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zoom RSS 光源氏「六条院」の面影を訪ねて 源融「河原院跡」

<<   作成日時 : 2017/03/25 19:56   >>

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光源氏のモデルは藤原道長ともいわれるが、巷間に流布してきた言説によれば、源融がその筆頭ではないだろうか。
いずれにせよ物語作者の想像力が、複数の人物を合成して、理想的男性像に仕立て上げたものだろう。

藤原道長は源氏物語の作者紫式部にとって同時代人である。
しかし道長が望月の欠けることのない隆盛を誇った時期に、紫式部はすでにいない。
一方、源融は紫式部より100年以上も過去の人で、桓武天皇の第2皇子嵯峨天皇の皇子。
今よりはるかにゆっくりと時が流れていた時代である。
源融は紫式部にとっても、想像力をかきたてる、その風流が懐古的に偲ばれる存在だったに違いない。

ところで源融が営んだという河原院。
融の別荘は他に静霞観(せいかかん)(現清凉寺)、宇治院(のち平等院)がある。
河原院は、石碑の説明板よれば

「このあたり東西・鴨川の中央あたりから西へ柳馬場通、南北・五条以南正面通あたりまでの大邸宅であった」

光源氏が理想の邸宅として築いた「六条院」は一説に、この河原院を念頭に置いて創作されたという。
陸奥塩竈の景をうつし、難波江の潮水を運んで塩を焼いては、立ち上る煙を愛でたという有名な塩竈のあとは、この石碑からほど近い、上徳寺とも本覚寺あたりともいわれている。
説明板の解説からすると「河原院跡」の石碑も渉成園も推定される「六条河原院」から少しはみ出ているようだ。

夕顔町をあとにして、当時の森の名残だという榎の下に「源融 河原院跡」の石碑を確かめ、西へ上徳寺と本覚寺を訪ね、渉成園に向かった。
何度か訪れている東本願寺の飛び地境内である。
源融の「六条河原院」の旧跡として伝承が残っているが、位置的にみて否定的な説も出されている。
しかしながら伝承に沿った景物が配置されており、源氏物語の世界を楽しむ趣向が凝らされている。

受付で工事のため池が干上がっていますけれど、それも珍しいことで却って面白いという方もいらっしゃるんですよ。
と、予め注意された。

すでに西日が色濃い影を落とし始めていた。
京都タワーが借景の一つとして、ここでもランドマークになっている。




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上徳寺
塩竈山(えんそうざん)と号し、浄土宗に属する。
地蔵堂に「世継地蔵」が安置されており、お参りすると世継ぎを授かるというご利益あるそうだ。

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本覚寺
境内の一角に塩竈神社があったが、第二次世界大戦の強制疎開により撤去された。
上徳寺、本覚寺の住所は本塩竈町。

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渉成園 左、臨池亭 正面、滴翠軒


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渉成園 傍花閣


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地底がひび割れた「印月池」と「侵雪橋」


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渉成園の作庭は石川丈山。
東山を借景とした近世初期の名園だが、その借景もビル群に遮られてしまっている。

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回棹廊(かいとうろう)


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以上、渉成園                                ’17.2.27




                                          つづく

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