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<<   作成日時 : 2008/10/17 20:41   >>

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ル・ヴァン美術館は創立当時の文化学院の建物を再現したものだ。
文化学院をつくった西村伊作についてほとんど知らなかった不明を恥じるほど、時代を先駆け、生活の細部に渡って革新を成し遂げた、興味深い人物だ。

伊作の名は、旧約聖書のアブラハムの子イサクからとられた。
命名した父は、母とともに濃尾地震で死亡。伊作は母の実家の養子となって、7歳で山林を相続した。
伊作の叔父に大石誠之助という人がいて、この人のことは新宮を訪れた時に強く印象付けられたのだが、伊作のことはアンテナに触れず、今回の美術館訪問によってはじめて彼の事績を知ることになった。
新宮では熊野の信仰を中心に歩いていたので、西村記念館をパスし、熊野速玉大社に参詣しながら境内に移築されていた佐藤春夫記念館に寄ることもなかった。
(佐藤春夫は文化学院の4代目院長になり、記念館となった邸は西村伊作の弟大石七分が設計している)

軽井沢では、生活の糧を得るためにいかに働くか、ではなく、いかに消費するか、が問われる。
金を稼ぐに教養はいらないが、金を使うのには教養がいる。
西村伊作の仕事を見てゆきながら、つくづくそう思った。
娘の通うに相応しい学校がないから文化学院を創立したとも言われるが、莫大な資産があっても、そのような行動をとる人はまれだろう。
反戦は叔父・大石誠之助の思想的感化によるものと考えられるが、住居から衣服、家具什器に至るまで、生活環境のすべてをおろそかにせず、美しく設計したいという強い欲望が生涯を貫いていたようだ。
それも華美というのではなく、「簡素」「簡易」をモットーとする、よき趣味のデザインだ。

家族を中心として広がる、よい感化を及ぼしあう人間関係もまた、伊作の目指したものだ。
与謝野晶子をはじめとする文化学院で教鞭をとった教授陣の錚々たる顔ぶれに溜息が漏れる。
住宅設計、絵画、陶芸、料理・・・と伊作が手を染めたデザイン・ワークは多様だが、最も得意としたことは、こうした夢のような理想的サロン、教育的環境を創造することにあったのだ、と思う。

大正デモクラシー、大正ミニマリズム、大正リベラリズム・・・
武ばった明治と、ますます軍国主義化する昭和に挟まって、大正という時代は、理想的な家庭へ、環境へと視線が注がれた、欧化を内向きにとらえた時代だったと思う。
戦争のアンチ・テーゼが、身近にあるべき美しきものの創造となった。

美術館には西村伊作の作品とともに友人であった富本憲吉の陶芸作品が展示されている。
人生の負のイメージはことごとく捨て去られ、暮らしを謳いながら、どこか浮世離れしているように感じるのは何故だろうか・・・

美を求める態度が、強い反戦の姿勢と完全にイコールとなった時こそ、美は本物だという気がした。
(因みに、富本憲吉は戦後、文化人としての戦争犯罪を問われるかもしれない、と怯えたこともあったという)

学校創設を考える時、まず校舎の理想的イメージから出発するのが、いかにも西村伊作らしい。




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                                    ’08.10.9




                                        つづく

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは!
ここはタリアセンではないんですね?でも雰囲気は延長線上にあると言っても良さそう。再建したとはいえ、良い雰囲気の建物ですね。
文化学院については多少知っていても、西村伊作については、空さんが知らなかったくらいですから私が知るはずもなく、初お目もじですが、優雅な生き方をされた方なんですね。
サロンの錚々たるメンバーがそのまま学院の教壇に上り、規模は小さくとも心意気は気宇壮大ですね。瀟洒な建物で世俗を離れた修道院のイメージに繋がりませんか?
私の田舎には女子、男子の修道院がありますが、今でこそ煉瓦作りのどっしりとした建物ですが、創設の頃の感じが良く似ているからかな?(写真で見ただけで、その当時を知っている訳ではありませんが・・・)
軽井沢レポート、続くとありましたからまだ楽しめるんですね。次はなにが、何処が出てくるのか楽しみです。
midy
2008/10/17 23:42
軽井沢って不思議なところですね。
どのような雰囲気も建物も溶け込んでしまうのですね。
勿論私は知りませんが、空さんの文章で、余計にそう感じました。
>いかに働くか、ではなく、いかに消費するか?西村伊作の仕事を見てゆきながら、つくづくそう思った>・・・すごい感覚だと思いました。
そのように感じさせるほどの何かが働いたのでしょうか?財と感性!

>生活環境のすべてをおろそかにせず、美しく設計したいという強い欲望が生涯を貫いて<
誰しも望むことでしょうが、1が満ちたら2に3に・・欲望のほぼ達成は稀なでは無なったのかなあ?
>家族を中心として広がる、よい感化を及ぼしあう人間関係<
今のリビングの草分けかなあ・・・
やろい
2008/10/18 15:52
midyさん、ありがとうございます。
タリアセンから循環バスで7分くらいのところです。
確かに西村伊作の頭の中に修道院の質実なイメージがあったかもしれませんね。
大正時代には、理想的なコロニーを意図する運動があちこちにあったように思います。
伊作自身は少女たちを無菌培養するような意図はなく、小学校くらいは普通の学校がいい、と思っていたようです。

2008/10/19 18:21
やろいさん、ありがとうございます。
西浦伊作は、様々な社会活動を潤沢な資産のある人間の義務と考えていたかもしれませんね。
ノーブリス・オブリージュ・・・ですか。
>リビングの草分け<鋭いご指摘です。
伊作の住宅設計の革新的なところは、客室中心の古い日本家屋から家族中心の家への脱皮でした。

2008/10/19 18:30

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