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zoom RSS マーティン・スコセッシ監督の「沈黙−サイレンス−」を観る

<<   作成日時 : 2017/02/02 22:44   >>

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寒風吹きすさぶ日、映画通のIさんと沈黙―サイレンス―を観に近くのシネコンに出かけた。

マーティン・スコセッシは、遠藤周作原作の「沈黙」を読んで以来、その構想を温め続け、28年後にようやく映画化を成し遂げたという。
キリスト教文化圏に育った人が、いわば逆輸入のかたちで、神学的テーマを作品化したことに興味を覚えた。
長崎の隠れキリシタンがキリスト教信仰を保ち続け、独自の発展をしたこと、いわばキリスト教の日本化が遠藤周作自身の信仰のなかに影を落としてなかっただろうか。
小説を読んだのははるか昔のことなので、はっきりとしたことは言えない。
日本の文化土壌に必ずしも根づいたとはいえないキリスト教を、本家本元のカトリック文化圏の映画監督がどのように理解し、映像化したのだろうか…

最初は、見せしめや棄教のために行われる拷問シーンに辟易させられたが、ぎりぎりの苦痛のさなかになお神が「沈黙」し続けるのはなぜか、という主題を描くためにはやはり避けられない映像だったことがわかる。
うそくさいフィクション性が露わになりがちな場面なので、映像化はとても難しい。
通事役の浅野忠信と奉行役のイッセー尾形が、作品の意図をみごとにくみ取り、さらに日本人の倫理観を来日したパードレのそれに対比させ、西洋と東洋、彼我の違いを観客に突きつけた。
今さらながらに浅野忠信はいい役者だなあと思う。
イッセー尾形は日本人の典型的な精神構造やスタイルを具現化していて、こういう人いるなあ、と思わせるところが一人芝居役者の面目躍如というところだ。

映画を観終わって後に
かたちだけ踏み絵に応じたとしても、面従腹背で信仰は守れるだろうに、とTさんと話した。
しかし、それは図像(イコン)というものに対する感受性の違いということになるのだろうと思う。
言葉に言霊があるようにイコンにもそれと同じ力があるからこそ、踏み絵が信仰の試金石になり得るのだ。

イッセー尾形の奉行は、日本の為政者のしたたかさと日本文化の深奥と知恵を感じさせてくれた。
信仰は、俗なる人間を高める契機となり得るけれど、その方法に東洋と西洋の間に決定的違いがあることをうかがわせた。
うまくいえないが・・・




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