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zoom RSS 「悼む人」を読んで

<<   作成日時 : 2009/12/01 23:43   >>

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確かに、死をめぐる今日の状況について考えさせるきっかけになる本ではある。
しかし、最後まで「悼む人」である静人に感情移入できないため、小説としてついに面白さを感じることができなかった。

死者を送り、供養する方法を考える時、今日ほど厳しい時代はないのではないか、と思う。
共同体が共有していた宗教的世界が失われ、そもそも地域共同体そのものが崩壊している状況では、一人一人が親を送る作法を思案せざるを得ない。
去る者は日々に疎し、のたとえ通り、死者は身近な者たちを除いては忽ち忘れ去られる。

死者に同情し、死者を忘れてしまうことに深い後ろめたさを覚えるのが静人である。
近親者や友人ばかりでなく、動物の死にさえも過剰に反応する少年であった。
それにしても、職業も放棄して、縁もゆかりもない人々の死の現場を訪れ、一人一人に哀悼の意を表し、思い出を胸に刻むという旅の動機となるためには、少し弱いのではないかという印象が否めない。小説にリアリティを感じられない主な理由だ。

行動だけを見れば「ビルマの竪琴」の水島上等兵になぞらえることもできる。
戦争を知らない子供たちでも、彼の行為の意味を理解することができた。

或いは、死が隠蔽された時代だからこそ、静人の行為が突出してみえるのかもしれない、と好意的に考えることもできる。
既存の宗教が力を失い葬式仏教になっている今日だからこそ、彼の行為の原初的な意味がクローズアップされるという…
(それはもともと僧侶の役割である)
しかし、死者を「悼む」にあたっての彼の身振りはいかにもわざとらしいし、自分の行為にいちいち理由づけするのもしゃらくさいという感じを持ってしまう。
静人の「優しさ」が鬱陶しいのである。

去る者は日々に疎いけれど、何かの折にふと記憶の底から蘇り、彼岸から生者の世界をじっと見つめているような気がすることがある。
それだけでいいではないか…

末期癌と闘う静人の母親が、いかに終末を迎えるべきか、刻々と判断を迫られながら治療方法を選択してゆく過程は、しつこい描写が唯一成功している個所だ。
生と死、エロスとタナトスが循環し回帰する世界として描こうとしているが、それもいかにも予定調和的で観念的である。
このような小説が書かれること自体、死がある意味で軽くなってしまっている現代を象徴していることのように思える。



※ 悼む人 天童荒太著 文芸春秋(’08.11)

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
今日は。
死をめぐる今日の状況・・今の時代ほど多種多様な考えや何でもありに驚くこともある。
動物のいのち・・人のいのち・・おもさには違いが無い!
動物の死を異常とまでに反応して自分を見失う恐ろしさ!・・少し理解するには・・・
他の死より自分の死・・・自分は何処に行くか!
それを知らないと・・・宗教者の役目なんでしょうが!
自分で知らないと!
>彼岸から生者の世界をじっと見つめているような気がすることがある。・・・その言葉好いいですね。
まさに還相菩薩・・・
やろい
2009/12/02 16:34
こんばんは!
日中暖かくても夜はそれなりに冷え込みますね。
円高、株安、デフレと経済的には不安材料ばっかりの師走入りになりましたね。ビジネスの現場は大変なんだろうな〜〜!なんてのんびり言ってる場合じゃないか。
>悼む人   家族や仲間の死を悼むのはなにも人間の特権でないということがだんだん分かって来たみたいですね。だからと言って、いつまでもめそめそしない(ように見える)のが動物の強いところ。
中沢新一風に言うなら「死というのは魂が別の次元に行った」と言うことと考えた「野生の思考」の方が想像力を持つ人間には相応しいのかも知れません。
悼むと言ったって、見も知らぬ人の死をも悼むって凡人には難しいですよね。愛や友情やコミュニケーションがとれていた仲間であればこそ感じる悼みであり、赤の他人に悼まれてもな〜〜!
そして悼み方も賢治の銀河鉄道じゃありませんが、どう生きたかでどう死を受け止めるかも違ってくるんですから、個々人自由であって良いと思いますよ。神仏に安らぎを求めるのも良いでしょうが、チベット密教「死の教え」のように真言を唱えれば成仏できるってものでもないでしょう。宗教は言ってみれば人間の脳が作り出した「幻想」。送る人も送られる人も心をニュートラルにすれば、それで十分なのでは?そして、生き残っている人がその人を忘れない限り、その人は生き続けているんだろうと思えます。
midy
2009/12/02 21:50
やろいさん、ありがとうございます。
小説にはあまり感心させられなかったのですが、テーマがテーマだけに、どこが気に食わなかったのかを考えることで改めて他人の死について考えさせられました。
習慣や共同体の掟に従って儀式が行われていた時代は逆に楽だったように思います。すべてを個人が決断し選択してゆくことは、身にあまることだし、辛いところがあります。
自分の死は、死の瞬間まで抽象なのでしょうね。

2009/12/04 21:07
midyさん、ありがとうございます。
葬祭儀礼はヒト特有の文化でしょうが
それに先立つ悲しみや悼む心は霊長類が共有するものかも…なるほど
チンパンジーだったか、親の遺体をいつまでも引きずってゆく子を、テレビで見たことがありました。
すごく痛ましい映像で、類人猿に人間に似た感情がないとはとても思えませんでした。
身近な人の死は深い喪失感というリアルですが、他人の死はどこまでも抽象ですよね。共感や同情はあっても…

2009/12/04 21:25

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