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ル・ヴァン美術館は創立当時の文化学院の建物を再現したものだ。 文化学院をつくった西村伊作についてほとんど知らなかった不明を恥じるほど、時代を先駆け、生活の細部に渡って革新を成し遂げた、興味深い人物だ。 伊作の名は、旧約聖書のアブラハムの子イサクからとられた。 命名した父は、母とともに濃尾地震で死亡。伊作は母の実家の養子となって、7歳で山林を相続した。 伊作の叔父に大石誠之助という人がいて、この人のことは新宮を訪れた時に強く印象付けられたのだが、伊作のことはアンテナに触れず、今回の美術館訪問によってはじめて彼の事績を知ることになった。 新宮では熊野の信仰を中心に歩いていたので、西村記念館をパスし、熊野速玉大社に参詣しながら境内に移築されていた佐藤春夫記念館に寄ることもなかった。 (佐藤春夫は文化学院の4代目院長になり、記念館となった邸は西村伊作の弟大石七分が設計している) 軽井沢では、生活の糧を得るためにいかに働くか、ではなく、いかに消費するか、が問われる。 金を稼ぐに教養はいらないが、金を使うのには教養がいる。 西村伊作の仕事を見てゆきながら、つくづくそう思った。 娘の通うに相応しい学校がないから文化学院を創立したとも言われるが、莫大な資産があっても、そのような行動をとる人はまれだろう。 反戦は叔父・大石誠之助の思想的感化によるものと考えられるが、住居から衣服、家具什器に至るまで、生活環境のすべてをおろそかにせず、美しく設計したいという強い欲望が生涯を貫いていたようだ。 それも華美というのではなく、「簡素」「簡易」をモットーとする、よき趣味のデザインだ。 家族を中心として広がる、よい感化を及ぼしあう人間関係もまた、伊作の目指したものだ。 与謝野晶子をはじめとする文化学院で教鞭をとった教授陣の錚々たる顔ぶれに溜息が漏れる。 住宅設計、絵画、陶芸、料理・・・と伊作が手を染めたデザイン・ワークは多様だが、最も得意としたことは、こうした夢のような理想的サロン、教育的環境を創造することにあったのだ、と思う。 大正デモクラシー、大正ミニマリズム、大正リベラリズム・・・ 武ばった明治と、ますます軍国主義化する昭和に挟まって、大正という時代は、理想的な家庭へ、環境へと視線が注がれた、欧化を内向きにとらえた時代だったと思う。 戦争のアンチ・テーゼが、身近にあるべき美しきものの創造となった。 美術館には西村伊作の作品とともに友人であった富本憲吉の陶芸作品が展示されている。 人生の負のイメージはことごとく捨て去られ、暮らしを謳いながら、どこか浮世離れしているように感じるのは何故だろうか・・・ 美を求める態度が、強い反戦の姿勢と完全にイコールとなった時こそ、美は本物だという気がした。 (因みに、富本憲吉は戦後、文化人としての戦争犯罪を問われるかもしれない、と怯えたこともあったという) 学校創設を考える時、まず校舎の理想的イメージから出発するのが、いかにも西村伊作らしい。 ’08.10.9 つづく |
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こんばんは! |
midy 2008/10/17 23:42 |
軽井沢って不思議なところですね。 |
やろい 2008/10/18 15:52 |
midyさん、ありがとうございます。 |
空 2008/10/19 18:21 |
やろいさん、ありがとうございます。 |
空 2008/10/19 18:30 |
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