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zoom RSS 「きりぎりす」 太宰治を読む

<<   作成日時 : 2017/08/27 20:56   >>

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今、太宰治を読むことに、どんな意味があるのか、などと大真面目に考えずとも、面白ければ読む、ただそれだけ。
どのように面白いかについては追々述べてみようと思う。

その前に、直木賞と本屋大賞をダブル受賞して注目された蜜蜂と遠雷について、太宰と現代の作家を比較する意味でも少し言及したい。
2段組の大部の小説だが、するするとたちまち読めてしまう。感想文を書くつもりでいながら結局、その気になれなかったのは、やはり文学としての味わいに欠けていたからだろう。
音或いは音楽という、言葉では置き換えにくい対象を描写、評論、物語化する力には感服させられた。
しかしあくまで抽象的で、同語反復的、饒舌体であり、しつこいくらいだが、本物の音が聞こえてこない。
ただ、ピアニストの特徴を微細に表現できることに感心させられた。
読了後、生の音楽、特にピアノの演奏を聴くためにコンサート・ホールに足を運びたくなるのは必至である。
音楽界の方から賞を贈るべきではないだろうか。
ただ文学は音楽とは別ものなのだと改めて思う。
音が聞こえてくるような小説ではなかった。

そこで太宰だが、奥野健男が編んだ14の短篇集「きりぎりす」
40歳で自死した作家の中期の作品である。
太宰の文章は、巧みな話術で読者を手もなく引きこむのだが、推敲を重ねた形跡があまりみられない。
短歌でいえば石川啄木や与謝野晶子のようだ。
読後、うまく騙されたのではないか、という気がする。
嘘が99%、残りの1%に真実が潜んでいて、嘘が真に反転するのはそのわずかだが決定的な真実のせいだという印象がぬぐえない。
虚実皮膜という言葉が太宰ほど真に迫ってくる小説家はあまりいないのではないだろうか。

「山椒魚」を読んで井伏鱒二に心酔する。
井伏鱒二が太宰について語った文章も興味深いが、「風の便り」という作家どうしの往復書簡という体裁をとった太宰の短編「風の便り」の一方の作家に井伏鱒二を比定して読めるところが面白い。
奥野健男によれば、佐藤春夫や志賀直哉も入っているらしいのだが。
「富嶽百景」では、きちんと登山服を着ている井伏鱒二に対して太宰は持ち合わせがなく、何とか登山らしく装うことに悩む様子が活写されていて、いかにもおしゃれな太宰らしい工夫ではあるけれど、その七転八倒ぶりを眺めて、男は身なりなんか気にしないほうがいい、と慰める井伏鱒二がいる。

自らをピエロにして笑わせる。
自虐をネタにするユーモア作家と言い切れないところがあり
人間の哀れさ、滑稽さには、人間存在の無視できない真実が潜んでいる。
過剰な自意識に苦しんだ作家の作品を読むと、読者の身がわりになっての苦悩、という気がして、合わせ鏡のように自己を無限に投影する文学の奥深さに気づくのだ。
諧謔、皮肉は同短篇集中の「畜犬談」に鮮やかで、10回くらいはくすりと笑ってしまう。

水村美苗の、近代文学を読め、という忠告は確かである。
大きな賞ととった現代の小説よりも、である。



※ きりぎりす  太宰治 著  新潮文庫(’08.11)



画像 蜜蜂と遠雷  恩田陸 著
         幻冬舎(’16.9)

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コメント(2件)

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ちょうど、上野歩著「探偵 太宰治」を読み終わったばかりでした。もし、嘘が99%だとしたら、残りの1%は太宰の出自とも関係しているのでは・・・と思いました。
ウリ坊
2017/09/02 14:40
ウリ坊さん、ありがとうございます。
ネット書店のレビューも良かったので早速「探偵 太宰治」を予約しました。
昨年、斜陽館に行きましたが、生家を訪ねるという経験が作家やその作品をより生々しく感じさせることを痛感しました。

2017/09/03 09:40

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