風を待ちながら・・・

アクセスカウンタ

zoom RSS 京の町歩き 平安京内裏跡を訪ねて

<<   作成日時 : 2017/05/30 21:43   >>

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

画像





京都は一木一草、徒やおろそかにできない。
自転車で巡るのでさえ、速すぎる。
歴史の栄光と悲惨、その「痕跡」を探し求めようとすれば必ずや、行きつ戻りつすることになるので、ここはもう歩くしかないのだ。
昔の人は、牛車や輿に乗るやんごとない人種を除けば、通常は歩いていたのだから…
彼らと同様とはいかないまでも、それに近い時間と距離感で歩いてみたい。

相国寺承天閣美術館と京菓子資料館を訪ねた後、ひとまず宿に帰った。
疲れたという母を部屋に残し、誰も同行してくれそうにない目的地まで、まだ5月だというのにすでに夏の油照りを予感させる京の町をてくてく歩いてみることにした。
京都御苑より西へ約2q
蛤御門前のホテルから歩きはじめて、京都府庁の正門前を過ぎ、進々堂で閉店時間を聞くと、下立売通をさらに西進する。
堀川通の先は道が細くなり、角にスーパーがあるのを確認すると、帰りに果物を買うことを算段しながら先を行く。
豆腐屋や仕出し屋が目につく個人商店と住宅の混在する町だ。

さて、内裏と呼ばれる天皇の私的領域を考える時、現在の京都御所を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
京のかつてのメインストリートである朱雀大路は、今の千本通に当たる。
現在の京都市街の中心を南北に貫通する大通りは烏丸通だが、その通りから西へ2qほどずれている。
京都は太古には湿地で、特に右京は水害が多かったのだろう。
里内裏が天皇の常の御座所となることが多くなると、安元3年の火災で内裏が焼亡した後は再建されることなく、里内裏であった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が御所となった。
紫宸殿や清涼殿が復元されたのは近世になってからで、これが今日の京都御所である。

今日の京都に、平安京の遺物を求めても虚しい。
連綿と今も存在し続けているのは、東寺と神泉苑くらいだ。
平安の面影を現在の市街地に重ねて見ようとする向きは、石碑を訪ね歩き、今昔のあまりの変遷に歴史の非情を覚え、ひとり感傷に浸るのもわるくはないだろう。


※ 冒頭の写真は、大極殿遺阯碑

画像

京都ガーデンパレスにて
ホテルの車寄せに「土御門内裏跡」の碑あり。
その南の一角には水戸藩邸跡の碑。

画像

山田松香木店
室町通下立売上ル
この辺り一帯路上に香木のかおりが漂っている。
画像

京都府庁
横断幕に
「歓迎 文化庁の京都移転決定 文化力で日本を創生、世界に貢献」とある。

画像

平安京内裏宜陽殿(ぎようでん)跡
紫宸殿の東にあり、内裏造営当初からあったと思われる建物。
母屋は累代の書物、楽器、甲冑などの御物を納める納殿(おさめどの)で、枕草子には累代の楽器をほめて、次のように書かれている。
「それは宜陽殿の一の棚に置かれるもの」
『源氏物語』「若菜上」では、兵部卿宮が弾いた琴は宜陽殿の御物という。

画像

↑↓平安京内裏綾綺殿(りょうきでん)跡
内裏の中心的建物であった仁寿殿の東に位置していた。
内裏十七殿の一つで、舞いや内宴、相撲節などが行われていた。
『年中行事絵巻』には女楽人や妓女が艶やかに舞う姿が活写されている。
綾綺殿跡は、米屋だった町家を改修しておしゃれなカフェになっている。
画像




画像

平安宮内裏承明門(じょうめいもん)跡
内裏内郭の南正面門で建礼門の内側にあり、儀式などで重要な役割を果たした。
この付近から北側の一帯は平安宮(大内裏)の天皇の居所である内裏跡に当たる。
承明門の北側には雨落溝跡(雨水の排水溝)が発掘されており、その北方、南北一直線上に地鎮め遺構が4箇所発見された。
土師器皿、壺、金粉・銀切板・琥珀片・ガラス玉・ガラス片・珊瑚片など儀式の際に撒かれた宝物が見つかっている。
これらの祭祀場所は、内裏の中央南北ラインを示しており、内裏復元の際の重要な定点となっている。

画像

平安京内裏内郭回廊跡
内裏は厳重な築地回廊で囲まれていた。
昭和38年に下水道工事の際、その一部が発見された。
内裏は東西約173m、南北約218mの広さで、ここに埋もれている回廊西南部は約30mにわたって南北に延びている。
回廊の幅は10.5m
内裏の確実な遺跡としては唯一のものだそうである。

画像

平安宮朝堂院跡
朝堂院は八省院とも呼ばれ、天皇の即位や外国使節の謁見などさまざまな儀礼や国事の行われるところで、朝政の中心をなした。
宮城正面の朱雀門を入ったところに位置し、その規模は東西約180m、南北約450mで、全体が回廊で囲まれていた。
朝堂院は数度の火災に遭いながらその度に再建されてきたが、安元三年(1177)の大火で全焼し、以後再び建てられることはなかった。
現在のこの地は、ほぼ大極殿の西端ないしその西側の回廊付近にあたるが
後世の撹乱が激しく、遺構は確認できていないという。

画像

大極殿跡
朝堂院の正殿である大極殿は、東西十一間・南北四間、緑彩の瓦で葺かれた大屋根の下に朱塗りの柱が並んでいた。

画像

大極殿遺阯碑は千本通から西へ少し入った小さな公園の中に建っている。
千本通は平城京の朱雀大路である。

画像

山中油店
文政年間創業という京都の老舗のひとつである。
町家建築は国の登録有形文化財。
画像




画像

平安宮一本御書所跡


画像

下立売通左手、京都府庁


画像

平安女学院 この建物の先が聖アグネス教会である。      ’17.5.8




                                          つづく

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
京の町歩き 平安京内裏跡を訪ねて 風を待ちながら・・・/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる