伝えられるほど豪胆一方の人ではなかったに違いない。 ...続きを見る

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2013/10/18 20:28
八田家書院 石和の町を歩く
中央線を石和温泉駅で降り、ぶらぶらと宿の方角に向けて歩いていると 「どちらへいらっしゃいますか」 と声をかけられた。 大月で、乗換列車を待っている時に言葉を交わした女性だった。 「くにたち、へ」 と答えると、何と 「うちです」とおっしゃる。 「女将をしていましたが、今は嫁まかせです」 ...続きを見る

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2013/10/09 21:14
甲斐善光寺 遍歴する人と仏
武田神社から甲府駅に戻り、駅ビルであわただしく昼食をとった後、日に2本しかないバス便で「かいてらす」へ。 「かいてらす」は山梨県の地場産業による商品を販売している。 印伝は古典柄から新製品まで、本店を除くと、どこよりも品揃えがよいように思う。 ...続きを見る

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2013/10/07 19:32
躑躅ヶ崎 武田氏館跡
中央線甲府駅よりバスで北へ10分ほど。 10月に入ったというのに蝉の声が聞かれる日、武田氏三代の居館であり政庁だった「躑躅ヶ崎館跡」を訪れた。 相川扇状地の入口にあたり、三方を山で囲まれた要害の地である。 鳥居の南側には甲府盆地が広がっている。 信虎・信玄・勝頼の三代にわたる60余年、武田氏の本拠となり城下町が築かれたところだ。 大正8(1919)年に信玄を祭神とする武田神社が造営されている。 ...続きを見る

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2013/10/05 23:15
佐久平拾遺
佐久平駅と蓼科のホテル間を送迎するバスが、片道45分往復とも貸し切り状態だったので、運転手の方から話を聞くことができた。 色づき始めた稲穂が連なり、高度を上げるにつれ白い蕎麦の花も見られるようになった。 佐久平が米どころであることを実感した。 瑞穂の国に生まれたDNAのせいだろうか、一面の黄金色を見ると豊かな気持ちになる。 五郎兵衛米というコシヒカリのブランド米があるとのこと。 年々温暖化する日本列島でやがて北海道や、本州でも高地に却って美味しい米ができるようになるのか... ...続きを見る

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2013/09/23 18:00
懐古園 小諸にて
小諸へ行ったことがないという母のため、蓼科の帰りに懐古園に寄った。 蛇行してゆったりと流れてゆく千曲川は、遠い日の記憶の中に今なお鮮明に残っている。 城跡の高台から俯瞰した風景である。 ...続きを見る

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2013/09/18 22:33
「はだしのゲン」を読んで
1972年に「月刊少年ジャンプ」にはじめて掲載された「はだしのゲン」をほるぷ版改訂版で読んだ。 掲載誌を替えながら紆余曲折を経て、良書として読み継がれてきた本書に何故今更、開架から閉架措置へという松江教育委員会の要望があったのか。 (現在、閉架処置は撤回されている) ...続きを見る

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2013/09/15 12:14
宮崎市定著「中国文明論集」を読む
シナ学及びアジア史の泰斗 宮崎市定の本を、なるべく気軽なものから読みたいと思って本書を手にした。 熱帯夜、眠くなるまでの小一時間。 朦朧と霧のかなたにあるかのような歴史的現実が平明な記述によって素人にも分かりやすく説かれる。 ...続きを見る

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2013/08/20 21:12
緒方貞子著「満州事変―政策の形成過程」
戦争をはじめるのは簡単だが、戦争を終わらせるのは難しい、という。 これは先の大戦からの教訓でもある。 終結が困難であると同時に、民主主義的な政体であれば、開始もまたそう容易く許せるものではないはずだ。 日中戦争から太平洋戦争へと拡大した先の大戦では、どのようにして戦端が開かれ、生産力ではるかに勝る米国を相手に戦わざるを得ない状況にまで国民を追いこんでいったのか。 ...続きを見る

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2013/08/16 16:54
本土決戦の虚像と実像
また終戦記念日がめぐってくる。 年を追って戦争体験者の数が減り、何もしないでいれば生々しい戦争の記憶もおのずと風化してしまうことだろう。 そこで、戦争経験を人に語らせるだけでなく、「モノ」に語らせようと「戦争遺跡」の保存に取り組んでいる人々がいる。 本書は、戦争末期に本土決戦を画策した軍部による地下壕の跡を検証し、見学のためのガイドともなっている。 ...続きを見る

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2013/08/10 00:34
戦争の記憶を武蔵野にたずねて
以前「廃線路を歩く」というタイトルで、中島飛行機武蔵製作所への引き込み線の跡・グリーンパーク遊歩道の写真を拙ブログに掲載している。 ...続きを見る

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2013/07/15 16:22
松井今朝子著「壺中の回廊」を読んで
秘密めいたタイトル。 役者絵に蛇の目傘を配し、背景は紅蓮の空にモダン建築の黒いシルエット… 大いにそそられて早速、松井今朝子の新刊を手にした。 ...続きを見る

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2013/07/12 18:58
建築ウォッチング 武蔵大学にて
Iさんと能楽講座の二回目「能装束と能由来の文様」を聴くために武蔵大学へ。 江古田駅に降り、武蔵野稲荷神社の鬱蒼とした緑陰を抜けてゆく。 入口に武蔵大学の学生の通り抜けを禁じる立て札があって苦笑を誘う。 ...続きを見る

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2013/06/23 19:57
八国山麓の菖蒲園にて
見分けのつきにくいハナショウブ、アヤメ、イチハツ、カキツバタは、みな同じアヤメ科アヤメ属である。 (五月の節句に菖蒲湯に用いるショウブだけはサトイモ科だ) 英語ではすべてアイリスとなる。 神話的、歴史的にその語が意味するところを調べてみると IrisもLilyやNarcissusと混同されているふしがある。 万葉集に詠まれたアサガオに、キキョウ、ムクゲ、ヒルガオなど諸説あるのと同様である。 ...続きを見る

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2013/06/20 19:07
ゆり園にて
マドンナ・リリーの名で呼ばれる白百合は、キリスト教社会において、マリアの純潔を意味する花だった。 マリア像の傍らにユリが描かれるのは常套であり、泰西名画によく見かける。 ...続きを見る

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2013/06/18 19:07
「能」をめぐる文化史講座 武蔵大学にて
演劇研究家の河竹登志夫が亡くなったのを知ったのは、松井今朝子のブログからでした。 ...続きを見る

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2013/06/16 21:18
葬儀の歴史
ほんの身内だけで納棺の儀が行われた。 棺に安置する前に、逆さ水(水に湯を加えた温水)を含ませた布を死者の肌に触れさせる。 これは湯灌を省略して、清拭とするためだ。 黄泉の国(仏教ではこうは言わないが)への旅支度として、足袋、手甲脚絆、数珠、草鞋を着ける。 編笠と額に着ける三角の白布はさすがに滑稽と思われたのか、納棺の後に頭部の傍らに置かれる。 頭陀袋には三途の川の渡り賃、六文銭をプリントしたもの、予備費?として千円札が入れられた。 布製の小さな造花が枕辺に並べられ ... ...続きを見る

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2013/06/13 21:00
中国化する日本
中国化するとはどういうことだろう? 尖閣諸島の領有権をめぐる昨今の軋轢を考えると、日本がやがて中国にのみこまれてしまいかねないという危惧を表明したものか、などとネガティブな想像をしてしまうが 本書の言う「中国化」とは 「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」 と、ゴシックで書かれている。 ...続きを見る

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2013/05/26 18:48
技術者の世界から描いた「零式戦闘機」を読み、今考えること
あまた存在する零戦物語に加えて、技術という視点から書かれたのが本書である。 初出は週刊文春誌上、1976年に連載されている。 高度経済成長期を経て、経済を優先させた結果、公害問題が噴出し、技術者として働くことが果たして世のためになるのだろうか、と懐疑的にならざるを得ない時代だったと記憶している。 ...続きを見る

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2013/05/19 15:47
夏姿池の畔 三宝寺池にて
三宝寺の長屋門は実は勝海舟邸にあったものなのだ。 山門の彫刻や練馬の名木に指定されているアカマツに気をとられているうちに見過ごしてしまいそうだが、武家屋敷風の門構えが寺には不釣り合いで、不思議な違和感を醸している。 勝海舟が練馬の旭町兎月園に住んでいたことを海野弘著「武蔵野を歩く」(アーツアンドクラフツ2006)で知ったばかりだ。 ずいぶん江戸城から離れたところに住んでいたものだ。 ...続きを見る

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2013/05/09 22:44
野火止用水沿いを歩く
史跡公園でバスを降りると、青空の下、一面の麦畑が広がっていた。 麦畑の向こうにはこんもりとした森が見える。 屋敷林だろうか。 ...続きを見る

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2013/05/05 19:11
零戦見学 所沢航空発祥記念館にて
零戦を見るために、所沢航空記念公園を訪れました。 アメリカからやって来た零戦は、展示期間が大幅に延長され、8月いっぱい見学できるそうです。 戦争を経験した世代は、最後には特攻機として利用された零戦を見るのは辛いかもしれません。 しかし、日本における航空機製作の黎明期に、技術者たちの知恵を結集した零戦です。 その技術の粋を目の当たりにし、技術立国として起とうと決意した敗戦後の日本にまで思いを馳せてみるのも、理数科離れが進んでいるといわれる今日だからこそ意義あることではないで... ...続きを見る

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2013/05/04 12:40
最後のお花見日和 西東京いこいの森公園にて
寒の戻り、おまけに終日、冷たい雨の降る一日になりました。 昨日がソメイヨシノ最後のお花見日和となったので、昨春も「土地の記憶」として「西東京いこいの森公園」の写真をアップしていますが、花の名残に昨日の公園の様子を載せておくことにします。 ...続きを見る

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2013/04/02 21:06
桜と新芽萌えるカエデ 平林寺にて
東久留米駅より9:30発のバスに乗って、平林寺を訪れた。 紅葉の頃、そして初詣と、最近立て続けに平林寺を訪ねる機会があり、昔の鬱蒼とした昼なお暗いイメージから一転して、明るい雑木林の中に遊歩道が整備されているのを知った。 早速、友人らを誘って散歩の後、近くの手のべうどんの店で会食しようということになった。 ...続きを見る

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2013/03/30 20:54
零戦来日 所沢航空記念公園に行く
アメリカより来日した零戦を観るために所沢航空記念公園を訪れた。 ところが、この日から4日間、実際に零戦のエンジンを始動してみせるというので、抽選に当たったマニアが詰めかけ、一般の見学者は入場時間を制限されていた。 見学を諦めざるを得なかった。 展示期間は3月末までということだったので、急いて出かけてきたのだが、8月末まで期間延長されるという。 シートで囲まれた展示会場前には、せめてエンジン音だけでも聞こうという人たちでいっぱいだった。 ...続きを見る

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2013/03/29 19:06
柳瀬川回廊 春を告げる花
清瀬駅より台田団地行きのバスに乗って終点で下車。 友人の案内で柳瀬川沿いの桜見物に出かけた。 ...続きを見る

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2013/03/27 23:16
六義園のしだれ桜
上掲の写真は「六義園のしだれ桜」として親しまれている「エドヒガン」です。 土曜の朝、突然のお誘いがあり、こういう機会でもないとつい先延ばしにしてしまうのが分かっていますので、思い切って出かけたものです。 「エドヒガン」の中でも、枝が柔らかいため垂れながら成長する種類であると説明板にありました。 ソメイヨシノより少し早く、お彼岸の頃に咲くそうです。 遠くから眺めるとまだ蕾と見えたものが実は花の散った後のガクで、樹の下は雪のように花弁が散り敷いていました。 枝ぶりの面白さや... ...続きを見る

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2013/03/25 21:31
パワースポット 竹島をめぐる
竹島というと領有権問題で揺れる島根県の竹島がまず想起されるので、最初に断わっておく。 これからめぐるのは、愛知県は三河湾の内海、それも対岸より400mほど先に、ぽっかりとまるで海上の古墳のような趣で浮かんでいる島の方である。 朝鮮半島と日本列島のほぼ中間に位置し、激浪に洗われ、国際紛争の火種となる外洋の島とは、その運命を異にする。 (隠岐諸島の島後の港で見た、「竹島よ帰れ!」の大きな文字が今も目に浮かぶ) ...続きを見る

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2013/03/06 16:07
蒲郡ホテル(現・蒲郡クラシックホテル)にて
東京から京都・大阪を往き来しても、豊橋で新幹線から在来線に乗り継ぎ、蒲郡を訪ねる機会はあまりないのではないだろうか。 蒲郡ホテルのゲストルームから眺める風景は、東西を渥美半島と知多半島に抱かれた静かな三河湾だ。 目の前にぽっかり浮かぶ竹島にかけて400mの橋が一直線に延びている。 自然の風景がすでに昭和初期の保養地の面影をとどめている。 名古屋の繊維商・滝信四郎が昭和7年に、私費で架橋し 竹島の対岸に明治45年、料理旅館・常盤館を、昭和9年に蒲郡ホテルを建てている。 ... ...続きを見る

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2013/03/01 22:07
北朝鮮14号管理所からの脱出
ナチスの絶滅収容所や旧ソ連のラーゲリのような過去の話ではない。 国家による人道に対する犯罪が今なお現在進行中である。 そのことに痛みを覚えるのは、過去の歴史を断罪する自信ありげな態度に比べ、同時代の非人道的行為に対してはあまりにも無力だからだ。 ...続きを見る

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2013/02/11 19:36
葛城山頂より大和平野と大阪平野を眺める
標高959mの葛城山頂はぬかるんでいた。 昨夜、山には雨が降ったらしい。 おまけにうす曇りで、期待していた大展望は裏切られたかたちになった。 確かに大阪平野と大和盆地が一望され、360度の眺望がきくという言葉に偽りはない。 ロープウェイで上昇中から眼下に大和三山が一望された。 ただ、仁徳天皇陵とされる巨大遠方後円墳がばっちり視界にとらえられる、なんてことは期待できない。 ...続きを見る

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2013/01/28 19:43
奈良県庁舎の屋上より
ご覧のように天気はあまり良くない。 近鉄奈良駅に降り立って、まずどこかで昼食をとることを考えた。 空腹なのは起動が早朝だったからだ。 柿の葉ずしの平宗か・・・ 釜飯の志津香は定休だし。 県庁の食堂も見晴らしがいいらしい。 駅前の横断歩道を渡ろうとしてふと、奈良女子大の近くに洋食屋があったことを思い出した。 東向北通を進むと少し奥まったところに、見覚えのある店の佇まいに吉川亭の文字。 ドアにガムテープが貼られているのを見て、過ぎ去った年月を思った。 大丈夫かなあ、... ...続きを見る

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2013/01/08 22:48
平林寺掃苔録
総門の外は、睡足軒の森 睡足軒の敷地は、平林寺境内林の一部で、現在新座市に無償貸与されている。 「電力の鬼」と呼ばれた実業家、松永安左ヱ門(耳庵)は、当地を屋敷地とし 昭和13年に飛騨高山付近の田舎家を移築し草庵とした。 最後の数寄茶人といわれた耳庵は、「田舎の茶」を楽しみながら親しい友人らと団欒の日々を楽しんだという。 昭和46年に永眠する。享年95歳。 遺志により葬儀・法要は一切執り行われず、法号もなく、傾倒した石室善玖の開山した平林寺に葬られた。 昭和47年に敷地と草庵が... ...続きを見る

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2013/01/04 14:33
平林寺に初詣 津田左右吉の墓に詣でる 
初詣に平林寺を訪れた。 紅葉にあかあかと彩られた時期とは全く様相を異にしていて 冬枯れの境内林は「極寂(ごくさび)」の世界だった。 ...続きを見る

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2013/01/02 23:02
橿原神宮前駅
奈良の地理と交通網に慣れると、宿は近鉄奈良駅より橿原神宮前駅近くにとるのが便利なことが分かり、以来橿原神宮前駅をよく利用するようになった。 駅前のホテルがボーリングして温泉を備えてから、ますます使い勝手がよくなった。 にもかかわらず、駅舎が村野藤吾の作品であるのを知ったのはごく最近のことだ。 もっぱら東口を利用することになるので、中央口の吹き抜け空間の意匠や、大和棟を模した大屋根の外観を目にする機会がなかったのだ。 ...続きを見る

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2012/12/31 19:55
虚構としての近代天皇制のメッカ 橿原神宮
橿原神宮の創建は明治23(1890)年。 新しい神社だからといって軽視することはできない。 いつ来ても、畝傍山を背後に控えた神社の境内は広々としていて、観光客がいてもうるさくない。 神域が人をのみこんでしまうからだろう。 ...続きを見る

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2012/12/27 21:49
天龍寺へ 嵯峨野にて
嵐電を嵐山駅で降りると、間近にある総門を潜って、嵯峨野はまず天龍寺から見学する人が多いのではないだろうか。 後醍醐天皇の霊を祀る鎮魂の寺、足利の寺、夢窓国師の寺… 後醍醐天皇より神器は光明天皇に渡され、南北朝の争乱もついに北朝、足利尊氏の勝利に終わった。 夢窓疎石の深謀遠慮が、足利尊氏に後醍醐帝の菩提を弔う禅寺の建立を進言させた。 寺地は後醍醐天皇も幼少時を過ごしたという、後嵯峨上皇の亀山離宮の旧地。 古くは橘嘉智子が壮大な檀林寺を営んだところだ。 清新な外来思想であ... ...続きを見る

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2012/12/16 21:16
千代の古道 広沢池から直指庵へ
千代の古道(ふるみち)… 名前からしていかにも風雅で、その存在を確かめてみずにはいられなくなった。 宿のフロント係に尋ねると、現トロッコ列車の軌道のことや清滝道がかつて線路だった話になった。 それだけで嵯峨野の激しい変貌ぶりが伺われるが、肝心の「千代の古道」については確かな知見は得られなかった。 ...続きを見る

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2012/12/13 19:00
嵯峨御所大覚寺 夜間拝観
紅葉の季節に合わせてライトアップしている大覚寺を訪れた。 ...続きを見る

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2012/12/10 22:03
武蔵野の紅葉 平林寺にて
開門9時に少し遅れて総門を潜った。 すでにカメラマンたちが光とアングルを求めて逍遥している。 ここは武蔵野の古刹、平林寺。 約13万坪という境内林を誇っている。 記憶の中の禅寺は、ケヤキ、コナラやクヌギなどの雑木が鬱蒼と繁り、人影もない林間を独り行くのは恐いほどだった。 ...続きを見る

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2012/12/08 16:58
祇王寺から清涼寺へ 嵯峨野にて
祇王祇女そして仏御前の物語は改めて繰り返すまでもない。 ...続きを見る

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2012/12/06 18:16
野宮神社から常寂光寺へ 嵯峨野にて
まず常寂光寺を目指した。 それにしてもJRの嵯峨嵐山駅で下車してからの観光客の多さは予想以上だ。 人気の観光スポットだからやむを得ないにしても、こんなことならもう少し奈良で時間を費やすべきだったかな、と一寸後悔の念が過ったほどだ。 しかし、幸運なことにその落胆も長くは続かなかった。 紅葉の美しさに心を奪われてしまえば、辺りの喧騒もうそのように気にならなくなるものだ。 ...続きを見る

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2012/12/04 22:07
モミジの錦 嵐山にて
京都の紅葉といえば嵐山ははずせない。 渡月橋の南方、嵐山を見渡すと、すでに落葉した木々が目についた。 11月も終わりに近づき 紅葉の最盛期は過ぎようとしていた。 それでも、常寂光寺、祇王寺、直指庵などの紅葉は眩く その美しさは嵯峨野を訪ねる人々をしばし陶然とさせるものだった。 夜間照明された嵯峨御所大覚寺は、大沢池に倒立した堂宇と紅葉が映り込み、 反転した虚像は思わず「水の底にも都あり…」とため息をつかせる光景だった。 見事なあやかしの世界だ。 ...続きを見る

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2012/12/03 15:39
アカデミー賞候補作の呼び声高い「アルゴ」を観る
1979年に起きたイランアメリカ大使館人質事件を題材にして、その人質救出劇をサスペンスフルに描いた映画である。 人質救出は「アルゴ作戦」と名づけられ、実際に決行され成功した。 その作戦がまた、人質を映画のロケ隊に扮装させてイラン国外に脱出させるというもので、期せずして映画の都ハリウッドのオマージュにもなっていて、その点でも奇跡的にできすぎの感がある。 反米感情が最高潮に達しているイランで、よりによって目立つロケ隊に扮するとは! 嘘をつく時は大きい嘘をつけということか・・・... ...続きを見る

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2012/11/19 22:44
江戸散歩 深川佐賀町にて
東京に住んでいながら、東京を知らない。 昨今しばしばそう思う。 深川丼を食している時にカウンターの中から店の主人に聞かれた。 ...続きを見る

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2012/10/20 18:29
映画「天地明察」を観て
「原作(冲方丁 著)を読んでいないと分かりにくい」という感想を聞いて そんなに難しいのか?と 「暦」といえば数学と天文学だからなあ…、映画化しにくいだろう、と思っていはいたが、映画(主演・岡田准一 監督・滝田洋二郎)としては至極分かりやすい映画だった。 たぶん…、少し居眠りしてしまったようだ(^_^;) ...続きを見る

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2012/10/06 22:44
「貧乏物語」
名著とされる本や気になる本は、とりあえず買っておく癖があったので、「つんどく」状態にあった本書をようやく読んだのが、購入してから25年後のことだった。 ...続きを見る

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2012/08/16 21:59
メリー・スチュアート伝
ロンドン・オリンピックをテレビ観戦しながら、新潮文庫の復刻版、シュテファン・ツヴァイク作「メリー・スチュアート」を手にとった。 ...続きを見る

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2012/08/08 21:59
シュテファン・ツヴァイク ヨーロッパ統一幻想を生きた伝記作家
シュテファン・ツヴァイクの名は、同時代に同じように平和主義を唱えた「ヨーロッパ人」ロマン・ロランほど知られていないのではないだろうか。 私自身が、伝記文学「マリー・アントワネット」によってその存在をはじめて知ったような、遅れてきた読者だ。 ...続きを見る

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2012/08/02 21:30
北庄城址と福井城址 越の国の歴史
天皇家における万世一系がフィクションであることをおおっぴらに議論できるようになったのは戦後のことだ。 福井の歴史を概観する時、継体天皇あたりから考えるのが分かりやすいように思う。 現在、福井市街を貫流する足羽川(あすわがわ)の西岸、足羽山には継体天皇像が建っている。 (足羽山には橘曙覧記念文学館も在るので時間が許せば行ってみたかったのだが) ...続きを見る

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2012/07/19 21:35
養浩館庭園(旧御泉水屋敷)
永平寺を訪ねた日、時間があったので福井駅より養浩館に行ってみることにしました。 養浩館庭園は江戸時代に福井藩主松平家の別邸があったところです。 ...続きを見る

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2012/07/13 21:51
ひがし茶屋街
現在、金沢には3つの茶屋街が残っており、藩政時代の遊興の巷を彷彿させる。 花街といえば京都観光にはなくてはならないものだ。 遊びの世界は風景と歴史に興趣と奥行きを添える。 島原、祇園、宮川町、先斗町、上七軒… 金沢城下には主計(かずえ)町茶屋街、ひがし茶屋街、にし茶屋街として 前の二者は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、古風な町並みが保存・整備されている。 ...続きを見る

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2012/07/07 21:44
長町へ
鈴木大拙記念館と21世紀美術館を見学した後で、そろそろ日は西へと傾き始めていたが、武家屋敷跡へ行ってみることにした。 辰巳用水の流れる百万石通を西へ、香林坊を経て長町へと急ぐ。 ...続きを見る

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2012/07/05 18:08
加賀百万石の美意識 兼六園
金沢の町は美しい。 金沢城を中心としたごく狭いエリアを歩いた限りの話ではあるが、ゴミひとつ落ちていない、緑が豊かである、清冽な水が流れている… その中に豊富な文化財が点在し、古色を帯びながら、当初の機能とは別の使い方をされて、現代に息づいている。 (現在も忘れられた文化財を発掘する努力が行われているようだ) ...続きを見る

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2012/07/02 22:02
本多家中屋敷跡 松風閣庭園
鈴木大拙館をあとにして、背後にまわると、緑陰に池があった。 木漏れ日の下、苔が美しい。 苔の種類はどれくらいあるのだろうか。 ...続きを見る

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2012/06/07 22:40
永平寺
雲水にカメラを向けさえしなければ、基本的にどこを撮ろうがOKだという。 (もちろんノーフラッシュではあるけれど) 京都は東本願寺でも、写真撮影については、外国からの観光客に鷹揚な態度をとっていたことを思い出した。 一方、アッシジの聖フランチェスコ寺院などはボランティアが目を光らせていて一切写真を撮ることができなかった。 確かに信仰が未だ脈々と息づいている霊場で、所かまわずカメラレンズを向けるのは憚られる。 永平寺はもともと山林修業の道場なのだから、本来は観光客がどかどか... ...続きを見る

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2012/05/30 17:18
女人高野 室生寺
長谷寺駅より榛原乗り換えで、室生口大野駅へ。 GWのシーズンには室生寺と長谷寺をバスが往復していたが、一般には室生口大野駅よりバスに乗る。 バス道に並行して東海自然歩道も整備されており、1時間半ほどの行程だとか。 室生寺まで歩くのもよさそうだ。 ...続きを見る

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2012/05/26 16:41
こもりくの初瀬へ
2泊の旅程では、二日目の中日にたっぷり時間がとれるので、長谷・室生に「遠出」することにした。 長谷寺のボタン、室生寺のシャクナゲがまだ見られるかもしれないと期待していたのだが 5月11日、晩生のボタンがわずかに咲き残っているだけで、残念ながら花の盛期は過ぎていた。 夏を迎えようという山は滴るような緑に覆われて、堂宇の姿が新緑によく映えている。 ...続きを見る

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2012/05/20 18:15
興福寺から東大寺へ
2012年5月10日 東京駅7:29発 近鉄奈良11:13着 東向通の陶器屋さんが店じまいの半額セールをしていた。 奈良の赤膚焼は店先に少しあるくらいで、有田焼が大半を占めているようだ。 漫然と歩いているだけでも、百均ができたり、東向通の店が入れ替わっていることを感じる。 ...続きを見る

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2012/05/17 19:59
奈良ホテルにて
コスト・パフォーマンスを上げたいという気持ちもあったが、久々の女三人旅。 奈良ホテルに二連泊することにした。 ...続きを見る

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2012/05/16 18:28
女三人珍道中 新薬師寺から戒壇院へ
学生時代からの友人二人と奈良を旅しました。 10年近くも諸般の事情で実現できないでいた旅でした。 3人のスケジュールを調整して3日間の非日常をつくりだすのは容易なようで、なかなか大変なことです。 ...続きを見る

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2012/05/13 21:24
映画版「テルマエ・ロマエ」
 テルマエ・ロマエ4    ヤマザキ マリ 著  エンターブレイン(’12.1) ...続きを見る

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2012/05/06 15:49
土地の記憶 原子核研究所跡地にて
ミニ氷河期がくると話題になっている。 そういうニュース耳にすると、都合のよい方に解釈したくなるのが人情だ。 不安を打ち消すように… (情緒を安定させるために無意識のうちに働く正常性バイアスというものだろう) 食糧危機やその他もろもろの経済・政情不安をこそ恐れるべきなのかもしれないが、まず 地球温暖化現象も相殺されるのではないか… と、何の保証もない楽観主義が頭をもたげる。 だったら、温室ガス効果を心配せずに、原発を止めて、火力発電に頼ってもいいんじゃなかろうか、と。... ...続きを見る

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2012/04/23 18:13
花疲れ 石神井公園の桜
10日に観た桜があまりに見事だったので、ひと雨あった翌々日にまた訪ねてみることにしました。 練馬高野台駅を起点とし、川沿いを桜花に誘われて石神井池及び三宝寺池まで遡行します。 石神井川の流量は多いとは言えませんが、増水時、下の遊歩道まで浸水する危険性があることを警告する立札がありました。 護岸をがっちりとコンクリートでかためた川は、異常気象と都市型水害の危険性を秘めているようです。 ...続きを見る

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2012/04/13 18:37
適塾
淀屋橋より東一つ隣りの栴檀木橋を渡り、二つ目の角を右折すると適塾だ。 今日ではビルに囲まれて、北浜のオフィス街にひっそりと江戸期の面影をとどめる町家建築である。 ...続きを見る

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2012/04/09 19:21
お花見 妙福寺にて
桜が開花したとなると気になるのは妙福寺。 知る人ぞ知る桜の名所です。 独行の散歩者が、ひっそりと花を愛でる風情です。 少し風の冷たい日でした。 ...続きを見る

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2012/04/07 22:23
お水取り前夜 東大寺にて
興福寺から東大寺へ。 これもお決まりのコースだ。 興福寺境内を抜けて県道を渡ると奈良国立博物館である。 東大寺の西大門はかつてこの京街道―北は奈良坂を越えて南山城に至る―に面して建っていた。 登大路の交差点で地下歩道を渡る。 国際奈良学セミナーハウスの角を曲がり、知事公舎前の横を通り、吉城園、依水園の前に出る。 大仏殿の鴟尾を望み、若草山を借景とし、飛火野を巡る豊かな水脈・吉城川の水を引いた庭園だ。 その名も水門町。 風雪にさらされた入江泰吉の表札が変わらぬことを... ...続きを見る

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2012/04/01 22:52
京都から興福寺へ
京都は、歴史への門である。京都駅の建築全体は、この短文の形象化でありたい。 平安京の都市形態が、今日にも鮮やかにその姿を刻み込んでいるように、歴史はひとつに地理学的である。 ...続きを見る

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2012/03/29 21:30
橋姫伝説と宇治十帖
「手習の古蹟」を訪ねた後、三室戸寺方面へ行かず、宇治橋東詰の通圓茶屋まで戻った。 間近に宇治橋を眺めながら、錦玉羹と抹茶を頂く。 甘い宇治茶の香とともに、寒い季節に友人と来た時もこの茶屋で小休止したことを思い出した。 (その時レポートも当ブログに掲載しています) ...続きを見る

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2012/03/10 20:22
司馬遼太郎記念館
大和西大寺で近鉄奈良線に乗り換えて河内小阪まで30分余。 奈良か京都に行く際いつか立ち寄る機会もあるだろうと思っていた司馬遼太郎記念館をついに訪れた。 ...続きを見る

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2012/03/03 16:59
夢顔さんによろしく
題名からはのほほんとしたユーモア小説のような印象を受けるが この題名が意味するところは深長で、国家的な謀略がからんでいる。 「オール讀物」に掲載されたのが平成7年、単行本化された後も文庫になり版を重ねているので、多くの人が読まれていることだろう。 浅利慶太が絶賛して、劇団四季では「異国の丘」としてミュージカル化している。 ...続きを見る

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2012/02/22 19:26
壇ノ浦拾遺
赤間神宮にて 三種の神器の宝剣と玉を掴み、安徳帝を乗せた龍神がまさに竜宮城へ降ろうとしている。 水天門のわきに掲げられた大絵馬の図である。 日を受けてきらめく関門海峡を一望する高台に、陰鬱な平曲のメロディーは似合わない。 ...続きを見る

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2012/01/13 21:41
壇ノ浦古戦場址と赤間神宮
午前中ホテル主催のワンコインバスツアーで、白野江植物公園、田野浦の町並みを散策した後、下関に渡った。 何とツアーの参加者は我々だけだったので、こちらの都合に合わせて、関門トンネル人道入口で降車できるようにルートを変更してくれたのだ。感謝! ...続きを見る

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2012/01/09 21:32
壇ノ浦を望む 和布刈神社にて
門司の和布刈(めかり)神社境内より壇ノ浦を望む。 対岸、下関側に掲げられた電光掲示板にEの文字。 東潮流であることを示している。 日に4度潮の流れの変わる関門海峡は、ここ早鞆の瀬戸で最も狭隘となり、最高時速は10ノットにもなるという。 白波が立ち騒ぐ奔流を見れば、航行の難しさが想像される。 凄まじい潮流に臨み、二位の尼は気丈にも「波の底にも都の候ぞ」と言って安徳帝とともに入水したのだ。 ...続きを見る

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2012/01/06 21:47
師走に入って思うこと
明日にはばっさりと剪定されることになっているので、秋色濃い景色をカメラにおさめた。 去年はちょうど紅葉の最盛期にくりくり坊主にされてしまい、とても残念だったことを思い出したから。 それにしても 去年…、と言葉に出してみると、何とも無念な思いの残る2011年だった。 「昔はものを思はざりけり」とは小倉百人一首にある恋の歌の下の句だけれど 3.11の震災・津波・原発事故を経験する前と後とでは、何と人の心持もかわってしまったことか。 今年と比べてみると去年は、全くものを思う... ...続きを見る

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2011/12/04 19:40
日本一のわさび田 大王わさび農場
安曇野は広い。 北アルプスから流れ出るいくつもの川が扇状地をつくり、それらが重なって、内陸盆地としては日本一大きな松本盆地を形成している。 標高は松本駅周辺で580m 山々の雪解け水は伏流水となって盆地を貫流し、扇状地の末端で湧き出ている。 湧水の温度は季節による変動が少ないというから、わさび栽培に適しているのだろう。 ...続きを見る

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2011/11/21 18:49
常念岳山麓より
穂高駅を発った車は、やがて常念岳に向かってぐんぐん上って行きました。 宿が近づく頃、誰かが「あら、猿がいるわ」 その姿はすぐに森の中に隠れてしまいました。 今年の紅葉はあまりきれいでないという地元の人の話でしたが、上に行くにつれてオレンジの色が勝ってゆきます。 宿に到着するとダウンコートを着込んだスタッフが出迎えてくれました。 標高1000m 南面する部屋の窓からは、右側に常念岳と前常念の山頂が見えます。 宿の位置は、常念岳の沢登コースの登山口に近い。 夜は、烏川... ...続きを見る

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2011/11/19 18:43
穂高神社から千国街道を経て碌山美術館へ
安曇野ちひろ美術館を訪ねた後、松本に宿をとりました。 大糸線は信濃松川駅から松本駅までもどることになりましたが、ホテルのインテリアが気に入りました。 上掲の写真は、ロビー・ラウンジで、赤い大きな壁面が全体によく調和しています。 メキシコ人のルイス・バラガンという建築家のデザインだそうです。 おまけに客室をスタンダードからエグゼクティブ・フロアにランクアップしてもらって気をよくしました。 絵一枚飾られていない部屋には、がっちりとしたシンプルな姿見が一見壁に立てかけてあるか... ...続きを見る

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2011/11/17 16:53
ブナ林を歩く 津南郷にて
「ぬかるんでいる所がありますから足もとに気をつけてくださいね」 と言われて、ブナの森へと入って行った。 シラカバの林間を抜ける坂道には落葉が積り、昨夜の雨でしっとりと濡れている。 ホテルのすぐ前だったので気軽に出かけてしまったのだが、上りきったところで、静かな山道を前にして、独行でしかもクマ避けの鈴もないことが、俄かに心配になった。 ...続きを見る

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2011/10/25 17:51
見玉不動尊 秋山郷にて
「秋山紀行」を著した鈴木牧之は、桶屋團蔵という案内を得て、塩沢より十二峠を越えて清津川沿いの村に至り、さらに山越えして中津川東岸の見玉(みだま)不動を訪ねている。 牧之が記している清津川の万年橋は、昨年清津峡を訪れた際に渡ったのでまだ記憶に新しい。 (汗を拭き拭き清津峡まで歩いたのだった) 私たちの宿となったのは、牧之の「ノジとなん云村」の東方に当たるリゾートホテルだった。 (ノジ村は秋山郷の入口に位置し、当時、疱瘡を嫌い、家の門ごとに七五三(しめ)縄を張ったのが見受けら... ...続きを見る

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2011/10/22 16:16
石神井城址にて
子どもの頃、日曜日といえば家族とよく出かけていた石神井公園。 懐かしさと秋晴れの空に誘われて、週日の午後歩いてみました。 ...続きを見る

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2011/09/28 19:30
斎院・斎宮と「源氏物語」  国立能楽堂にて
夕暮れ時、屋敷林の傍を通りかかると、いかにも涼しげに虫の声が聞こえてくる。 オーケストラというよりも大合唱である。 ヤマボウシの実が熟れて落ち、カツラの木が香ばしい匂いを発散していた。 ...続きを見る

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2011/09/18 14:36
定家明月記私抄
厳しい残暑が続いているが、コントラストの強い日射しも風も空気もどこか秋である。 街路樹の桜も気早に黄葉して散りはじめている。 さすがに月がきれいだ。 ...続きを見る

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2011/09/14 18:50
読書の秋に先立ち、名著「私の國語教室」を読む
年齢の為せるわざか、世の中のシステムに対して何かと不満が萌すことが多くなった。 そのせいもあり、福田恒存が文部官僚の思惑を見抜き、レトリックを駆使しつつ強固に張り巡らせた論陣に、本論をはなれてまず爽快さを感じるのだった。 このレトリックに関しては、反対派から批判のタネともなったようだが、そこは戯曲作家の面目躍如といったところだろう。 ...続きを見る

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2011/09/05 19:37
吉村昭著「三陸海岸大津波」を読んで
貞観以来、千年に一度の規模の津波だといわれて、果たしてその災禍に完璧に備えることができただろか、と問われれば、「否」である。 地震多発地帯である三陸海岸沖で、殊に湾入が深い田老町では、過去に幾多の津波を経験している。 当然のことながら防災意識は高い。 巨大な防潮堤は海外からも見学者が訪れるほどだったという。 ...続きを見る

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2011/09/03 19:05
子どもたちの「津波碑」
しかし途中で母が「だめだ、もう走れない。無理だ、あきらめる。みんなのことお願いね」と言って、走るのをやめてしまったのです。俺が「何ふざけた事を言ってんだ。津波がそこまで来てるんだぞ!走れ!がんばって走れ!」と言うと、また少し走り始めました。でも正直言うと俺は、“もう間に合わないかもしれない。全員津波にのみ込まれてしまうのでは”と不安でたまりませんでした。 ...続きを見る

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2011/08/29 21:18
白川静 漢字の世界観
「孔子伝」を拾い読みした後で、「白川静 漢字の世界観」を読む。 (「孔子伝」は後日、じっくりと読むことにしよう。夏風邪が長引き、根気がない) ...続きを見る

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2011/08/24 18:11
徳富蘇峰 日本ナショナリズムの軌跡
徳富蘇峰といっても、今時芳しい反応は帰ってこないだろう。 「不如帰」を書いた徳富蘆花の兄で、考え方の違いから疎遠だったとか… 大ジャーナリストと言われる「大」の意味を実感できるほどの知識もない。 ...続きを見る

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2011/08/22 19:02
「周恩来秘録」を読んで
BSプレミアムで「家族と側近が語る周恩来」を興味深く観た。 文化大革命当時のことが未だにタブーとされる中国で、ごく内輪の人間だけが語る周恩来像に、まだまだ秘された部分が大きいことを感じざるを得ない。 インタビューからは克己心の強い優秀な実務家としての政治家像がクローズアップされていた。 学生運動時代に知り合った妻のケ穎超との間に子はなく、姪や甥の面倒をよくみた。 一説にケ穎超が子を産まなかったのは、いつ政治的迫害の累が及ぶか分からない過酷な権力... ...続きを見る

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2011/08/19 23:26
「白川静読本」 文字に「呪」をこめた遠い昔
「空海と密教美術展」(〜9/25@東博)に因んだテレビ番組の、第2集「名筆の誕生」を観た。 東京国立博物館で、空海の直筆「聾瞽指帰(ろうこしい)」に惹きつけられた理由がよく分かった。 迷うことなく仏道修行に邁進しようと決心した沙門空海の、まさに青春の書。 戯曲仕立てで書かれているということが、何よりも空海の文学的創造力のたくましさを語っているように思う。 勿論、漢文による内容をただちに理解できるはずもなく、ただただ文字に魅せられた。 運筆の呼吸、一気呵成に書き上げられた... ...続きを見る

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2011/08/10 19:18
京都拾遺
原発事故の影響が、どの程度首都圏の生活を脅かすことになるのか。 経済問題を含めれば、これはもう国全体に甚大な被害をもたらしているわけだが、被災地で今もなお避難所生活をしている人を含め生存権すらままならず「難民」であることを余儀なくされている人々からすれば、首都圏でまだ「普通」の生活を送っている私たちは、まるでユダヤ人のゲットーの外側で日常を送る非・ユダヤ系の人間のようなものだろう。 当事者でない限り、決定的に見えないものがある。 そのことだけを肝に銘じる日々である。 それ... ...続きを見る

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2011/07/31 12:58
夏の仁和寺境内
前ページに掲載した「御殿」部分は、いかにも王朝の雅な雰囲気に満ちているが、実は明治20年に火災に遭っており、茶室「飛濤亭」及び「遼廓亭」以外は、その後の復元である。 技術や美意識がさらなる発展を遂げて伝承されている証拠を目の当たりにするようだ。 宸殿の設計者は、東京美術学校を卒業した亀岡末吉で、古社寺の調査・修復を多く手がけている。 細部にわたる繊細なデザイン感覚に思わず溜息が漏れた。 ...続きを見る

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2011/07/21 22:15
旧御室御所 仁和寺にて
風があるので何とか暑さを凌げるだろうと、仁和寺行きを決めた。 京都駅前よりJRバスに乗って、高雄方面へ約30分。 立命館大学前の堂本印象美術館を右手に見て、ちょうど菖蒲の花が見頃だという龍安寺前を過ぎると間もなく、仁和寺の二王門前の停留所に着く。 ...続きを見る

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2011/07/19 20:01
新島襄旧邸にて
新島襄と言えば、同志社を創設した教育家として知られている。 会津藩出身だとばかり思い込んでいたところ、今回、安中藩の出身であったことを知った。 同志社・今出川校の敷地を提供した山本覚馬が会津藩出身だったことで混同していたらしい。 その覚馬の妹が、後に新島襄夫人となる八重である。 再来年のNHK大河ドラマの主人公だ。 ハンサムウーマンと評される女丈夫は、毀誉褒貶のある人物で、悪妻などと批判されるのは、夫新島襄のレディファースト、欧米流のマナーを誤解したせいもあるらしい。 ... ...続きを見る

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2011/07/02 12:42
北口本宮富士浅間神社
富士の名は、アイヌ語の「フチ=火」に由来するという説がある。 浅間神社の「アサマ」の語源は不明だが、一説に「火山」を意味するアイヌ語ともいわれる。 浅間神社の祭神コノハナサクヤヒメは、天孫である夫のニニギの子を身ごもった時、国津神の子ではないかという夫の疑いを晴らすために、産屋に火を放ち、三柱の子を産んだ。 もともとは火山である富士山そのものが神体であり、荒らぶる神の魂を鎮めたのがはじまりだろう。 夫のニニギ、父神オオヤマツミとともに祀られているコノハナサクヤヒメは火山鎮... ...続きを見る

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2011/05/22 21:58
御師の町を歩く 富士吉田にて
昨日、富士五湖が国の名勝に指定されたそうである。 国名勝に指定されようが、世界遺産登録を目指そうが、冨士山が日本人の心に深く根づいている事実に変わりはない。 町の銭湯が消えても、銭湯のタイル絵が富士山だったことを記憶している人は少なくないはずだ。 ...続きを見る

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2011/05/21 15:12
「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ
都心に行く用事があって、リュックに放り込んだのが加藤典洋の「敗戦後論」 文庫本で軽いけれど、電車の中で読むにはちょっと肩がこる代物だが、翌日手にとった「核」論がこの本の引用からはじまっている偶然にちょっと驚いた。 ...続きを見る

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2011/05/14 10:40
「原発の経済学」より
音もしない霧雨が、いつしか梅雨時のような本降りになった。 肌寒い。 以前だったら思わずガスストーブに手が伸びるところだけれど、節電の習慣がガス器具にまで省エネさせている。 ...続きを見る

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2011/05/12 19:43
ホテルが刻む歴史 ホテル・ニューグランド
ホテル・ニューグランドについては昨年の12月に当ブログにアップしているので、重複するところもありますが、悪しからず。 ...続きを見る

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2011/04/19 18:55
ミニ中国 横浜中華街
いつの間にか雨が降り始めていました。 中華大通りはあかあかと光を反射して、まるで油を流したようです。 タクシーを拾おうとしていると 「お腹いっぱいですか」 と、笑いながら甘栗売りが近づいてきました。 しつこく客を引く甘栗売りは、日本語もまだ満足に話せない新華僑のようです。 この甘栗売りが実はばかにできない儲けになるそうで、歩道のスタンドの権利金が一説に月50万円とか。 ...続きを見る

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2011/04/03 13:57
フェニックスのように 関東大震災の瓦礫から生まれた公園
上掲は古い彩色絵葉書です。 左手の建物はグランド・ホテルで、現在、人形の家博物館が建っているところです。 まだ山下公園はなくて、海岸通り(Bund)が直接横浜港に面しています。 右手に延びているのはフランス波止場、手前の護岸は堀川(現・中村川)です。 グランド・ホテルは日本を代表するホテルとして活躍しましたが、関東大震災で倒壊してしました。 震災で横浜が受けた被害は壊滅的で、山下公園はその瓦礫を埋め立て覆土して造成されたものなのです。 ...続きを見る

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2011/03/15 14:09
旧イギリス総領事官邸 港の見える丘公園イギリス山地区にて
年度末の予算消化か、或いは観光シーズンに先駆けての修復工事でしょうか、 生憎、大仏次郎記念館は休館中、残念ながら「霧笛」の原稿を観ることはできませんでした。 ...続きを見る

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2011/03/10 18:02
廃墟の美またはトマソン? フランス山の記憶
ホテルニューグランドの角を曲がり、歩道橋に上り、居留地の南の境界をなす中村川を渡ると、そこはもうフランス山地区です。 生麦事件の後、自国民の安全を守るという名目でフランス軍が駐屯したキャンプの跡です。 港の見える丘公園の北側にフランス軍が、南側にイギリス軍が駐屯しました。 ...続きを見る

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2011/03/08 21:17
横浜外人墓地 横浜の記憶をたどる
のっけから墓地とは少々気が引けますが… 横浜の記憶をたどるならば、外国人墓地からスタートするのもいいかもしれません。 港の見える丘公園をあとにして、谷戸坂を少し下って左折します。 ゲーテ座跡を過ぎると、正面が横浜外国人墓地です。 ...続きを見る

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2011/03/06 19:28
「折たく柴の記」を読む
書名の典拠は一般に、新古今和歌集に載っている後鳥羽院の次の歌だと考えられている。 ...続きを見る

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2011/02/23 18:09
網野善彦編 「日本の名随筆 歴史」
絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ ...続きを見る

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2011/02/15 18:59
幻の「モロッコ紀行」とは
開高健らにより名著と称賛された「モロッコ紀行」は、戦後禁書扱いになっており、今日でも自由に読むことができない。 そこで自選集第三巻に収められている同じ著者による「モロッコ」を読んだ。 後者の「モロッコ」は「モロッコ紀行」の序文の三分の二、本分の前半二分の一を使った短縮版だということだ。 一体、何が削られたかは「モロッコ」を読めばほぼ推察できるのではないだろうか。 「モロッコ紀行」は戦時下の1943年に刊行されている。 約40日にわたる現地取材をもとに書き上げられたものだ... ...続きを見る

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2011/02/06 21:14
高村光雲の「幕末維新懐古談」を読む
たまたま志ん朝の「富久」をCDで聴いていたので相乗効果となって、高村光雲による「浅草の大火の話」が真に迫り何とも面白く読めた。 高村光雲が座談の名手であったことは、このくだりを読むだけで明らかである。 職人といえば、意固地で気難しい無口な人間を想像しがちだが、苦労人の光雲には世間知があり、親に孝養を尽くし、木彫渡世しつつ、情に縛られながらも世間の義理を果たし生涯を全うした。 何度か瞼の裏が熱くなったのも、語り口の見事さの背後に、職人らしい腰の低い誠実な姿が一貫して垣間見られ... ...続きを見る

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2011/02/02 18:02
明治日本旅行案内 東京近郊篇
本書は1881(明治14)年に横浜で刊行された三巻本のうちから、東京とその周辺の観光地を取り上げ編成されたものである。 二人の編著者のうちの一人はアーネスト・サトウで、それまで粗悪なガイドブックしかなかったところ、最良の日本案内記となった。 ...続きを見る

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2011/01/26 18:44
銀座開化おもかげ草紙 完結編 「西南の嵐」
どうも今という時代が気に食わない…となると 過去のどこかに理想の時代を求めがちで、人間退行に陥る危険なきにしもあらず。 けれども、その危険を冒しても、江戸時代は懐かしいものなのだ。 ...続きを見る

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2011/01/18 19:04
関帝廟 横浜中華街にて
清国人は1859年の開港と同時に横浜に現れたという。 米英仏の商館のほとんどが清国人を伴って来たからだ。 香港、上海の欧米商館に勤めていた彼らは、外国の言葉と商習慣に通じている上、日本人とは漢字による筆談が可能だった。 当時、日本人と西洋人が交渉する場ではオランダ語が用いられた。 日本語から英語に通訳するためにオランダ語を経由せざるを得なかった。 生糸やお茶の取引をする現場に西洋人の姿はなく、もっぱら日本人と清国人によって商談が行われたという。 ...続きを見る

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2011/01/08 10:48
旧横浜正金銀行本店 神奈川県立歴史博物館にて
神奈川県庁をあとにして、関内のメインストリートである本町通を西進する。 ...続きを見る

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2011/01/06 17:28
「一外交官の見た明治維新」が面白い
この年になるまで読まずに放っておいて「しまった!」と後悔する本がある。 この本もそういう本であった。 ...続きを見る

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2011/01/04 19:57
海上から眺める「みなとみらい21」
みなとみらいは、海上から眺めるのが最もよいという。 摩天楼は、足下を歩いていてもその全貌はつかめないし、高層からの鳥瞰図も一度見ればそれで納得してしまう。 季節による変化もあり、海からアクセスすることで、かつての船旅の興奮をちょっぴり疑似体験することができるかもしれない。 ...続きを見る

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2011/01/02 12:21
神奈川運上所跡 県庁本庁舎にて
横浜三塔の一つ「キングの塔」を戴く神奈川県庁本庁舎を訪ねた。 ...続きを見る

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2010/12/30 16:24
赤レンガの時計塔 横浜市開港記念会館
シンプルなバラ窓が美しい。 「坂の上の雲」でこの飾窓を背景に、阿部寛が階段を下りてくるシーンがすでに収録済みだという。 軍服姿?長身の阿部寛が、逆光でシルエットとなって、それは絵になることだろう。 ...続きを見る

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2010/12/28 20:42
旧イギリス領事館(横浜開港資料館)にて
銘板は、薩英戦争で犠牲になったイギリス人将兵を記念してつくられたものである。 ...続きを見る

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2010/12/24 16:11
フェニックスルーム ホテルニューグランドにて
ホテルニューグランドの宴会場の一つは「フェニックスルーム」と名づけられている。 メインダイニングルームとして使用されていた広間で、オリエンタルな意匠で統一されている。 もうひとつの宴会場「レインボーボールルーム」の方は、対照的に洋風を基調としている。 ...続きを見る

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2010/12/13 18:58
マッカーサーズルーム見学 ホテルニューグランドにて
ホテルニューグランドに宿泊した翌朝、マッカーサーズスイートを見学した。 ...続きを見る

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2010/12/12 12:04
塩田北条氏の盛衰 龍光院と前山寺
紅葉の季節に紫陽花の返り花・・・ 左手に塩田平を眺めながら、山道の落葉を踏みしめて行くと、龍光院の門前に出た。 塩田北条氏二代目国時によって父義政の菩提を弔うために建立された寺である。 庫裏にて山菜御膳を頂いた。 地味の肥えた当地では朝鮮人参をつくっているらしく、その天麩羅が出た。 ほろ苦い。 ...続きを見る

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2010/11/22 17:20
信州最古の木造建築 中禅寺薬師堂 別所温泉にて
仲居さんに見送られて宿をあとにする。 快晴で無風。 会う人ごとに「最高のお天気ですね」と声をかけられる。 ...続きを見る

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2010/11/21 18:14
宮大工がつくった宿 別所温泉花屋
別所温泉での宿は、花屋という文化庁の登録有形文化財に指定された旅館だった。 吹きさらしの渡り廊下が離れをつなぐ形式になっている。 庭の池水に紅葉が影を落とし、じぐざぐの廊下がまるで平安時代の宮中を思わせる。 清少納言のような女官が火桶を抱いて、寒そうに廊下を渡って行くのが相応しい… ...続きを見る

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2010/11/20 18:35
夜の北国街道・柳町 上田城・黄葉のケヤキ並木ライトアップ
夜8時、紅葉の季節に限り、宿から遊覧バスが出た。 11月半ばとはいえ、別所温泉の夜はしんしんと冷え込み、参加者19名に使い捨てカイロが用意されていた。 ガイドに案内されて、柳町を散策し、ライトアップされた上田城のケヤキの並木道を歩く。 ...続きを見る

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2010/11/19 19:34
厄除けの観音さま 北向観音堂 別所温泉にて
信州最古の禅寺、安楽寺をあとにして、北向観音の参道にさしかかると、俄かに温泉町らしい庶民信仰の賑わいにつつまれる。 湯川の畔には飲泉所があり「慈覚大師之湯」と刻まれた石碑が建っていた。 北向観音は慈覚大師円仁の開創と伝えられている。 ...続きを見る

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2010/11/18 20:26
安楽寺 本邦唯一、木造八角三重塔 別所温泉にて
安楽寺を訪れる目的のほとんどが、国宝八角三重塔であろう。 全国で唯一の木造による八角の三重塔であり、長野県で最初に国宝に指定された建物だ。 ...続きを見る

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2010/11/16 18:06
別所とは? 別所神社神楽殿より塩田平を眺める
常楽寺をあとにして、別所神社のある高台に上ってみた。 この神楽殿からの眺望が素晴らしい。 塩田平を一望し、遠景左手には浅間山が裾野をひいている。 眼下の別所温泉は塩田平の西端になり、標高は650m。 ...続きを見る

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2010/11/15 20:03
美しい茅葺屋根 常楽寺 別所温泉にて
藤岡・富岡間で事故があり、別所温泉に着いたのは正午近くになった。 「西行の戻り橋」という頓知のきいた逸話を持つ橋を渡るとすぐに、その日の宿となる旅館があった。 リュックを預け身軽になると、まず常楽寺から訪ねることにした。 常楽寺、安楽寺、そして北向観音の地にあったと伝わる長楽寺と合わせて「別所三楽寺」と呼ばれたそうだ。 ...続きを見る

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2010/11/13 21:39
秋の竹林 報国寺
二年前の春にはじめて報国寺を訪れた時 寺の由来について若干記しているので、ここでは割愛する。 季節による光や湿度の違いが拙い写真にも出ているかもしれないので、ご覧になって頂ければうれしい。 http://freeport.at.webry.info/200804/article_13.html ...続きを見る

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2010/11/03 18:29
兵どもが夢のあと 称名寺 金沢文庫
空模様が気がかりだったが、予定していた三浦半島ドライブを決行することになった。 台風一過後も秋雨前線の影響が残り、前夜は何度か目覚めて激しい雨音を聞いた。 ...続きを見る

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2010/11/02 18:09
「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」
西岡常一棟梁が最後の宮大工と云われる理由は、この本にも語られている。 本書は西岡棟梁からの聞書きである。 法隆寺の宮大工の口から大和弁で語られる内容は、分かりやすく、胸のすくような爽快感にあふれ、そして宮大工という存在の終焉を痛感させられ哀切でもある。 法隆寺専従の宮大工は、当初60人くらいいたのが、ついに西岡さん一人になってしまったという。 生活のため、と言ってしまえばそれまでだが、西岡さんは儲けのない仕事でも黄金の釘を打ち込んでるんや、と宮大工の誇りを貫き通した。 ... ...続きを見る

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2010/10/30 21:27
「北越雪譜」の世界 塩沢宿にて
牧之通りで周遊バスを降りた。 ...続きを見る

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2010/10/19 21:40
雲洞庵の土踏んだか 曹洞禅の名刹
塩沢に来た目的の一つがここ雲洞庵だった。 ...続きを見る

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2010/10/17 18:52
フォッサマグナを歩く
平岩駅で叔父夫婦と落ち合って、フォッサマグナの西縁部、糸魚川―静岡構造線(略して糸静線)に沿ってあらわれる断層面を案内してもらうことになった。 フォッサマグナはラテン語で「大きな溝」という意味だそうだ。 糸静線はユーラシアプレートと北米プレートが接する線といわれている。 東縁部については諸説あったが、現在では、柏崎・千葉構造線及び新発田・小出構造線に落ち着いているようだ。 ...続きを見る

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2010/10/16 10:16
金沢散歩
街路樹の美しい町だ。 ...続きを見る

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2010/10/13 18:03
黄金色の秋 蒲原平野
北方文化博物館の西の中門から屋敷地の外に出た。 野外ステージの設けられたイベント広場を抜けると、駐車場の向こうは目路の限り、稲穂の波であった。 瞬間、この風景を見に来たのだという思いが湧きあがって来た。 ...続きを見る

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2010/10/09 12:58
お寺のもよう替え 大榮寺
「今、修行僧が9人来ていますよ」 宿の方が教えてくれたので、朝食前に大榮寺まで歩いてみることにした。 この辺りは沢海城の城下町で、町割りなどに江戸時代の名残をとどめている。 「横道に入ると狭くて…、少し道がへんですけれど」 なるほど道を真直ぐ通さず、鍵の手に曲げるのは、敵の侵入を防ぐ城下町の常套である。 ...続きを見る

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2010/10/08 18:20
北方文化博物館 三楽亭・集古館
新津市街の北方、阿賀野川西岸に沢海(そうみ)の集落がある。 大河は、蒲原平野を蛇行しながらさらに17kmほど流れ下り、やがて日本海に達する。 左岸の堤防を下って行くと、越後屈指の大地主といわれた伊藤家が屋敷をかまえている。 現在は北方文化博物館となって往時の豪農ぶりを今日に伝えている。 ...続きを見る

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2010/10/07 19:27
北方文化博物館 本館
駐車場にぽつんと立つイチョウに銀杏が鈴生りだった。 その日の宿となる大呂菴にリュックを預けた後、改めて「北方文化博物館」の土蔵造り門を潜った。 竹林の根もとに、小さな五輪塔や石仏など中世の石造物がひっそりと蹲っている。 ...続きを見る

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2010/10/05 20:05
蒲原平野へ・・・ 豪農の館を訪ねる
長い長い関越トンネルを抜けると、そこはもう雪国・湯沢だけれど 夏が終わったばかりのこの季節にその実感はない。 豪雪地帯の魚野川沿いの田はほぼ刈取を終えていたが、数日前までは一面、黄金色に輝いていたことだろう。 ...続きを見る

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2010/10/03 17:38
「ポスト消費社会のゆくえ」(辻井喬・上野千鶴子対談集)を読んで
セゾングループ代表だった堤清二と、「セゾングループ史(全6巻)」の編纂に参加した上野千鶴子との対談集である。 「セゾングループ史」は、執筆を外部の研究者に依頼し、一般向けの図書として販売するという、通常の社史とは全く異なる発想でつくられたものらしい。 その際、取材は自由、情報の隠匿はしない、検閲なしという、これもまた異例である。 ...続きを見る

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2010/09/14 17:47
琥珀の中で見る夢は・・・
古代には、バルト海から地中海に至る「琥珀の道」が知られていたという。 ...続きを見る

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2010/09/08 11:18
「花祭」 民俗学の名著を読む
愛知県と長野県の県境付近の伊那谷に古い芸能が伝わっていることは聞いていたが、詳しいことは知らず、それが却って天竜川流域の村々を隠れ里めいた神秘なものに感じさせていた。 いつか行ってみたい土地だ。 信州は山々に隔てられ、地域ごとに驚くほど気風が違うという。 土地勘のない天竜川流域、高遠以南は私にとって未知の土地である。 ...続きを見る

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2010/08/30 19:11
「塩の民俗と生活」 宮本常一著作集49
塩こそ交易のはじまりではないかという説がある。 塩の重要性を考えると、他の資源に先駆けて交易品となったことは十分に考えられる。 ...続きを見る

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2010/08/28 13:34
「北越雪譜」を読む
塩沢へ行くことを考え、それでは「北越雪譜」を読まないことにはお話にならないだろうと思い、20年近くも本棚で埃をかぶっていた岩波文庫を手にとった。 ...続きを見る

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2010/08/25 17:18
「熈代勝覧」にみる三井大店(おおだな)
上掲の日本橋三井タワーは、2005年に竣工し、その業績に対して同年の日本建築学会賞を受賞している。 隣接する重要文化財の三井本館の意匠、特にギリシア神殿風の列柱を取り入れて、高さ26mというアトリウムの大空間がとても贅沢な印象だ。 このスペースに、三井本館に開設された三井記念美術館の入口が開いている。 バブル崩壊後、ガラス壁に覆われた大規模空間に対する反省もみられたようだが、その贅沢も一部ではまだ健在なようだ。 ...続きを見る

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2010/08/21 15:22
お盆の日に 霊園にて
墓苑を区切る柘植の生垣がきれいに刈り込まれて、上空には遮るものもない。 ...続きを見る

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2010/08/15 09:38
ナショナリズム論の名著50
ナショナリズムに関連する図書の充実したガイドブック。 「ナショナリズム」というと必ず引用されるベネディクト・アンダーソン、エリック・J・ホブズボームからハンナ・アーレント、吉本隆明の「共同幻想論」まで縦横に論じられ、紹介者の書き手50人がそれぞれ参考にした文献も含めると夥しい著作がリストアップされている。 ...続きを見る

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2010/08/12 13:35
「永遠の0(ゼロ)」
戦後、雨後のタケノコのように戦争体験を語る手記が出版されたそうだ。 そのうちのいくつかは後の評価に耐えて、今日まで読み継がれている。 記憶は変質する、とアウシュビッツでの経験を克明に記したプリーモ・レーヴィは述べている。 トラウマを克服しようとする無意識が記憶を歪曲することもあるだろう。 自己正当化の心理が働いて、客観的な見方にバイアスがかかる場合もあるだろう。 風化が危ぶまれる、戦後65年を経た今、あの戦争をさらに検証し、記憶を更新し続けなければならない。 ...続きを見る

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2010/08/08 09:19
「忘れ残りの記」
この本は何よりも、吉川英治の「母を恋うる記」である。 (因みに吉川英治は「母を恋うる記」を書いた谷崎潤一郎より6年年少である) 「人に語っておもしろいものではない」という著者の謙遜は必ずしも謙遜とばかりは言えないだろうが、作品がすべての作家にとってみれば、自己を語ることはできれば避けたいこと、もとより語るべきことではなかっただろう。 作者の影は作品の外にある。 日記をつける習慣さえ持たなかった作者が、編集者の長年にわたる求めに応じてついに「四半自叙伝」を書き上げたのは、家... ...続きを見る

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2010/08/04 19:14
「日本のいちばん長い夏」
今夏も何人かの訃報を聞いた。 当然のことなのだけれど、死者が持っていた記憶もまた失われてしまったことに改めて気づいては、何かとりかえしのつかないような思いがする。 遅すぎるのだ… ...続きを見る

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2010/08/02 14:06
「想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行」を読む
本書の初訳は、ベネディクト・アンダーソンの教えを受けた白石隆・白石さやによって行われ、1987年に東京で出版されている。 当時はずいぶん話題になった書物であったようで、もはやナショナリズムの古典として位置づけられているようだ。 それにしても1987年にはまだソ連邦の解体も予想だにされず、本書も批判や時代の流れに合わせてその後、増補版、そして定本と、三度の刊行を重ねている。 ...続きを見る

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2010/07/29 19:32
崇道神社
京都に来ると反射的に御霊信仰のことを考える。 平安京を見舞う災害、疫病などはすべて、恨みをのんで死んだ霊の仕業であると考える信仰のことである。 現代に生きる我々は即、迷信として軽視しがちだが、科学的思考法や実証主義とは遠く離れた古代・中世に生きる人々が、不条理な出来事を怨霊の祟りと考えてしまうことに何の不思議があろうか。 志半ばで、政争に敗れ、戦乱によって落命した敗者の恨みはいかほどか… 政権奪取の後も、災厄が度重なれば、それを怨霊のせいと考えるのは、至極人間的なことでは... ...続きを見る

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2010/07/05 16:37
蓮華寺にて
出町柳で叡山電鉄に乗り換え、三宅八幡で降車する。 一つ先は終点の八瀬比叡山口駅である。 比叡山の麓、八瀬の里を訪ねたのは、祇園祭がはじまった日のことだった。 ...続きを見る

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2010/07/04 14:32
西本願寺にて
しら珠の数珠屋町とはいづかたぞ 中京こえて人に問はまし ...続きを見る

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2010/07/03 10:11
東本願寺の朝
京都タワーの上空の雲が右から左へと流れてゆく。 最下層の雲は反対に左から右へとゆっくり動いているようだ。 少し目を放した隙に「空模様」はもう一変しているのだ。 ...続きを見る

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2010/07/02 18:38
ペリーロード
下田公園で紫陽花見物をした後、通称ペリーロードを歩いた。 昔は遊郭だった地域で、今もそこはかとない風情を漂わせている。 掘割にかかる柳の緑、石橋、なまこ壁の蔵 置屋か揚屋か、かつてそのような機能を果たしたらしき家など 平滑川に架けられた石橋の趣が長崎を思い起こさせる。 ...続きを見る

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2010/06/26 17:43
寝姿山展望台より下田港を望見する
俗に、京島原の太夫に、江戸吉原の張り持たせ、長崎円山の衣装着せ、大阪新町の揚屋にて遊びたし、などと言われたそうだが、 これは100%以上の満足を得ようとする見果てぬ夢だ。 (男性はよくそのような発想をするらしい…) ...続きを見る

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2010/06/25 18:44
岬へ… 石廊崎灯台へ
海があればわけもなく岬の突端を目指してしまう。 川であれば源流を確かめたくなり、山があれば頂きを極めてみたくなる。 寺でさえ奥の院はどこか秘密の基地めいて、誘われるのだ。 ...続きを見る

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2010/06/24 21:09
源氏哀話 修禅寺物語
桂川の両岸に山が迫り、その間を温泉街が細長く続いていた。 修善寺温泉バス停で降り、干しシイタケを商う店やこじゃれたカフェの並ぶ道を歩く時も、車をよけるために、しばしば立ち止まらざるを得ない。 桂谷は狭い。 川端康成は、熱海のはなやかさに比べて、修善寺には寂びた静けさがあると書き残している。 中世の寂しい修善寺のあり様が想像され、流刑地としての伊豆の僻地性を思った。 ...続きを見る

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2010/06/19 19:06
伊豆の良寛 新井旅館にて
朱塗りの楓橋の上流は、アオモミジが鬱蒼と渓流に影を落としていた。 橋の袂に古びた旅館があり、窓辺の椅子に座って寛ぐ人がガラス戸越しにちらほら見える。 国の登録有形文化財に指定されている新井旅館だった。 桂川に面した絶好のロケーション、風雅な佇まい… ...続きを見る

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2010/06/18 17:01
ベルリン・コンスピラシー
ホロコーストを生きのび、戦後元SSの将校を殺害した罪で突然62年後に捉えられたユダヤ人実業家がいる。 一方、イランの核武装を警戒するアメリカと、選挙を控えて支持率を気にしている実は親・ナチ派のドイツ首相がいる。 国際的陰謀、国家による犯罪を書いた探偵小説という前知識があれば、事の成り行きについてはほぼ推測がつく。 ただ、どのように事が運ばれ、国家の残酷さに対比させて個人の生き方がいかに描かれるかに興味がわく。 サスペンスフルな場面が何か所かあり、巨悪と個人の正義の対照が際... ...続きを見る

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2010/06/05 20:06
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を講読しながら、宮本常一が日本人の民俗について語ったものをまとめている。 ...続きを見る

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2010/05/18 21:52
ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像
伝記作家シュテファン・ツワイクの傑作とされている。 岩波文庫版は絶版になっていたが、最近再版された。 シュテファン・ツワイクはまだまだ読む価値のある作家だと思うし、翻訳される作家のNO4だということでも分かるように明晰な人物描写、シニックな人生観、時とすればピカレスクロマンのごとく血沸き肉躍る面白さ! ...続きを見る

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2010/05/15 19:33
ユダヤ人の歴史 現代篇
猛烈な読書家としても知られる、元外交官・佐藤優が「獄中記」だったか、著作の中で推薦していた図書で ユダヤ人をめぐる現代の様々な言説のルーツを知るために 気になって、「古代・中世篇」「近世篇」「現代篇」と買って「つんどく」しておいたものである。 ...続きを見る

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2010/05/07 19:26
「庶民の発見」を読んで
この本を読むと、果てしなく「遠野物語」へと誘われるし、今は失われた「またぎ」或いは柳田国男が「山人」と呼んだ人々の生活がどのようなものであったか限りなく想像力をかきたてられたりもするのだが、全篇を貫いているのは、食うために闘い続けてきたものたちこそ「庶民」なのだという感慨である。 逞しく、だが一方では危機に臨んでようやく露命をつないで生き抜いた祖先がいたから、今の自分がいるという当たり前のことに気づく。 (あだや疎かに今日の日を過ごすことを深く戒めることになる、読書の瞬間であ... ...続きを見る

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2010/04/27 18:07
「わが生涯」トロツキー著
紅い若葉が、まるで花が咲くように次々に開くと、やがて下枝の方から白いものがちらほら姿を見せ始めた。 暖かい日が続くと、樹上にかけて白い花が駆け上っていった。 里山に唸り声を上げて風が吹きすさぶ夜があった。 夜が明けてみると樹下にピンク色の絨毯が敷き詰められていた。 やがて紅い葉が緑色に変わり、ヤマザクラの木はいつしかハザクラになった。 一部の方からご心配頂いたように、膝の手術のため一カ月ほど入院した。 ウグイスの声をBGMに聞いた日々に... ...続きを見る

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2010/04/22 19:44
初瀬詣で
神社仏閣を巡り歩いて、どこかもの足りなさを覚えるとしたら、それは我々がすでに信仰から見放された存在であるからと言わねばならないだろう。 ここでは信仰の対象より、信仰そのものが問われるのである。 そこで今日我々が信仰に代わるものを見出しているか、と自問すれば、はなはだ心もとない。 例えば、美に対する信仰、という言い方がある。 これなどは今日、超越者=神への帰依を代替するものとして、盛んに流布する観念的な言い草である。 美が万人をたちまち説得してしまう力については疑うべくも... ...続きを見る

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2010/03/09 17:51
室生寺にて
室生口大野駅より室生寺行きのバスに乗る。 この季節、一日5本の便数である。 乗客はわずかに5、6人ばかり。 室生寺前で降りて、室生川を200mほど遡ったところに朱塗りの太鼓橋が架かっている。 途中で「お寺には何もありませんよ」と言いながら、まんじゅうを売っているが こんなに少ない参詣者では、開店休業といった趣だ。 ...続きを見る

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2010/03/08 19:56
岡寺にて
奈良国立博物館でお水取りの特別展示を観た後、橿原に向かった。 橿原神宮前駅に着き、投宿後、まず岡寺を目指す。 ...続きを見る

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2010/03/07 21:33
転害門から
朝の散歩のルートの順に写真をアップしました。 たくさんの写真で恐縮ですが どうぞ散歩にお付き合いくださるつもりでスクロールください。 ...続きを見る

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2010/03/06 14:31
唐招提寺
会津八一の「自註鹿鳴集」を読んでいると 自然と口をついて出てくる歌が多い。 森鴎外にも「奈良五十首」があるが 正倉院の歌と十輪院を詠んだ歌以外はほとんど知らない。 (正倉院の歌は国威を発揚させるような高らかな歌いぶりで、十輪院の方はメーテルリンクの「青い鳥」を下敷きにして意味深長である※) ...続きを見る

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2010/03/05 22:19
平城宮跡にて 
朝食もとらずに戒壇院から大仏殿へと歩き回ったためにすっかりお腹がすいてしまった。 南大門前には鹿が集まっていて、シカせんべいをねだっている。 シカせんべいといえば、戦後奈良を撮っていた土門拳のチームが空腹のあまりシカせんべいを試食?したエピソードなどは、戦後の食糧不足をありありと想像させるものだ。 おまけについに鹿を密殺して、その肉を食おうという計画を思いつき、実行直前に翻意させた雌鹿の姿態を生々しく書き残している。 実際、早朝に飛火野を縦横に走る小道を歩いている時など、... ...続きを見る

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2010/03/04 20:48
戒壇院から大仏殿へ
月ヶ瀬に梅を観に行く予定で、早朝出発のため宿の朝食をキャンセルしていた。 バス便は往路1本、復路1本と選択の余地がない。 あと一週間もすれば臨時バスが出るのだが、まだ見頃には早いということだろう。 ...続きを見る

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2010/03/03 21:14
二月堂から
春を迎えて平城遷都1300年祭で賑わう前に、静かな奈良を歩いてみようと思った。 日曜日でもあり、そろそろ午後の日が傾き始める時刻であったが、さすが東大寺! 南大門を通って続々と帰路につく人々とすれ違った。 ...続きを見る

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2010/03/02 22:11
興福寺
近鉄奈良駅で下車し、東向通りのアーケード街の途中から興福寺境内に入る。 いつも思うのだが、興福寺の寺域はいったいどこからどこまでなのだろう… ...続きを見る

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2010/03/01 21:14
夢殿にて
一体、誰がいつ この八角円堂を「夢殿」と名づけたのだろうか。 (一説に、聖徳太子が瞑想にふけった建物の名であったという) 現実が、骨肉相食む、凄惨な権力闘争の巷であったからこそ、「夢」の一字に託す希求の大きかったことを思う。 聖徳太子の時代に限らず、世が乱れる度に、平和という夢が人々の心に強く刻まれる。 ...続きを見る

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2010/02/28 23:18
法隆寺 西院伽藍
まだ2月下旬というのに ヒートテックにセーターを重ねただけで外気の中を歩けるという5月上旬並みの気候の日だった。 梅も一気に綻びそうだ。 ...続きを見る

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2010/02/27 17:14
斑鳩の里にて
奈良に来て五日目。 帰りの新幹線に間に合うように、これで最後になるかもしれないから…、という同行者の希望に従って、法隆寺を訪ねることにした。 かつて斑鳩三塔を巡り、法起寺から法輪寺を経て法隆寺へと、或いはその逆コースを歩いたことがある。 飛鳥に似た斑鳩の鄙びた里の風景が目に焼きついて残っていた。 ...続きを見る

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2010/02/26 19:27
新しき町 コンセプトはコミュニティ・コモン
バスを待つ間にちらちらと小雪が舞い始めた。 家を出る時は薄日さえ射していたのに。 ...続きを見る

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2010/02/13 19:41
「さまよえる戦争画 従軍画家と遺族たちの証言」を観て
2003年に放映されたハイビジョンスペシャル NHKの「さまよえる戦争画 従軍画家と遺族たちの証言」の再放送を観た。 ドキュメントもたっぷり2時間の枠で制作されたものは、伝えるべきことはほぼ意を尽くされており見ごたえがある。 「戦争画」という戦後長い間封印されてきた絵画について、戦争画を描いた本人(そのほとんどがすでに鬼籍にあるが)、遺族、弟子、戦争画を描かなかった画家、軍部、それぞれの立場からの証言によって、国家と個人、芸術家の責任などの問題が浮かび上がる。 何よりも戦後生まれの世代に... ...続きを見る

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2010/01/25 19:13
「幻燈」 大佛次郎セレクションより
大佛次郎の代表作といえば、まず勤皇の志士「鞍馬天狗」だろうか。 或いは未完の大作「天皇の世紀」を挙げるべきだろうか。 大衆小説作家として出発した大仏次郎だが、ライフワークとして、豊富な歴史資料をもとに事実に即して書き続けたのが「天皇の世紀」であった。 できる限り歴史の真実に迫りたいというのは、歴史学者ばかりではなく、いかに叙述すべきかに精通したプロの作家なればこその欲望でもある。 資料の山に埋もれ、得てして「詩」や「物語」を喪失しがちなのがその時はまりやすい陥穽ではあろう... ...続きを見る

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2009/12/30 21:38
「ノモンハン戦争 モンゴルと満洲国」を読む
司馬遼太郎がノモンハン事件を書こうと企図しながら、ついに果たせなかったことはよく知られている。 本書のあとがきで「司馬遼太郎は何故ノモンハンを書かなかったのか?」という本まであることを知った。 現在テレビでは「坂の上の雲」が放映中で、欠かさず観ておられる方もあると思うが 明治維新期の勃興する若い国に生きた若者群像を描いて、希望と情熱をたぎらせた青春が眩しい。 と同時に、その後の日本がたどった戦争と敗戦への道すじを思うと、複雑な思いにとらわれずにはいられないのもまた確かなの... ...続きを見る

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2009/12/28 19:42
昭和30年代モダン観光旅行
昭和30年代を懐かしさのみで語ることの愚かしさを思うのであるが 同時にあの頃の乏しさすら牧歌的風景に見えてしまうのもまた正直なところだ。 つい先日昭和36年を年表的に回顧するTV番組を観て、ポリオワクチンか…騒然とした世相だったなあ、と懐旧に耽ったばかりだ(NHK「日めくりタイムトラベル 昭和36年」)。 小児まひワクチンの認可を要求して厚生省に押しかける母親たちの逞しさが際立っていた。 逞しさなら今日の母親も負けないだろうが、あの頃の母親ならばどんなに貧しくても給食費未... ...続きを見る

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2009/12/08 20:27
日本の女帝の物語
悠仁親王がご誕生になる前は、皇室典範の改正が云々されて、女帝論議が盛んであった。 その頃、歴史上の女帝は「中継ぎ」であったとする見方が大半を占め、主にその見方を訂正する意味で書かれたのが本書である。 ...続きを見る

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2009/12/04 21:47
民族学博物館発祥の地
「東京文化財ウィーク2009」の一環として、西東京市では、かつて当地に在った「民族学博物館」を顕彰する催しがいくつか開かれました。 まず国立民族学博物館教授らを招き講演会が行われ、それに先だち博物館が位置した地点に「民族学博物館発祥の地」という銘板が建ち、その除幕式が行われたそうです。 参加者の話では、博物館に多大な貢献をした渋沢敬三のご子息らも参列され、講演した民族学者たちもとても緊張していたということでした。 ...続きを見る

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2009/11/16 18:24
たそがれ清兵衛が生きた空間 角館散歩
角館の町は、「火除け」という空地によって、武家の住む内町と町人の住む外町に分かれている。 類焼を防ぐ目的と、戦時に防衛線を果たす役割があったようだ。 城下町によくある桝形も見られる。 南北道路を一直線に通さず、交差点で軸をずらし鍵状にしたものだ。 一般に防衛上の目的で設けられるが、角館では町人町から武家町を見通せないようにとの配慮からともいわれている。 ...続きを見る

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2009/11/07 18:24
石黒家 角館武家屋敷通りにて
角館の城下町は、西方を檜木内川が流れ、東側に連なる山並みとの間に形成されている。 南を玉川が限り、南北にのびる細長い要害の地である。 北端正面に当時小松山と呼ばれていた古城山(↑)が位置し、この地に勢力をふるっていた戸沢飛騨守家盛という人が、1423(応永30)年に築城したのが角館城のはじまりという。 その頃の城下町は現在とは反対側の、古城山の北にあったそうだ。 その後、伊達政宗に敗れた芦名義広が、常陸から転封されて来た佐竹氏に身を寄せ、1万5千石の角館城主となった。 ... ...続きを見る

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2009/11/05 18:26
角館 
角館を訪ねる意義は、まず枝垂れ桜の頃の美しさであろうが みちのくの小京都を、最も美しく彩られる季節に訪問するためには、半端じゃない混雑を覚悟せねばならないだろう。 桜の盛りはゴールデンウィーク前になるが、一日に10万人もの観光客が訪れるということだ。 ...続きを見る

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2009/11/03 18:05
水平線が330°「地球の丸く見える丘」
JR総武線銚子駅に着くと、ホームの先に愛らしいゲートがあり銚子電鉄の車両が停まっていた。 銚子電鉄は全長6.4km、終点外川は古い漁師町の名残を今に伝える風情のある町だそうだ。 車内で車掌さんから君ヶ浜行きの切符を買う。 ふちが少し日に焼けているような頼りない切符だった。 週日にもかかわらず、車内は観光客で賑わっている。 バスでやって来たツアー客が、片道だけ乗車してみる、というのが定番だそうだ。 君ヶ浜駅で降りて、浜まで、畑の中の一本道を歩いた。 海が近いことを感じ... ...続きを見る

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2009/10/25 22:58
飯高檀林跡へ
かってにイメージをつくり上げてしまった挙句、その確認のために訪ねないではいられなくなる場所がある。 そもそも旅というものが確認のための作業にほかならないという有名な説があるけれど・・・ ...続きを見る

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2009/10/21 11:06
もりおか啄木・賢治青春館と奥州街道
盛岡二日目の夜が明けた。 盛岡駅東口より循環バス「でんでんむし」号に乗って「もりおか啄木・賢治青春館」へ。 循環バスは観光用ではなく、公共交通を利用することを勧めるため市内中心部を100円均一で走っている。 右回りと左回りがあり、岩手医大付属病院前を通り、市民の利用が多い。 (そういえば県立美術館前では750mを280円で走るタクシーを見かけたが、街中では便利だろう) ...続きを見る

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2009/10/14 23:08
「昭和史 戦後篇」
自民党が大敗して民主党政権が成立した今、内閣交代劇を中心に戦後日本のたどった歩みを通覧してみるのはまことに興味深い。 自民党から民主党へ、というより麻生政権から鳩山政権へ、ととらえると、世代交代しながらも世襲議員が祖父の世代の国家理念を多少なりとも受け継いでいることがよく分かる。 二世三世議員の弊害が指摘されているが、確かに政治家の世襲が固定してきていることを、戦後史を通じて確認することができる。 ...続きを見る

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2009/09/25 20:40
「私の日本地図10 武蔵野・青梅」
すでに失われたものをいつまでも哀惜していてもはじまらないのだが… 失われてしまったものの価値を再認識することは、後ろ向きのことではなく、必ずや未来につながる作業だと思う。 ...続きを見る

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2009/08/31 18:34
「鷺と雪」
北村薫の直木賞受賞作である。 ベッキーさんシリーズと呼ばれる推理小説のうち「街の灯」「玻璃の天」に続く三作目の短編集。 ...続きを見る

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2009/08/21 22:25
渋沢家三代
「日本資本主義育ての親」といわれた渋沢栄一、遊芸放蕩の世界に生き、廃嫡されたその子の篤二、博物学者を夢見ながら祖父のあとを継いだ敬三。 深谷の農民が「財なき財閥」に成長した渋沢家三代の物語である。 ...続きを見る

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2009/06/24 21:39
「甘粕正彦 乱心の曠野」を読んで
関東大震災直後の戒厳令下において、大杉栄殺害の首謀者として軍法会議で懲役10年の実刑判決を受けて服役した甘粕正彦は、皇室の慶事による恩赦で減刑され、殺人犯としては異例の短さである2年10カ月の刑期を終え仮出獄すると、フランスへ遊学の後、満州へ渡り、数々の国際的謀略に関わり、満映理事長の地位に就いて、終戦の年を迎えた。 今や、大杉栄暗殺は軍による陰謀であったとする見方が定説となっているようだが、甘粕正彦の満州での行動の一部を概観しただけで、そのことが十分に推察されるのだ。 日本... ...続きを見る

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2009/06/19 22:29
北山公園にて
八国山は濃い緑に覆われてすっかり夏姿だ。 その南側の北山公園は花菖蒲の見頃を迎えていた。 ...続きを見る

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2009/06/10 22:07
隠岐の島
われこそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け ...続きを見る

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2009/05/25 20:29
お茶とお菓子の町 松江
カラコロ工房にて循環バス「レイクライン」を降車。 カラコロ工房というのは旧日本銀行松江支店を工房、体験教室、ギャラリー、飲食などの複合施設としてリニューアルオープンさせたものだ。 銀行の重厚な建築を再利用しないという手はない。 ホテルやレストランに改装された例があるが、どこも不思議な趣があるものだ。 本来の用途から外れることで、計算づくの空間処理を裏切る面白さが生まれる。 ...続きを見る

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2009/05/24 12:52
月照寺
いつの間にか風が強くなっていた。 お濠の水もさざ波が立っている。 ...続きを見る

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2009/05/21 20:59
武家屋敷から明々庵へ
八雲庵という蕎麦やではじめて出雲そばを食べた。 風雅な庭を設えて、美観地区に相応しい店構えにしている。 本当の蕎麦食いではないので、温かいお蕎麦を食べたい。 鴨南蛮を注文して割子を一枚(というのかどうか?)つけてもらった。 汁は濃いが甘めである。 後日、松江駅でも割子蕎麦を食べてみたのだが 斜め前に座っていた男性が、三段になった割子の一段を食べ終わると、底に残った汁を二段目の蕎麦にかけて、足りない分を汁注ぎから補っていた。 その作法に倣って食べたが、「からいですよ」と言... ...続きを見る

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2009/05/18 22:06
小泉八雲旧居 塩見縄手にて
馬洗池の横を通って、天守閣のある高台から塩見縄手を目指して下って行った。 護国神社の前を過ぎ、稲荷神社の赤い鳥居の前にさしかかるとすぐ目の前が内濠に架かる稲荷橋である。 橋を渡って北に進むと間もなく塩見縄手。 かつて中級武士の屋敷が並んでいたこの通りは、現在、松江市伝統美観保存地区に指定されている。 ...続きを見る

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2009/05/16 19:50
興雲閣
天守閣のある本丸に行く前に、松江城内の興雲閣を訪ねた。 朝早くからボランティアの人達が落ち葉掃きに精を出す石段を上って左に折れると、松江神社の先に白亜の擬洋風建築が現われる。 ...続きを見る

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2009/05/13 21:32
松江城にて
松江に来て二日目の朝を迎えた。 観光用の循環バスを利用して松江市内を見学することにする。 ...続きを見る

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2009/05/11 23:44
稲佐の浜から日御碕神社へ
出雲大社に参拝した後、出雲国造千家家の前を通って神楽殿へ。 神楽殿は古式の諸儀式が執り行われる大広間である。 団体客の旗を掲げた引率者が「畳○○畳敷き…」などと説明している。 ...続きを見る

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2009/05/06 21:22
出雲大社
出雲大社を訪れたラフカディオ・ハーンは 樹木の壮観、松並木の雄大さ、夥しい参詣客に驚いている。 「日本瞥見記」には 一斉に打ち鳴らされる柏手の音を「潮騒のような重々しい響き」と記している。 出雲が伊勢や京都とともに参詣を口実にした庶民の有名な行楽地であったことを強く印象づける記述である。 ...続きを見る

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2009/05/04 22:11
出雲国造家
そもそも出雲国造家とは何者なのだろう 天皇家より古い家柄ともいう。 ...続きを見る

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2009/05/02 13:15
島根県立古代出雲歴史博物館
レトロな出雲大社前駅に降り立つと、すぐ左手に大鳥居。 扁額が6畳敷の大きさだと聞いても、下から見上げるとずっと小さく見えるものだ。 スケール感が狂う。 ...続きを見る

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2009/04/30 22:20
「秩父事件」
跨線橋に上ると、晴れた日には家並みの背後に秩父の山々が遠望できる。 ここN市から西武線一本で行ける所であるにもかかわらず、強いて訪ねてみようとはなかなか思わなかったのは何故だろうか。 それが映画「草の乱」を観てから俄かに秩父への思いが強くなった。 「草の乱」は言うまでもなく秩父事件を題材とした作品(2004年)である。 ...続きを見る

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2009/04/07 21:35
おくりびと
「おくりびと」を観る。 自宅で葬儀を執り行うことが少なくなったこともあって、死は観念的にすら見えにくいものになりつつある。 ご近所で葬式があれば、あわてて喪服に着替えて駆けつけるなどということも無くなった。 「あそこのおばあちゃん、亡くなられたそうよ」 と、しばらく経過してから風聞した時は、虚しく寂しい。 ...続きを見る

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2009/03/12 21:57
武蔵野台地は海面のようにゆるやかに起伏している。 ふだん歩いている時は、上っているとも下っているとも意識されないくらいのわずかな高低差の、ゆったりと周期の長い波である。 この西東京市でも昔は水が出て、舟で行き来したという話を聞いたことがあったが 水がついてはじめて、土地の微妙な高低差を知ることになる。 ...続きを見る

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2009/03/10 21:52
「卜部日記・富田メモで読む 人間・昭和天皇」を読んで
2006年に「富田メモ」、2007年に「卜部日記」が発見された。 晩年の昭和天皇をめぐる記述から昭和史が再検証されることになった。 半藤一利、御厨貴、原武史による鼎談のかたちで、昭和天皇の素顔、宮中政治家・宮中官僚の動き、また日記を残した侍従や宮内庁長官の人柄など語られている。 ...続きを見る

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2009/03/02 21:46
「マリー・アントワネット」(シュテファン・ツワイク作)を読んで
歴史上の人物は、自分が不当に描かれていることを、多少とも墓の下で慨嘆していることだろう。 死者に口なし。 弁明も、謙遜すら許されない。 ...続きを見る

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2009/02/24 22:16
日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で
薄々分かっていながら、臆病なために意識化できずにいたことを、水村美苗による本書が顕在化させてくれる。 まず文部科学省の役人に読んで欲しい。 そして、バイリンガルにならねばという、現実的には達成不可能な強迫観念をひとまず横において、日本語の豊かな世界を再認識し、その伝統を覆す危機を共有し、抵抗への足がかりとせねばならない。 ...続きを見る

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2009/02/17 21:44
国立歴史民俗博物館
はじめての歴博探訪なのだが、残念ながら90分の見学時間しかとれなかった。 土曜日なので、京葉道路も都心へ向かう車で混雑することが予想される。 N市に18時に帰着するためには、遅くとも15時に出発しなければならない。 ...続きを見る

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2008/11/25 19:10
伏見 女酒
伏見の酒は女酒といわれる。 対して男酒と呼ばれるのが灘の酒。 灘では、古い花崗岩層を潜り抜けてきた地下水が適度なミネラル分を含み、酵母の栄養分となるため、醸造期間が短縮され、きりっとした辛口の酒ができるという理屈だ。 ...続きを見る

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2008/11/20 19:10
京都拾遺
観光寺でもなく街中にあって、庶民信仰が今に生きている寺社を、土地の人に交じって、遠慮しつつお参りさせてもらうのが旅の楽しみのひとつだ。 お彼岸やお盆に京都の人たちがどんな風にご先祖を供養するのか、興味深く拝見することもある。 ...続きを見る

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2008/11/17 18:51
京都御苑にて
緑地が普段の生活空間に組み込まれているのは、素敵なことだ。 プランターに植えられた小さな緑や、屋上の緑化などという小手先の対応策ではなく、ちゃんと大地に根を張り、枝を広げ亭々と聳える樹木のある公園が欲しい。 その点、京都市民は幸せだ。 モバイルパソコンに入力したり、本を広げたり、幼児を遊ばせながら情報交換するお母さん。 公の場所で孤独を保つことができる設備。 一方、公園や街路樹、遊歩道などに関して、東京の都市計画が成功しているとはとても思えない。 ...続きを見る

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2008/11/15 19:15
床紅葉の門跡寺院 実相院
湖東三山を巡る観光バスをキャンセルして、雨模様のその日、岩倉に行くことに決めた。 雨は夜通し降り続き、朝になっても窓ガラス越しに雨脚が見えた。 ...続きを見る

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2008/11/13 23:54
「古道」 古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる
著者の藤森栄一は在野の考古学研究者として功績のあった人。 特に縄文農耕論が近年再評価されているということだ。 ...続きを見る

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2008/10/05 14:08
新・古代出雲史 『出雲国風土記』再考
神は人なり、と言ったのは新井白石だが、神々の世界がぐんと身近に感じられるのが風土記の世界だ。 森羅万象に神が宿ると感じた古代人の心を私たちはいつの間にか失ってしまっている。 ...続きを見る

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2008/09/27 17:56
古代出雲
荒神谷遺跡発掘(1984〜5)以後の、古代出雲をめぐる議論の争点とその考え方を学ぶ本。 著者の門脇禎二は具体性を重んじる学風で知られる。 かつて著者の講演を拝聴したことがあったが、その時も「平城京の貴族の数は?」という設問が投げかけられ、そこまで具体的に再現するのか、とちょっと驚いたことがあった。 本書にも以下のような記述がある。 ...続きを見る

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2008/09/23 19:00
「エリザベス・ゴールデン・エイジ」を観て
前作「エリザベス」と同様、主演のケイト・ブランシェットの魅力と衣装、映画美術を堪能した。 ...続きを見る

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2008/09/16 20:30
「出雲神話の誕生」
大国主命にまつわる伝承は、因幡の白兎や大蛇退治の説話など、子供向けにリライトされたものによって、幼児期から親しみ深いものであった。 ところが、大国主命の素性を辿ってみると、意外や弱小な一地方神に過ぎない。 その大国主命の話が、何故記紀神話の少なからぬ部分(古事記においては神代巻の1/3以上を出雲神話に割いている)を占めるに至ったのか。 本書はその疑問に答えて、1966年に刊行された「出雲神話の成立」を文庫化し2006年に発行された。 長い年月批判に耐えた書物として、教えら... ...続きを見る

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2008/09/13 19:20
戦う村の民俗を行く
朝日選書におさめられた「戦国を行く」シリーズの第5弾。 戦国時代をみる時、戦国大名による覇権争いに目が奪われがちであるが、領国経営は各大名が最も腐心したところである。 それも大名の側からではなく、郷村の成員である百姓の立場から戦国を読み説いたのが本書の第1章「戦う村」である。 ...続きを見る

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2008/09/09 21:12
「徳川将軍家十五代のカルテ」より
徳川家代々15人の将軍の出自と病歴、死因について考察した本。 ...続きを見る

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2008/08/20 21:16
埋もれた国立民族学博物館前史「高橋文太郎の真実と民族学博物館」
ブログ「西東京市・高橋家の屋敷林」の管理人さんのおかげで、この労作を拝読することができた。 「高橋文太郎の軌跡を学ぶ会」が講演記録や資料・聞き書きを編集、一冊の本にまとめたものだ。 ...続きを見る

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2008/07/06 13:41
安国論寺 松葉ヶ谷法難の跡
鎌倉時代の東海道は、藤沢、腰越、稲村、甘縄、下馬四ツ角から名越、小坪、走水を通り、海路を経て安房に通じていた。 名越の街道周辺は庶民の家が建ち並んでいたようである。 鎌倉の東の場末といったイメージだろうか。 日蓮は安房を出て、鎌倉入りした時、名越近くの松葉ヶ谷に草庵を結んだ。 この草庵跡については、妙法寺、安国論寺、長勝寺が、それぞれ旧跡であることを主張しているようだ。 法難の跡についても同様である。 日蓮辻説法跡に至っては鎌倉の町の辻々が考えられるのではないか。 ...続きを見る

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2008/07/04 23:28
「とはずがたり」の鎌倉
「とはずがたり」の二条が鎌倉に滞在した日々の見聞について拾い読みしていて、ふと先頃読んだ、近世も末に無宿人として捕えられた衛門姫のことを思い出した。 江戸について書かれた随筆集の中でも、衛門姫が起こした珍事?は異彩を放って、読み手の心をわしづかみにした。 ...続きを見る

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2008/07/02 22:59
妙法寺 松葉ヶ谷にて
妙本寺をあとにして、妙法寺に向かう。 途中、通称ぼたもち寺こと常栄寺(日蓮宗)に立ち寄った。 名前からすると、門前で餅菓子でも商っていそうだが、静かな住宅地の狭い道に面した小さなお寺だ。 通称の謂れは、龍ノ口の刑場に引かれて行く日蓮に、この地に住んでいた桟敷尼がぼたもちを差し出した故事に因むそうだ。 この辺り、源頼朝が由比ヶ浜で行われる千羽鶴の放鳥を観覧したところという。 その時に設けた「桟敷」が地名となって残った。 続いて同じ並びにある八雲神社にお参りしていくことに... ...続きを見る

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2008/06/30 19:17
妙本寺  比企ケ谷にて
妙本寺は日蓮宗の大寺である。 日蓮が安房を出て三浦半島に上陸、名越の切通しを経て鎌倉入りして最初に草庵を営んだ松葉ヶ谷の隣りの谷に位置している。 比企能員(よしかず)の一族が屋敷を構えた地と言われ、現在は比企ヶ谷と呼ばれている。 ...続きを見る

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2008/06/28 13:20
紫陽花の寺 長谷寺
「どちらまでいらっしゃるのですか」 池袋駅で湘南新宿ラインの電車を待っていると隣に座っていた人が話しかけてきた。 リュックの横にマウンテン・ステッキがのぞいているのを目で指しながら。 時節柄アジサイの話になり、明月院の紫陽花が一色なのに、成就院は色とりどりであること、昨年はがけ崩れの工事等で見られなかったこと、そして長谷寺の山の斜面を埋め尽くすアジサイについても・・・。 ...続きを見る

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2008/06/26 21:36
花の寺 光則寺
江ノ電はウィークデーでもいつもこんなに混んでいるのだろうか。 住宅地の間をすり抜けながらのんびり各駅停車の旅を楽しむのが江ノ電かと思っていたのだが。 週末はホームへの入場制限さえあるそうだ。 ...続きを見る

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2008/06/24 23:24
極楽寺辺り
成就院の西の門を潜って極楽寺坂へ下り、西へ100mも行くと道端に「上杉憲方墓」と刻まれた石碑がある。 狭い階段を上って行くと住宅の裏手に苔むした五輪塔や層塔数基が建ち並んでいた。 歴史的遺物は思いがけないところで日常の生活空間に隣接している。 突然過去の亡霊が現れて六百年以上前の歴史を語り出す。 まるでお能の舞台で、シテが脇僧に懐旧談を語り始めるように・・・ と気取ってみたが 実は上杉憲方について、関東管領であったということ以外は何も知らなかったので 残念ながら、そ... ...続きを見る

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2008/06/22 23:53
成就院 鎌倉にて
宿の朝食をとりあえずキャンセルして7時前に成就院を目指した。 地元の口コミから紫陽花の名所としてブレイク、昨今とみに人気の高い成就院。 明月院の混雑を耳にし、前日の長谷寺の行列に恐れをなして、早朝山門が開くと同時に紫陽花の群落と由比ヶ浜を一望におさめる戦略?だった。 開門は8時頃と聞いていたので、海浜公園で由比ヶ浜を背景に実朝の歌碑を見た後、成就院の飛び地にある虚空蔵堂にお参りしながら、ゆっくりと極楽寺坂の切り通しの道を歩いて行った。 ...続きを見る

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2008/06/19 21:14
建仁寺
今まで建仁寺を訪ねたことがなかったというのは不思議だ。 明治の廃仏毀釈の折、境内地が半分近くに縮小されてなお、祇園のど真ん中に広い寺域を占めているこの寺を。 南側に六波羅蜜寺と六道珍皇寺、東に高台寺、そして清水寺に至る二年坂・三年坂という観光地、北に繁華な四条通を控えている。 花見小路を南下すると建仁寺にぶつかって、境内は南に抜ける通路になっている。 京都人が日常的に慣れ親しんでいる寺なので、観光客にとってもことさら見学対象として意識されないのかもしれない。 ...続きを見る

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2008/05/26 23:19
高麗郷
日高市での用事を終えた後、高麗神社に寄った。 ...続きを見る

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2008/05/24 15:05
智積院
京都最後の日は雨。 雨もまたよし。 旅行でも意外に印象に残っているのは雨の日だ。 雨が自ずと人を内省的にさせるからだろうか。 雨の匂い、湿り気を帯びた空気、雨にかすむ風景・・・ ただ雨の音だけが静かに風景をつつんでいる。 ...続きを見る

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2008/05/21 20:47
深草の里
石峰寺で道を尋ね、宝塔寺へ向かった。 伏見稲荷大社と石峰寺に参拝して、当初の目的は達せられたので、その後は少々注意散漫になっていたのだろう。 宝塔寺では、寺名の由来ともなっている、京都最古といわれる多宝塔に気づきもしなかった。 ...続きを見る

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2008/05/19 17:16
伏見稲荷大社
全国稲荷社の総元締めである。 JR稲荷駅を出ると目の前に大鳥居があってすぐに参道がはじまっている。 ...続きを見る

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2008/05/08 20:56
塩船観音寺
’08.4.28 ...続きを見る

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2008/05/03 10:47
鎌倉最古の寺 坂東三十三観音霊場第一番 杉本寺
杉本寺はきれいに整備された鎌倉の寺々の中では一寸異質な感じのする寺である。 ガイドブックには「鎌倉最古の寺」 最古の寺と誰が言い始めたのだろう・・・ 坂東の観音札所第一番である。 ...続きを見る

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2008/05/02 09:35
オープン・エアでお食事は如何ですか? 浄妙寺
報国寺をあとにして、再び浄明寺バス停に戻り、北へ浄妙寺を指して参道を歩いた。 ...続きを見る

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2008/04/30 09:12
竹林に迷う 報国寺
バスは、六代御前の墓の前を過ぎると間もなく逗子駅だ。 その日は鎌倉に泊まり、翌日はまず報国寺に向かった。 孟宗竹の庭が有名な寺だ。 ...続きを見る

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2008/04/28 09:17
立体曼荼羅 東寺講堂
21体の仏たちが揃う。 東寺が下賜されてから、空海の構想の核心は講堂に居並ぶ仏たち、羯磨曼荼羅にあったと思われる。 華麗なレヴュー!の前で、我々は何を為すべきなのだろう。 密教の修法や儀式は通常、図絵曼荼羅を本尊として用いるという。 そこへ、この立体曼陀羅が構想された。 ...続きを見る

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2008/04/12 09:24
王城守護 東寺金堂
意外なことに、東寺は度重なる戦火にもかかわらず被災することが少なかったという。 後醍醐天皇が配流先の隠岐より還御した時も、足利尊氏が陣を構えた時も、東寺は歴史の表舞台に立っていたはずだ。 落雷などの天災以外、文明年間の被災を除けば、さしたる被害を蒙ることがなかった。 空海以後優れた僧を輩出することなく存亡の危機にあった時も、何とか東寺は生き延びている。 即身成仏後の空海が、伝説となってなおも東寺を守ったのだろうか。 ...続きを見る

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2008/04/10 09:46
破損仏の語るもの 東寺食堂にて
宝物館などにひっそりと収蔵されている破損仏に出遭うことがある。 唐招提寺や湖北で、ひどく傷ついた仏たちを観たことを思い出す。 すでに祈りの対象であることをやめ、その損傷ぶりから美術品としての生命も終えている。 今回も思いがけず破損仏に対面することになった。 ...続きを見る

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2008/04/08 09:13
灌頂院 東寺にて
灌頂院は殺風景な建物である。 裳階(もこし)つきの大屋根が見る者を威圧する金堂や華麗な羯磨曼荼羅で荘厳された講堂から離れて 東寺西南の隅にいつもはひっそりと鎖されている。 もとより大師堂のように庶民信仰で賑わいをみせるわけでもない。 ここは密教の修法や伝法の灌頂が行われた特別の空間である。 真言宗の寺院において実は最重要の位置を占めている。 空海によって日本にはじめて紹介された建築だということだ。 本来はこの土地には西塔の建設が予定されていたらしい。 ...続きを見る

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2008/04/06 09:28
護国の寺 東寺
京都といえば、まず美しい庭や門跡寺院の雅ともいえる佇まい、桜や紅葉の季節の、自然と伝統的建物が織りなす調和に溜息がもれることだろう。 御所あり、二条城あり、祇園などの色町あり・・・。 京都が江戸時代に成立した巨大なテーマ・パークと見るのは必ずしも乱暴な見方でないと思う。 ...続きを見る

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2008/04/03 19:35
花の寺 西の中山・妙福寺
桜の美しい寺。 「西の中山」と称される日蓮宗の古刹・妙福寺を訪ねました。 ...続きを見る

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2008/03/29 22:09
湖族の郷・堅田
浮御堂を後にして、日に何便もないバスの時間まで堅田を少し歩いてみることにする。 琵琶湖の最狭部に位置する堅田は、水上交通の要衝であり、水運と商業で栄えたところである。 満月寺の近くに「湖族の郷資料館」というのがあった。 堅田は水上交通権・漁業権をめぐって、延暦寺や地頭の勢力と緊張関係にあり、中世には「堅田衆」による自治が行われていた。 寺域をめぐる堀、漆喰の土蔵などに、かっての自治の気概と富の痕跡をみる。 ...続きを見る

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2008/03/22 17:06
八国山にて
武蔵野と聞いて、どのような自然風景を思い浮かべるだろうか。 どこまでも続く萱原を孤独な旅人が先を急ぐ情景か 雑木の疎林に木漏れ日が煌めき、梢より落ちてくる鳥の声にふと足止める郊外の風景か 煌々と照る月が、薄原を銀箔色に染め上げる情景か ...続きを見る

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2008/02/16 17:34
初詣
近くの北野天神社に遅まきながら、初詣する。 ここの氏子総代は隣家のK氏である。 ...続きを見る

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2008/01/04 20:30
日本は終わっているか 小田実の涙
午後8時からのNHKハイビジョン特集 夕食が済んで、さてお茶でも飲みながら寛ごうかという時間帯。 ついついハイビジョンの映像に魅せられて、うかうかと時間を過ごしてしまうことがよくある。 ...続きを見る

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2007/12/15 18:34
続編・幻のアチック・ミューゼアム
かって保谷に「民族学博物館」構想というものがあった。 昭和12年に、民具を収蔵展示する「日本民族学会付属博物館」や研究所が設立された。 コレクションや蔵書、古民家の移築などぼつぼつ進み、昭和38年まで続いた。 その後、収集資料は文部省が管轄する資料館に移された。 (現在は、大阪の国立民族学博物館が受け継いでいる) ...続きを見る

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2007/11/09 21:20
平和と軍事 「ハワイの歴史と文化」
猛暑の続く8月某日。 福生に用があり、友人の車で出かけた。 友人は子供の通う学校の姉妹校がある関係でボストンに滞在した後 一旦帰国してから家族総出でハワイに行ったそうだ。 帰って間もなかったのでひとしきりハワイの話に熱が入った。 ...続きを見る

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2007/09/07 20:21
ハワイ王朝最後の女王
ハワイ王朝の歴史は短い。 家康にはじまる徳川幕府による265年の治世を1/3に縮めたくらいだ。 ...続きを見る

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2007/09/06 18:07
酒造見学 青梅の歴史と自然を訪ねて7
御岳渓谷  ...続きを見る

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2007/08/31 21:53
玉堂美術館 青梅の歴史と自然を訪ねて6
JR御嶽駅で降車。 ...続きを見る

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2007/08/30 20:55
旧宮崎家住宅 青梅の歴史と自然を訪ねて5
旧宮崎家住宅  青梅市釜の渕公園にて ...続きを見る

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2007/08/29 19:07
高峯山天寧寺 青梅の歴史と自然を訪ねて4
天寧寺 山門 ...続きを見る

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2007/08/27 23:33
塩船観音寺観音堂 青梅の歴史と自然を訪ねて3
本堂である観音堂は茅葺寄棟造の、さすがに堂々とした建物である。 室町期のものと推定されている。 ...続きを見る

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2007/08/26 17:38
塩船観音寺阿弥陀堂から 青梅の歴史と自然を訪ねて2
菩薩が衆生を済度して彼岸へと送る「弘誓の船」が塩船観音寺の寺名の由来という。 「ふね」は浄土を目指し、この世の最後に人の入る矩形の箱「棺」でもある。 ...続きを見る

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2007/08/25 21:23
路線バス「梅70」は青梅街道をひたすら西進する 青梅の歴史と自然を訪ねて1
小さな秋を探すために、小さな旅をした('04.9.10)。 青梅駅で友人たちと待ち合わせるため 東京では最長の路線バス「梅70」に乗る。 ...続きを見る

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2007/08/24 21:06
「実録 ニュルンベルク裁判」を見て
ドキュメンタリー「ニュルンベルク裁判」を見る。 ...続きを見る

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2007/08/19 22:17
夏の奈良 当麻寺 奥の院から中の坊
奥の院楼門手前より東西両塔を眺めることができる ...続きを見る

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2007/08/18 18:47
夏の奈良 当麻寺へ
弟を忍ぶ大来皇女の心と中将姫の伝説に導かれて当麻へやってきた。 ...続きを見る

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2007/08/17 00:16
夏の奈良 ささやきの小徑から上の禰宜道へ
夏季講座「ブッダ」終了      奈良国立博物館にて ...続きを見る

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2007/08/11 20:39
夏の奈良 率川神社
講座終了後、通り雨のような雷雨を突いて宿に戻る。 連泊予約がとれなかったので宿替えする。 JR奈良駅近くの宿にチェックイン後、率川(いさがわ)神社を訪ねた。 ...続きを見る

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2007/08/10 22:05
夏の奈良 十輪院
      なつかしき十輪院は青き鳥 子等のたずぬる老人(おいびと)の庭                                             森鴎外※ ...続きを見る

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2007/08/09 21:11
夏の奈良 猿沢の池まで
早起きは得意ではないけれど せめて夏の間は早朝の時間を大切にしたい。 ...続きを見る

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2007/08/08 22:41
夏の奈良 元興寺極楽坊
元興寺極楽坊の辺りは、江戸時代の商家を利用して民具などの展示場にした「奈良町資料館(「今昔工芸美術館」は分館)」、「奈良市立資料保存館」、明治時代の町屋を改修したコミュニティーセンター「奈良町物語館」、幕末期の米問屋を改装した「奈良オリエント館」、かっての“上ッ道”をさらに南に行くと格子や虫籠窓を持つ町屋を再現した「ならまち格子の家」、大正初期の住宅「奈良市ならまち振興館」、左手東進すれば室町時代の書院造りを伝える「今西家書院」などがある。 残念ながら祝日の翌日ということで、休館のところが... ...続きを見る

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2007/08/07 19:45
夏の奈良 奈良町界隈
奈良晒の暖簾が風に揺れて涼しげだ。 夏の間、食堂と玄関の間の間仕切りにと、寸法を記したメモを持参して 「遊 中川」を訪れる。 浅黄、薄墨、生成、代しゃ、蘇芳、木賊、・・…等々。 正倉院柄よりも、メダカの一群が横切るようなさり気ない模様が好ましい。 特注もできるということだったが、 結局、帰宅後間口のサイズに合わせて仕立てるつもりで 浅黄色の布を分けてもらった。 ...続きを見る

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2007/08/06 21:14
夏の奈良 日本聖公会奈良基督教会
せめて暑い季節は敬遠すべき奈良盆地。 それでも、何とか口実を見つけてフライパンの中に飛び込んだ。 ...続きを見る

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2007/08/05 14:36
逝く夏を惜しむ京都 京都文化博物館
                                    無神論者織田信長に収奪された仏たち 秋雨に濡れる・・… ...続きを見る

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2007/07/31 20:30
逝く夏を惜しむ京都 嵐山公園(亀山地区)
保津川下りをした後 着船場の目の前のホテルで昼食をとる。 レジの方の案内で延命閣の内部を見せてもらった。 残念ながら写真がないので上記をクリックして想像してみてください。 ...続きを見る

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2007/07/29 10:56
逝く夏を惜しむ京都 保津川下り
保津川下り                           ’01.9.6 船頭は三人がローテーションを組んで、渡月橋までの16qを約1時間半で漕ぎ下る。 昨今、これほどの重労働を目の当たりにすることがない。 ...続きを見る

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2007/07/26 21:40
逝く夏を惜しむ京都 大原の里 三千院
聚碧園 ...続きを見る

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2007/07/23 23:04
逝く夏を惜しむ京都 不滅の法灯・比叡山延暦寺
京都も4日目となった。 中休みのつもりで定期観光バスに乗る。 てっとり早く比叡山に連れて行ってもらうことにしたのだ。 ...続きを見る

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2007/07/22 21:04
「街道をゆく」
続けて読んだため、「十津川街道」とこの巻の違いを感じた。 十津川街道は学徒動員前に、学生時代の著者が歩いたことのある思い出の地でもあり、生家に比較的近く、書かれているのが幕末の動乱期という作家として調べ尽くした時代のため、皮膚感覚的に身近なものであったのだろう。 「嵯峨散歩、仙台・石巻」の仙台・石巻は、意外にモダンな、そして古代には蝦夷の住む奥地でもあり、著者の憧れも混じって、いく分ベールの彼方という印象が残る。 ...続きを見る

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2007/07/21 10:48
逝く夏を惜しむ京都 高雄山神護寺
灌頂橋を渡り清滝川左岸を歩いた。 軒先に提灯を並べた床が川沿いに並び、シーズンの賑わいを髣髴させる。 今はオフの静けさの中。 紅葉の季節にはまだ間があるのだった。 ...続きを見る

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2007/07/20 21:02
逝く夏を惜しむ京都 栂尾から槇尾山西明寺へ
高山寺表参道(金堂道)を下り白雲橋を渡る。 茶山栂尾の碑。 橋の名は今の愛宕神社の前身、和気清麻呂が建てた「愛宕山白雲寺」によるものと思われる。 ...続きを見る

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2007/07/19 21:10
逝く夏を惜しむ京都 明恵上人の足跡を尋ねて
石水院を辞してさらに裏参道を上る。 右手の石垣内に、遺香庵茶室・法鼓台道場・寺宝を収める法鼓台文庫と続き 開山堂へと至る。 ...続きを見る

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2007/07/18 21:13
逝く夏を惜しむ京都 喫茶のルーツ・高山寺
仁和寺の門前を過ぎるとJRバスは間もなく周山街道(国道162)へと入って行く。 碁盤の目はうねうねとした山道にかわり やがて山口の神社平岡八幡宮を経て、梅ヶ畑の部落にさしかかる。 北山杉を使った木工の村であったのだろう。 かつては「畑の姨」と呼ばれた梅ヶ畑女が手甲、脚半にもんぺ姿で 梯子や床几を頭上にのせて市中に売りに出たという。 ...続きを見る

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2007/07/17 20:08
逝く夏を惜しむ京都 妙心寺から錦小路へ
小雨が降っていたが傘をさすほどのこともなく 池泉回遊式庭園を一巡したあと再び方丈の前に戻ってくる。 若者たちはすでに去り、縁に瓢鮎図がぽつねんと残されてあった。 ...続きを見る

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2007/07/16 10:36
逝く夏を惜しむ京都 瓢箪で鯰を捕えるには 妙心寺退蔵院
退蔵院 枯山水元信の庭 禅僧や造園家ではなく狩野派の絵師による作庭とは珍しい。 水が滝から大海に流れ込む様子を白砂で表現している。 ...続きを見る

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2007/07/15 10:21
逝く夏を惜しむ京都 禅僧の入浴作法に学ぶ 妙心寺にて
妙心寺拝観受付より方丈を眺める                  ’01.9.3 ...続きを見る

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2007/07/14 10:19
逝く夏を惜しむ京都 鹿苑寺金閣
                                   ’01.9.3 ...続きを見る

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2007/07/13 18:49
逝く夏を惜しむ京都 慈照寺銀閣
わが庵は月待山のふもとにて かたぶく空の影をしぞ思ふ ...続きを見る

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2007/07/12 20:33
逝く夏を惜しむ京都 白沙村荘
日曜日の朝東京駅を出発する。 10:59a.m.京都駅着。 観光案内所に立ち寄り、ホテルに手荷物を預けてから バス案内所で市バスのプリペイドカードを買ってまず銀閣寺を訪ねることにした。 100系統は1時間に2本、12時台は1本しかないので17系統にて銀閣寺道へ。 ...続きを見る

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2007/07/11 18:55
八月の京都の楽しみ方 大江能楽堂にて
初々しく、かつ商売熱心な?逸平君 ...続きを見る

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2007/07/05 21:46
八月の京都の楽しみ方 六道まいり
あの世を彷徨う祖先の霊を慰める行事は今でも京都市民の間に健在だった。 ...続きを見る

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2007/07/03 21:16
「円朝芝居噺 夫婦幽霊」
書評などとてもおこがましくて書けません。このような作品に対しては。 著者は本書の中で俗流リアリズムの信奉者であることを告白していますけれど・・・。 俗流ほど深く難解なものはないと、却って読者の方は構えてしまいます。 やさしい局面を難しく考えてしまうのが、将棋の素人だそうで、どんな分野でも半可通の陥りがちな陥穽ではありますが。 ...続きを見る

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2007/07/02 20:23
八月の京都の楽しみ方 六波羅蜜寺
京都最後の日。 天気予報は、台風が近づいていることを告げていた。 ...続きを見る

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2007/07/01 10:14
八月の京都の楽しみ方 長岡天満宮
大山崎山荘美術館をあとにして、京都へ帰る前に長岡天満宮を訪ねた。 ...続きを見る

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2007/06/30 11:19
ハンナ・アーレントに出会う 「責任と判断」
書物を通じて、すでにこの世にいない人と、時空を超えて出会えることは、幸せなことだ。 通常想像される以上に、その圧倒的な興奮と充足感は、孤独な読書体験のうちにとどめ置くには、強過ぎるものだと思う。 ...続きを見る

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2007/06/27 19:54
古代出雲への旅 幕末の旅日記から原風景を読む
出雲は特別な国である。 ...続きを見る

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2007/06/23 20:59
古代出雲巨塔の謎
本書は、時事通信社より刊行された「神の塔 出雲大社の暗部をえぐる」が文庫化されるにあたり改題されたものだ。 出雲国に生まれ育った著者だからこそ、神道と仏教の生々しい中世の葛藤を書くことができたのかもしれない。 ...続きを見る

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2007/06/21 19:30
八月の京都の楽しみ方 夏の庭園 大山崎山荘美術館
睡蓮の池。モネのジヴェルニーの庭を模す。 ...続きを見る

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2007/06/16 16:46
八月の京都の楽しみ方 地中の宝石箱 大山崎山荘美術館続編
本館2階 ...続きを見る

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2007/06/15 21:40
八月の京都の楽しみ方 大山崎山荘美術館
大山崎山荘美術館への緑陰のアプローチ ...続きを見る

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2007/06/14 20:51
八月の京都の楽しみ方 誰を待つのか「待庵」
妙喜庵 JR山崎駅前にて                      ’03.8.7 江戸時代末期までこの地にあった地蔵寺の塔頭であるという。 明応年間(1492〜1500)に俳人であり連歌師でもあった山崎宗鑑が 隠居所として建立したと伝えられる。 茶室「待庵」は国宝に、それに続く書院は国重文に指定されている。 ...続きを見る

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2007/06/13 21:04
八月の京都の楽しみ方 なら燈花会
仮眠をとった後、「なら燈花会」を観るために奈良に向かいました。 今年の「燈花会」については上記をクリックして下さい。 ...続きを見る

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2007/06/12 21:25
八月の京都の楽しみ方 空中径路
京都駅にて                               ’03.8.6 右上に空中径路の床部分が見える。 中央コンコースより45m上空、ガラス屋根の直下である。 ...続きを見る

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2007/06/11 20:21
八月の京都の楽しみ方 朝の東本願寺
朝食前に東本願寺に詣でる。 亡父の遺骨が分骨されているという理由で かこつけてお彼岸やお盆に京参りに出かけるのは 古くからの伊勢参りなどと同じ心理である。 神仏に参ることで、遊興の旅にも言い訳が立つ。 ...続きを見る

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2007/06/10 21:12
八月の京都の楽しみ方 瀬田の唐橋
JR石山駅よりMIHO MUSEUMまではバスで50分ほど。 商店街を抜けると間もなく京阪唐橋前駅、そして史上忘れることのできない攻防のポイント「瀬田の唐橋」へとさしかかる。 ...続きを見る

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2007/06/09 20:15
八月の京都の楽しみ方 MIHO MUSEUM
現在すでに中国に返還されているはずの北魏仏・菩薩立像を観るためにこの日 MIHO MUSEUMを訪れる。 古式の微笑を浮かべた観音の宝冠には蝉があしらわれて「セミの観音」とも呼ばれている。 北魏仏特有のその愛らしい微笑に魅かれて、信楽山中へと誘われた。 ...続きを見る

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2007/06/08 20:15
八月の京都の楽しみ方 貴船神社
貴船といえば昔、川に張り出した床(とこ)で頂いたお料理のことを思い出す。 魚素&#40629;というのを初めて食べたのもその時だった。 市街から車を走らせればあっという間に、その奥座敷に着いてしまう。 川の流れの上で食事をするのも面白く 京都初心者の私は京料理の繊細さにすっかりしびれてしまったものだ。 ...続きを見る

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2007/06/07 20:01
八月の京都の楽しみ方 鞍馬山入山
鞍馬寺仁王門 1911(明治44)の再建。仁王像は湛慶作。 この先ケーブル山門駅よりケーブル乗車。 ...続きを見る

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2007/06/06 21:17
八月の京都の楽しみ方 上賀茂神社と社家町
駅前には、定期観光バス乗り場があって、京都の四方に連れて行ってくれる。 涼しいバスで移動することにした。 ...続きを見る

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2007/06/05 20:27
八月の京都の楽しみ方 朝の散歩は駅ビル探検
青竜 東山南端 ...続きを見る

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2007/06/04 21:07
八月の京都の楽しみ方 阿国伝説
京都駅 夜の風景 ...続きを見る

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2007/06/03 20:52
八月の京都の楽しみ方 月の高台寺
お茶会のあと ...続きを見る

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2007/06/02 20:57
八月の京都の楽しみ方 夕涼みのお茶会
高台寺書院「陣中席」にて                ’03.8.3 白波に花筏の精巧な切り絵が練達の手業の跡を見せる。 京有職団扇 新花筏 阿以波作 ...続きを見る

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2007/06/01 19:03
八月の京都の楽しみ方 駅をベースキャンプにする
京都駅 南北自由通路よりホテルロビーに通じる通路からの眺め 中央コンコース 烏丸口 ...続きを見る

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2007/05/31 20:59
水幻想 依水園
庭に思想めいたものが底流しているにしても まず庭にはデザインありき・・・ 改変された自然の、目に見える物質性が密かに人の心を慄かせる・・・ ...続きを見る

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2007/05/30 20:41
春日山原生林の水の恵み 吉城園
奈良最後の日に まるで京都にいるかのような錯覚を覚える二つの庭を訪れる。 大仏を擁す東大寺の巨大な集客能力!を考えると すぐ近くでありながら、ここは何という静けさに満ちていることだろう。 ...続きを見る

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2007/05/29 22:02
信仰のかたち・匠の技 善光寺
                                ...続きを見る

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2007/05/28 20:53
こもりくの泊瀬山 長谷寺
長谷寺駅から、やがて初瀬川となる大和川に向かってどんどん階段を降りて行く。 谷底で橋を渡った。 橋の手前は伊勢に抜ける伊勢街道だ。 別に名物でもない巻寿司を食べて腹ごしらえを済ませると、長い参道を再び歩きはじめた。 三輪そうめんや吉野葛、地酒を売る店が続く。 閑散期のウィークデーは、開店休業といったおもむきだ。 ...続きを見る

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2007/05/27 20:58
女人高野 室生寺
室生川を渡る。                           ’99.929 “下の橋”上にて。 上流に見える朱塗りの橋は“太鼓橋”。 室生竜穴神社へはさらに遡る。 ...続きを見る

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2007/05/25 22:24
奈良の朝 
旅先で朝食前に宿の周辺を散歩するのが好きだ。 京都なら、さしずめ「普段着の京都」というタイトルになるだろうか。 ...続きを見る

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2007/05/24 21:07
饗すを業とする也 島原・角屋
                                   ’99.9.28 ...続きを見る

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2007/05/23 20:01
京都の朝 探鳥路
朝食前に、宿の裏山を散歩する。 東山三十六峰のひとつ華頂山の斜面に探鳥路が整備されていて 朝食前の軽い運動に格好だ。 ...続きを見る

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2007/05/22 20:46
人も水も流れる・・・ 南禅寺
                                     ’99.9.27 ...続きを見る

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2007/05/20 15:07
修学院離宮 上御茶屋
上御茶屋御成門                          ’99.9.27 ...続きを見る

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2007/05/19 20:11
修学院離宮 中御茶屋
楽只軒(らくしけん) 円照寺※は、奈良に移される前はこの付近にあったという。 皇女梅宮が入室しており、移転後は皇女朱宮(あけのみや)が草庵を結んでいた。 後水尾上皇崩御後は林丘寺となった。 楽只軒はその朱宮御所の最初の建物という。 ...続きを見る

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2007/05/18 22:38
修学院離宮 下御茶屋
修学院離宮の参観は3:00P.M.から。 晴天に恵まれたが、彼岸過ぎとは思えない暑さ。 20分前に表総門を潜り、待合いにてビデオを観るなどした後 約3qの行程を1時間20分ほどかけて歩く。 木綿のブラウスの中も次第に汗ばんでくる。 ...続きを見る

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2007/05/17 20:38
INCLINE 京都の近代
東京遷都後、古都の存続をかけて 岡崎の地に京都人の知恵と力が結集された。 ...続きを見る

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2007/05/16 20:55
王朝の夢の跡を訪ねて 桂離宮
   月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ ...続きを見る

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2007/05/15 21:13
特別公開という誘惑 興福寺
2001年のこの日の特別公開は確か二日間限りだったように覚えている。 白いテントが張られ、そこで受付を済ませて 指定された時間に集合するとガイドに案内されて整然と拝観する。 この日のために、京都でウォーミングアップしていたのかもしれない。 ...続きを見る

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2007/05/14 20:42
カキツバタ咲く里 梅宮大社
夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く                                  大納言源経信 ...続きを見る

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2007/05/13 21:07
神霊の声を聞く 松尾大社
はじめて訪れる地を、観光バスを利用して簡便にまわってしまうことが惜しい。 それでも、慌ただしく立ち去る観光客ですら、松尾(まつのお)大社の鎮座する地に、祭政一致の時代の呪力を感じとることができるだろう。 ...続きを見る

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2007/05/12 21:00
時には定期観光バスに乗ってみよう 善峰寺
旅には決まったスケジュールが無いのであった。 それこそ旅の醍醐味だが、選択肢の多さが逆に重荷になってしまうこともある。 人生も似ている。 多少とも、自由の抑圧から逃走を試みた結果が今の人生なのではないか。 ...続きを見る

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2007/05/10 20:30
神様に会いに行く 下鴨神社
加茂川を渡って下鴨神社に参る。 ...続きを見る

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2007/05/09 19:40
足利の菩提寺へ 相国寺
夢窓疎石を慕った足利義満によって、夢窓の弟子春屋妙葩を開山として創建される。 義満は五山の座位を定め、南禅寺を天下第一、天竜・相国・建仁・東福・万寿の五寺を五山とした。 応仁の乱では東軍の陣となり、西軍に通じた僧の放火によって全焼した。 その後、豊臣・徳川及び後水尾上皇の援助によって次第に復興したが 天明の大火に遭った後、文化年間に再建される。 明治以降は多くの塔頭が廃され、寺域は五分の一に縮小された。 ...続きを見る

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2007/05/07 23:08
旅先で何故かキャンパスに行きたくなる 同志社大学
札幌なら北大、奈良なら奈良女子大・・・ 旅先でふと、観光資源とは少し距離をおいた場所に行ってみたくなる。 非日常に身をおきながら、その自由な心のままに 日常的な環境を地元っ子のように歩いてみたい・・・。 そんな贅沢な天の邪鬼が頭をもたげる。 ...続きを見る

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2007/05/06 19:00
ザ・温泉 草津紀行3
西の河原公園へ到る道の両側には旅館・土産物店が軒を並べる。 差し出される温泉まんじゅうを尽く試食していたら、急性糖尿病になってしまうかもしれない(^_^;) 湯畑に面する二色餡が売り物の店ですでに購入・試食済み。 ...続きを見る

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2007/05/05 21:08
ザ・温泉 草津紀行2
草津の湯はPH1.7から2.1くらいの強酸性である。 宿の浴場には「真湯」(普通の湯)と表示された浴槽もあった。 温泉ではなく真湯の方に気持ち良さそうに浸かっていた外人さんに、その旨伝えると 「わかってます!」 と日本語で返ってきたというエピソードを後で聞いた。 温泉に浸かった手で目に触れるとヒリヒリする。 「真湯」が用意されているのは、肌の弱い人のためか 或いは強酸性の刺激をやわらげる入浴の仕方があるのか。 ...続きを見る

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2007/05/04 21:00
闇の歴史、後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉
「闇の歴史」というから当然、敗者の歴史である。 貴種流離譚の好きな判官贔屓の日本人にとって、南朝の悲史ほど気にかかるものはなかなかないと思うのだが、どうだろうか。 ...続きを見る

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2007/04/30 15:33
雨の中、借景で名高い寺を訪れる 円通寺
円通寺は深泥池の北に位置する。 比叡山を借景とする名高い庭園は残念ながら撮影禁止であった。 とはいえ、この雨である。 比叡山は、最初から煙雨の彼方に姿を隠していた。 ...続きを見る

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2007/04/27 19:57
京都の吸引力
学生時代はよく知恩院内の民宿に泊まった。 夏休みを利用するのでいつも油照りの暑い京都だった。 そのせいか、紅葉や桜、雪よりも、焼けつくようなアスファルトの照り返しこそ、京都の様々なイメージに結びついてしまう。 京都駅に着いて、路線バスに乗車したとたん、小さな男の子まで、おっとりと京都弁を話すのに(当たり前だが)、ああ、京都に来たんだなあ、としみじみ思ったものだ。 ...続きを見る

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2007/04/13 21:38
「南朝全史」
「南朝全史」のはじめに、南朝研究が本格的に始まったのが、中央公論社による「日本の歴史9 南北朝の動乱」(佐藤進一著 1965)であるという指摘がなされている。 太平記で親しい南朝の歴史がようやく本格的に学問の対象となったのが、戦後20年を経てのことだというのだ。 いささか驚くとともに、天皇制という微妙な問題に直接リンクする史観に同時代の政治が影をおとさないはずない、と思う。 だから南朝史はどこかいつも物語性を帯びていた。 ...続きを見る

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2007/04/11 21:44
嵯峨野紀行 11 旧嵯峨御所大覚寺
                                2003.2.27 ...続きを見る

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2007/04/08 23:17
嵯峨野紀行 10 女語り哀話 
嵯峨野が世を遁れた隠棲の地であったことを、この祇王寺に来ると一層強く感じられる。 祇王祇女の物語は平家物語の中でもポピュラーなものだ。 ...続きを見る

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2007/03/30 20:29
語るに足る、ささやかな人生 〔アメリカの小さな町で〕 駒沢敏器著
題名が「語るに足る、ささやかな人生」 そして主人公であるところの「私」はアメリカのスモール・タウンを巡りながら、風景と、そして人々と親密な交流を試みる。 読む前から、この書物に書かれている内容はほぼ推察できるような気がしていた。 ...続きを見る

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2007/03/25 18:28
嵯峨野紀行 9 化野念仏寺
                                 2003.2.26                                  ...続きを見る

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2007/03/24 16:33
なまこ壁通りから中瀬邸へ
なまこ壁通り                      2007.3.2 なまこ壁は大風と火事に強く 特に江戸では明暦の大火後需要が高まったという。 ...続きを見る

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2007/03/18 19:02
なぜ伊豆長は高村光雲になれなかったのか 職人伝説
大げさなタイトルを掲げてしまったけれど、「土の絵師 伊豆長八の世界」を読み、様々な角度から入江長八の残したものを検証する人々の作業を通して、結局心にわだかまったのはそのことだった。 多分、長八自身のわだかまりであったことと推測する。 ...続きを見る

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2007/03/17 20:36
伊豆文さんと長八の宿
伊豆文邸 松崎にて                       2007.3.2 ...続きを見る

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2007/03/16 19:52
浄感寺 名工たちの手わざのあと 
宿のデッキから眺める駿河湾             2007.3.2 海水浴場となっている。 ...続きを見る

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2007/03/14 18:03
江戸のアルチザン伊豆長の世界
漆喰芸術の殿堂 伊豆の長八美術館          2007.3.1 ...続きを見る

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2007/03/10 18:46
春の海と・・・岩科学校
歯医者の診療用椅子に座って待っていると 「どちらか行かれましたか」とT先生。 「ええ、春の海を見に・・・。伊豆へ」 「琴の曲があるな」 「宮城道雄ですね」 「ドビュッシーにも “海”があるね」 ...続きを見る

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2007/03/07 23:46
雛のつるし飾りまつり 伊豆稲取にて
春を待つ心も、暖冬では切実さに欠けるようです。 それでも、四季の巡りに敏感な文化圏に生れた一人としては 春の海、河津桜、雛のつるし飾り、・・・と連想を呼び 池袋発のスーパービュー踊り子号を、一ヶ月前に予約していました。 ...続きを見る

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2007/03/03 15:58
嵯峨野紀行 8 宝筐院から化野へ
清涼寺をあとにして 山門の西へ100mほど行くと、宝筐院である。 紅葉の季節に先がけて、この境内が旅の雑誌に載らぬことはない。 冬枯れの風景に観光客の姿はない。 ...続きを見る

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2007/02/25 12:00
嵯峨野紀行 6 清涼寺へ
嵯峨野二泊目の朝 大堰川畔の宿の庭にて ...続きを見る

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2007/02/19 21:43
お江戸への近道「わが落語鑑賞」
CDで志ん朝の「夢金」を聞きながら、いつの間にかうとうと・・・とこちらが夢の中に入ってゆく。 ...続きを見る

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2007/02/18 15:38
嵯峨野紀行 5 上七軒・千本釈迦堂から広隆寺へ
2003.2.25 上七軒は京都で最も古い花街である。 西陣の旦那衆の豪勢だった当時がしのばれる。 西陣織の衰退とともに芸妓の数も減少した。 ...続きを見る

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2007/02/14 19:22
嵯峨野紀行 4 北野天満宮
嵯峨野一泊目の翌朝 宿の庭を散歩する(2003.2.25) ...続きを見る

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2007/02/08 17:49
嵯峨野紀行 3 渡月橋
「渡月橋」について 河原町丸太町の停留所よりバスで嵐山に向かう(2003.2.24) ...続きを見る

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2007/02/07 11:38
嵯峨野紀行 2 番外編・廬山寺
ホテルの部屋から蛤御門、京都御苑を隔て、大文字山を望む。 ...続きを見る

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2007/02/04 17:56
嵯峨野紀行 1 番外編・大徳寺
3年前、2月に嵯峨野を訪ねたことがありました。 さらに昔、嵯峨野では大河内山荘前の竹林の道を歩いている時に 粉雪が舞い散る僥倖に遭遇した思い出もあります。 ...続きを見る

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2007/02/03 18:15
冬の京都 十 古都の今
地下鉄「京都市役所前」駅の公衆トイレの案内プレート。 トイレの配置が点字で示されている(2002.1.22)。 昨今バリアフリー及びユニバーサルデザインという考え方が 広く浸透してきたように思う。 入口でこの案内板を見れば洋式トイレの位置もすぐ分かる。 ...続きを見る

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2007/01/25 18:18
冬の京都 九 無鄰庵
復路は夜行バスを利用するため長い一日となった。 底冷えのする下醍醐を巡った後、醍醐駅に戻り、昼食をとりながら これからのプランを検討する。 結局、東西線で蹴上に戻って、まず無鄰庵を訪ねることにした。 ...続きを見る

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2007/01/24 17:32
冬の京都 八 下醍醐・女人堂まで
下伽藍  清滝宮本殿 ...続きを見る

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2007/01/20 09:39
冬の京都 七 下醍醐をめぐる
西大門(仁王門) ...続きを見る

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2007/01/19 19:24
冬の京都 六 醍醐寺三宝院
三宝院 唐破風造桧皮葺の車寄 ...続きを見る

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2007/01/18 20:28
冬の京都 五 醍醐寺へ
蹴上より醍醐までは地下鉄東西線で15分ほど。 駅前の大きなスーパーにておむすびなど調達する。 この時点では上醍醐まで歩く意気込みだったのだが・・…。 途中の自動販売機でお茶を買い、醍醐小学校のわきを通って、下醍醐の総門に向かう。                                      '06.1.22 ...続きを見る

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2007/01/17 20:39
冬の京都 四 宇治茶 
宇治駅へ         ...続きを見る

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2007/01/16 17:26
冬の京都 三 宇治川
宇治川の流れは橋上から間近に眺めるととても迫力があります 歴史の舞台に何度も登場しながら、不変、無常・・・ どんなに悲惨な風景もたくましく浄化してゆきます。 源氏物語宇治十帖の悲しい浮舟の生涯。 凄まじい流れの中に救いを求めて漂う浮舟の姿が重なって見えてくるようです。 ...続きを見る

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2007/01/14 12:58
「われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇」 
戦中戦後の歴史が、第三次まで内閣を組織した近衛文麿の評伝としても記述されている。 弱さ、優柔不断を指摘され、首相の器ではなかったとまでいわれる人が、非常時を軍部との軋轢の中で如何に行動したかが記されている。 ...続きを見る

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2007/01/10 21:15
冬の京都 二 東寺より宇治へ
やがて雨も上がった 東寺駅より宇治へ向かう ...続きを見る

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2007/01/09 20:11
冬の京都 一 初弘法
しんしんと冷える、人気の無いお堂で、仏像たちに対面してみたい・・・ なんて天邪鬼をやってみたくなる時があります。 ...続きを見る

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2007/01/08 12:55
イノシシのいる神社 京都護王神社
新年あけましておめでとうございます 旧年中はご訪問ありがとうございました ...続きを見る

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2007/01/01 09:26
「憲法九条を世界遺産に」
日本国民は 正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 国権の発動たる戦争と 武力による威嚇又は武力の行使は 国際紛争を解決する手段としては 永久にこれを放棄する。 ...続きを見る

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2006/12/29 22:34
神戸から奈良へ 10 東大寺
奈良セミナーにて3日目の朝を迎える   ’98.12.21 ...続きを見る

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2006/12/27 10:51
神戸から奈良へ 9 秋篠寺歌碑めぐり
秋篠寺 東門より入る。香水閣 ...続きを見る

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2006/12/26 11:23
神戸から奈良へ 8 佐紀路
みささぎの道を行く  佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)                                          1998.12.20 水上池 コナベ古墳の西側にある。ふだんは釣り人で賑わうという。 15ヘクタール近くある灌漑用溜池である。 池の南側の堤防はすでに奈良時代につくられていたと考えられ 日本書紀の「狭城池」とする考えがある。 ...続きを見る

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2006/12/25 21:28
<出雲>という思想 近代日本の抹殺された神々
冬至の昨日 植木屋さんに高いところに生っている柚子の実を採ってもらった。 10個ほどを半分に切って、さらしの袋に入れ、浴槽の湯に浮かす。 皮に含まれる油分から柑橘の爽やかな香が立ち上る。 湯気の中でほっと一息ついた。 変わらぬ風習が懐かしい。 ...続きを見る

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2006/12/23 23:02
神戸から奈良へ 7 東大寺の朝
水門町を行く。水門橋にて。 正面突き当たりが戒壇院。 ...続きを見る

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2006/12/21 21:27
神戸から奈良へ 6 当尾の里U
野仏の道を行く  1998.12.19 浄瑠璃寺へ・・・・・ ...続きを見る

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2006/12/20 19:28
妖怪談義
妖怪談義 柳田國男著 講談社学術文庫 ...続きを見る

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2006/12/16 17:57
飢は恋をなさず 斎藤緑雨伝
飢は恋をなさず 斎藤緑雨伝 吉野孝雄著 明治文学全集28 斎藤緑雨集 ...続きを見る

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2006/12/09 21:00
「民俗学者小泉八雲」 漂泊する詩人の魂
        「民俗学者小泉八雲 日本時代の活動から」         「ファンタスティック・ジャーニー ラフカディオ・ハーンの生涯と作品」 ...続きを見る

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2006/11/04 20:19
「国宝伴大納言絵巻」展 謎の男は誰だ!
国宝「伴大納言絵巻」が高精細デジタル画像撮影により、等身大の写真パネルで展示されるという。もちろん現物も、である。 史実ではあるけれど「宇治拾遺物語」にも記された説話文学の世界に、身体ごとタイムスリップできるだろうか。 毎度のことながら多大な期待をもって、ミーハー気分を横溢させて、会期切れ間近になってうかうかと出かけてしまった。 ...続きを見る

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2006/11/02 20:41
湖北巡礼7 京都東福寺紅葉谷
2000.12.7 東福寺 臨済宗東福寺派大本山。京都の大禅寺では建仁寺に次いで古い。 九条家の始祖兼実の孫道家が祖父の菩提寺創建を発願 東大寺・興福寺より一字ずつとって寺号とし、宋から帰朝した円爾弁円を招いて開山とした。 真言・天台・禅の三宗兼修の寺とし、次第に禅に移行する。 円爾は傑出した逸材と伝えられ、多くの皇族・公卿の帰依を受けた。 学徳の誉れ高く、門下から多くの名僧を輩出した。 聖一国師の号は日本禅僧はじめての賜号である。 日蓮が他宗の迫害を受けたとき庇護したこともあ... ...続きを見る

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2006/10/23 20:45
湖北巡礼6 京都月輪山泉湧寺
2000.12.7 前夜Aさんと敦賀で別れる。 雪のせいで列車が遅れた。 立錐の余地も無い湖西線、雷鳥の車内であった。 ...続きを見る

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2006/10/22 18:49

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