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zoom RSS 六波羅蜜寺から六道珍皇寺へ

<<   作成日時 : 2017/06/25 21:32   >>

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建仁寺をあとにし、カフェ ヴィオロンでようやく休憩を兼ねたランチをとることができました。
オムライスとレモネードというメニューまでレトロな喫茶店。
こういうカフェは東京ではもう消えてしまったようです。
ちょっとしたタイムスリップを体験したような気になりました。

さて、新幹線の時間までまだ間があるので六波羅蜜寺と六道珍皇寺を拝観することにしました。
鳥辺野という葬送地の入口に当たるこの地で、僧が死者に引導を渡したのです。

六波羅蜜寺は、本堂の裏手に宝物館があり、重要文化財の仏像が多数安置されています。
なかでも六字の名号をあらわす阿弥陀仏を吐き出す空也像は強い印象を残します。
ある種の宗教的熱狂を感じさせます。
他に平清盛像、地蔵菩薩坐像、四天王立像などは必見です。
これらの仏像は、運慶・快慶の菩提寺で、高倉に運慶が建立した十輪院の寺宝をあつめたものだそうです。

六道珍皇寺は、かつてお盆近くに訪れた時の喧騒とは打って変わり、ひっそりと静まりかえっていました。
迎え鐘をついて、地元っ子のような気分になっていましたが、あとで送り鐘をつかなければ先祖の霊をあの世に送り返すことができないと知って、慌てました(^^;)
ずらりとお坊さんが並んで、水塔婆に戒名を書きつけている光景は壮観でした。
高野槇を買い求めるのは、祖先の霊を乗せて家に持ち帰るためだと知ったのもその時のことでした。




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六波羅蜜寺は、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人によって開創された「西光寺」にはじまる。
天暦5年(951)、京都に悪疫が流行した時、市聖・空也は、自ら十一面観音像を刻み、車に安置して市中を曳き歩いたという。
青竹を八葉のハスの花のように割り、茶をたて、小梅干と結昆布を入れて、仏前に献じたものを病人に与えた。
歓喜踊躍しつつ念仏を唱え、病魔を退散させたという。
空也による祈願文が現存していて、それによれば
応和3年(963)、諸方の名僧600人を請じ、金字大般若経を浄写、転読し
夜には五大文字を灯して大万灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。
これが西光寺の起こりとされる。
寺号を六波羅蜜寺としたことについては諸説あるようだが、「六」は霊の古語であり、葬送地を指すとか。
東山山麓の転訛ともいう。
六波羅蜜寺と改称された頃に天台別院となり、法華講を催すと男女が雲集したといわれる。
境内からは解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三鈷、独鈷模様の瓦をはじめ、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔八千基が出土している。
平安時代の庶民信仰を知る上で重要な出土品である。

なおこの境域内に清盛はじめ平家一門の邸館が建ち並び、その権勢を誇ったが
寿永2年(1183)平家没落の際、兵火を受け、諸堂は類焼、ただひとつ本堂のみが焼失を免れたという。

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阿古屋塚
右下にある石の説明板に次のように刻まれている。

平家物語の裏面に隠された「阿古屋」の悲恋を語り伝えるためこれを記す
と。
平成23年に坂東玉三郎が奉納したものであることがわかる。
この石造宝塔は鎌倉時代の作で、台座は古墳時代の石棺の石蓋を用いたものだそうだ。
歌舞伎の壇浦兜軍記「阿古屋」によれば
五條坂に住む白拍子阿古屋は、平家の残党を探す代官の前で詮議され、琴、三味線、胡弓を一糸の乱れもなく弾じてみせる。
阿古屋は、恋人の所在を知らぬものと判断されて釈放される。

一節にこの阿古屋塚は、下火(あこ)すなわち遺骸を焼く燃料に火をつける作法にもとづく火葬場ともいわれる。
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左、六波羅蜜寺
突き当りに「幽霊飴」を商う店があり、その左手に昭和レトロな「カフェ ヴィオロン」
飴を買う子育て幽霊の伝承は日本全国に分布しているようだ。
松原通の鴨川左岸、鳥辺野の入口に当たるこの地にいかにも相応しい話である。

「カフェ ヴィオロン」でオムライスを食べていると、階段下で寝ていた子供がいつの間にか起きて、おとなしく座っている。
店を切り盛りする両親の忙しさをわきまえているかのようで、利口そうな面立ちがいじらしく感じられた。
聞けば1歳3か月だという。
葬送の記憶をとどめる地にて、目まぐるしく走馬燈がまわって、夥しい世代交代を見せるかのように思われた。

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六道珍皇寺
創建については諸説あるようだが、国家鎮護の寺として承和3年(836)、山代淡海らが建立したとみるべきという。
大椿山と号する建仁寺の塔頭だが、南北朝時代に衰える前は、東寺を本寺とし
平安・鎌倉時代には葬送地鳥辺野の入口にあたることから「六道詣り」(精霊迎え)の寺としても栄えたという。
鳥辺野へ葬送する際の野辺送りの場所で「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境界となっていた。

本堂の裏手にある井戸には、小野篁冥土通いの伝承がある。
昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔大王に仕えたという小野篁は、この井戸を通じて此岸と彼岸を往来したという。
この奇怪な伝説は、「江談抄(ごうだんしょう)」「今昔物語」「元享釈書(げんこうしゃくしょ)」等に数多くみられる。
小野篁は不羈な性格で「野狂」ともいわれ奇行が多かったとされ、平安末期には独特の神通力を有し、現世と冥界を往来したと語り伝えられていた。

毎年8月7日から10日までの4日間は「六道まいり」が行われ、先祖の精霊をこの世に呼び戻す「迎え鐘」をつく参拝客でにぎわう。

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篁堂                                      ’17.6.14




                                           つづく

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
東西を問わず、千年前には、疫病は怨霊か悪魔のたたりとしか思えなかったでしょう。退治するには神仏にすがるしかない気持ち、溺れる者は藁をも・・・であったことが想われます。
ワトソン
2017/06/29 20:50
ワトソンさん、ありがとうございます。
私たちは現代の意識や感じ方で歴史を判断しがちですが、当時の人がいかに迷信に怯えていたかは想像できないこともありません。
今日でも合理的に理解できないことがたくさんあるのですから…

2017/07/02 00:08

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