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伏見の酒は女酒といわれる。 対して男酒と呼ばれるのが灘の酒。 灘では、古い花崗岩層を潜り抜けてきた地下水が適度なミネラル分を含み、酵母の栄養分となるため、醸造期間が短縮され、きりっとした辛口の酒ができるという理屈だ。 伏見の大倉酒造の井戸の水を飲んでみた。 まろやか…としか表現する言葉がない。 神戸ウォーターの方は、神戸に寄港する船がどしどし積み込んでいったという。 このことは司馬遼太郎の「神戸散歩」に書かれている。 暑さの盛りに飲むと生き返ったような心地になる爽快な水を想像してみるが、こちらはまだ飲んだことがない。 (今では神戸の水道水はほとんどが淀川から取水されているという) 伏見の酒は、ミネラル分の少ない軟水のため、醸すためにその分長い時間を要して「女酒」となる。 江戸で好まれた灘の酒に対して、伏見の酒は京料理によく合うという。 京都は本来美味しいもののないところ、と地元っ子は言うが、伏見は淀川を遡り鮮魚が運ばれる地の利があった。 伏見は洛南一の繁華街である。 桃山御陵前駅に降り立ち、何故か改札内にあるロッカーにリュックを押し込んで、小雨の中を御香宮(ごこうのみや)神社へ詣でることにする。 水運だけでなく、まず命を育む地下水に敬意を表するのが順序というものだろう。 折しも、あいにくの雨にもかかわらず、七五三を祝う家族連れで賑わっていた。 延喜式では「御室(みもろ)神社」に比定されている。 境内に香泉が湧いたため「御香宮」と名付けられたのは貞観4(862)年のこと。 江戸時代には徳川家の産土神となり、社殿その他が寄進された。 鳥羽伏見の戦いでは、伏見奉行所を攻撃する官軍の拠点になっている。 割拝殿では七五三の祝詞があげられていた。 本殿は拝殿とともに桃山時代のもので、家康が再建した。 妻側に回ってみると、赤い懸魚や蟇股の彫刻が華やかだ。 桧皮葺の屋根が雨に濡れて黒く、一層きらびやかな彩色を引きたてていた。 表門が面しているのは伏見城に至る大手通で、再び駅前を通過し、京阪本線の踏切を渡って長いアーケードに入った。 週末を三々五々行き交うのは、観光客より地元の人が多いのだろう。 寺田屋への道を尋ね、左手に折れるとさらに細いアーケードが竜馬通りの二筋手前まで続いている。 納屋町と呼ばれるこの辺りの商店は、間口の狭い店が多く、商品を少量ずつ多品種並べているのが物珍しい。 さて寺田屋である。 三十石船を利用する客を泊めた船宿は、今でも一泊朝食付七千円くらいで泊めるそうだが、こうして日中どやどやと見学者に蹂躙される部屋では、夜も落ち着かないのではなかろうか。 薩摩藩の定宿だった当時の寺田屋事件や坂本龍馬が幕吏の襲撃を受けた歴史を思い返しながら、往時の賑わいを脳裏に思い浮かべて、寺田屋浜近くで更け行く夜は、それはそれでなかなかおつなものかもしれないが。 それにしても世の有為転変、それも僅か150年も経ぬ昔のことなのだ。 宇治川に注ぐ濠川に観光で乗せる十石船が舫っている。 水面に鬱蒼と枝を垂れる柳と背景に焼杉板の酒蔵という濠川端の風景は、ここだけ江戸の空気が流れているように感じられる。 弁天浜の長建寺に寄る。 この辺り中書島と呼ばれ、遊郭のあったところだそうだ。 山門と土塀の紅が艶っぽい。 伎芸をつかさどる八臂弁財天を祀っている。 伏見奉行所跡で紅皿が発掘されたことを、大倉記念館の人が可笑しそうに話してくれた。 以上、御香宮神社 納屋町のアーケード 寺田屋 弁天浜 濠川端 長建寺 この結び方は越前の杜氏のものという。今ではこのように結べる人がいない。 月桂冠大倉記念館 ’08.11.8 正倉院から京都へ 完 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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こんばんは! |
midy 2008/11/20 20:43 |
今晩は。 |
やろい 2008/11/21 20:01 |
midyさん、ありがとうございます。 |
空 2008/11/23 18:05 |
やろいさん、ありがとうございます。 |
空 2008/11/23 18:12 |
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