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zoom RSS いのちの源流〜愛し続ける者たちへ〜 中村純エッセイ集を読む

<<   作成日時 : 2017/07/26 22:20   >>

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詩人中村純のエッセイ集。
読書会の時、一時期詩を書き続けていたことがあるというIさんから中村純の名を聞いた。
詩集より先にエッセイ集を読むことになった。
詩を理解するために、必ずしも詩人の来歴を知る必要はないが、詩を読む助けになるのは確かだ。

中村純はジェンダー研究から、マイノリティと人権、改憲問題、原発問題に対して発言している。
護憲そして当然、反原発派である。
自身の祖父が在日韓国人であるということで在日問題には特に敏感で、戦中戦後日本がとった理不尽な処置を糾弾する。
3.11の原発事故に対しては、子を持つ親として最も厳しい告発をする立場にいる。

本書を読んで改めて考えたのは、詩的言語が果たして政治的に有効なのか、有効であるとすればどのようにして影響力を持ちうるのか
ということだった。
理詰めな論文や、慣用的表現による散文に比べてみる。
詩は行間に幾重もの思いが込められ、或いは説明抜きの飛躍があり、それが詩的に絶大な効果を発することがある。
言葉と言葉がショートする現象である。

エッセイ集を読んだあとで、詩人の第一詩集「草の家」(土曜美術社出版販売 ’04.9)を開いた。
詩の言葉は、常識や通俗、常套句や慣用表現を嫌うので、時として韜晦的になりかねないが、散文だったら行と行の間に説明が必要な場合でも、詩にとってはそれが有効な手立てになり得る。

激甚災害である原発事故の後始末は今も過酷な状況下で行われている。
しかし報道されなければ、当事者でない限り、現実はじわじわと風化してゆく。
これからも気の遠くなるような年月をかけて、汚染を封じ込めてゆく努力を続けてゆかなければならないのに、原発はいつか再稼働のモードに入ってゆく。
電力の消費者として、国民主権の主体として、許せないことがなぜ始まってしまうのだろうか。
読む人も限られた詩の世界で、その言葉がどれだけ有効なのか、と問われれば、懐疑的にならざるを得ないけれど、はっとさせられる言葉に出遭い、そのショックがまたじんわりとリアルな社会に効いてくるというのはあるだろう。

言葉を尽くしても散文では言い難いリアリティが詩の言語に宿ることがあるのは確かだ。



※ いのちの源流〜愛し続ける者たちへ〜 中村純エッセイ集
                            コールサック社(’13.12)

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