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盛岡二日目の夜が明けた。 盛岡駅東口より循環バス「でんでんむし」号に乗って「もりおか啄木・賢治青春館」へ。 循環バスは観光用ではなく、公共交通を利用することを勧めるため市内中心部を100円均一で走っている。 右回りと左回りがあり、岩手医大付属病院前を通り、市民の利用が多い。 (そういえば県立美術館前では750mを280円で走るタクシーを見かけたが、街中では便利だろう) ちょうど中間あたりのバスセンターにて降車。 岩手銀行中ノ橋支店(旧本店)の赤レンガの外壁めざして歩いた。 赤レンガに花崗岩の白いラインの入ったルネッサンス様式は見ればすぐ分かるとおり辰野金吾の設計(盛岡出身の葛西萬司との共同設計)である。 東京駅を設計する前の試みといったところか。 今も銀行として現役である。 支店の位置は江戸時代高札場だったところで、市も開かれた。 中ノ橋を渡ると盛岡城である。 奥州街道に面し、城下町随一の繁華を誇ったことだろう。 奥州街道に折れて100m余行くと「もりおか啄木・賢治記念館」である。 こちらは旧第九十銀行本店の建物を保存利用しており、岩手銀行中ノ橋支店と同様、国の重要文化財に指定されている。 石川啄木も宮沢賢治も盛岡中学校に通い、ともに青春時代を盛岡で過ごしている。 展示替えのため2階部分を見ることができなかったのが残念だ。 第九十銀行は旧藩士の出資により設立されたが、営業不振で国や県の公金取り扱いができなかったために、地元の実業家が中心となって盛岡銀行ができたという経緯がある。 盛岡銀行のななめ向かいには、太い列柱が印象的な盛岡信用金庫本店(旧貯蓄銀行)。 辰野金吾の弟子であった葛西萬司の設計である(写真なし)。 奥州街道を北上すると、創業1816年の「ござ九」というあらものやが時代から取り残された風情で、今も雑貨を商っている。 紺屋町には、南部煎餅の白沢せんべい店、菊の司酒造、今も消防団の詰所として使われている紺屋町番屋など、往時を偲ばせる。 擬宝珠のある上の橋を渡り、再び循環バスに乗って盛岡駅に戻った。 駅ビルの「やぶ屋」にて天ぷらそばを食べる。 宮沢賢治は花巻のやぶ屋を「ブッシュ」と呼び、決まって天ぷらそばを食べサイダーを飲んだそうだ。 盛岡駅から見る夜景 岩手銀行中ノ橋支店 旧第九十銀行(もりおか啄木・賢治青春館) 舟越保武による石川啄木像 明治期の盛岡の町並(旧応接室) 以上、もりおか啄木・賢治青春館 ござ九 紺屋町番屋 菊の司酒造 旧井弥商店 ギャラリー兼喫茶店として使われている 上の橋 ’09.9.28 つづく |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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今晩は。 |
やろい 2009/10/15 22:05 |
こんにちは! |
midy 2009/10/16 14:31 |
やろいさん、ありがとうございます。 |
空 2009/10/16 19:43 |
midyさん、ありがとうございます。 |
空 2009/10/16 19:49 |
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